上田秀人を模倣し、武士の文化を描いた完全オリナル時代小説『刀影 ―武士の世を斬る者―』第百一章

目次

第百一章 国の声

 翌朝。

 江戸城。

 仮交渉会議。

 いつもの顔ぶれに。

 新しい者が。

 増えていた。

 米商人。

 大工。

 船頭。

 寺僧。

 帰国者。

 海防方。

 町方。

 そして。

 名を。

 まだ。

 表へ出したくない者。

 家定が。

 部屋を見回す。

「多いですね」

 阿部が。

 ため息をつく。

「これで」

「外国と」

「話がまとまるのか」

「分かりません」

「将軍が」

「最初から」

「それを言うな」

「今は」

「交渉窓口です」

「余計に困る」

 新之介が。

 少し笑う。

「よいことだと思います」

「何が」

「困っている人が」

「一人ではない」

 ◇

 清太郎。

 紙。

 表題。

 ――次回対米交渉。

 ――日本側代表の定め。

「まず」

 家定が言う。

「米利堅側から」

「問われています」

「今後」

「誰を」

「日本の代表とするのか」

「はい」

「前回は」

「私が」

「限られた交渉窓口を」

「務めました」

「期限は」

 水野。

「会談終了まで」

「すでに」

「切れております」

「では」

 家定が。

 新之介を見る。

「私は」

「今」

「何者です」

「家定殿です」

「役は」

「仮交渉会議の」

「一参加者」

 阿部が。

 口を挟む。

「それだけでは」

「外国側が」

「納得しない」

「だから」

 新之介が言う。

「外国側が」

「何を必要としているか」

「分けます」

 ◇

 清太郎。

 筆。

「一」

「誰と話せば」

「約束が成立するか」

「二」

「誰が」

「約束を実行できるか」

「三」

「後から」

「『その者には権限がなかった』と」

「覆されない保証」

「四」

「日本側の内部で」

「意見が割れた時」

「どうするか」

「五」

 志乃が言う。

「向こうは」

「誰に」

「責任を取らせるかも」

「知りたいのでは」

「はい」

 清太郎。

 ――五。

 ――失敗時の責任主体。

「六」

 源七。

「交渉内容によって」

「必要な人が違う」

「港なら」

「港の者」

「貿易なら」

「商人」

「海防なら」

「水野様」

「では」

 清太郎。

 ――六。

 ――議題ごとの知識・当事者。

 ◇

「こうすると」

 家定が言う。

「一人で」

「全部を」

「満たす方が」

「不自然ですね」

「はい」

「でも」

 阿部が言う。

「外国側は」

「一人の印を」

「欲しがる」

「なぜ」

「約束を」

「簡単にするためだ」

「簡単なのは」

 志乃が言う。

「向こうにとって?」

 阿部が。

 止まる。

「……そうだ」

「日本の町が」

「後で困っても」

「一人の印があれば」

「『日本が決めた』と」

「言える」

「はい」

「それは」

「便利ですね」

 ◇

「ただし」

 源七が言う。

「外国との交渉には」

「速度も必要です」

「毎回」

「町人百人へ」

「聞いていたら」

「船は」

「待ちません」

「はい」

「では」

「どうする」

 新之介が。

 答える。

「全部を」

「聞く必要はありません」

「何」

「影響を」

「受ける人へ」

「聞く」

「誰が」

「影響を受けるか」

「そこが」

「難しい」

「はい」

「なら」

 家定が言う。

「最初から」

「一つの会議だけで」

「決めない?」

「どういう」

「前へ出る交渉役」

「後ろで」

「影響を見る役」

「二つ」

 新之介が。

 少し考える。

「よいと思います」

 ◇

 家定が。

 紙へ。

 指を置く。

「例えば」

「米利堅側が」

「薪水を」

「求める」

「はい」

「前の交渉役は」

「量」

「価格」

「期間」

「受け渡し場所」

「そこを話す」

「はい」

「後ろでは」

「米屋」

「船頭」

「町方」

「倉庫」

「水場」

「それぞれ」

「影響を見る」

「はい」

「そして」

「その日」

「決めてよい範囲を」

「先に」

「限定する」

「期限も」

 水野。

「はい」

「役も」

 宗一。

「終わる条件を」

「先に」

 宗太。

「はい」

 ◇

「では」

 阿部が言う。

「誰を」

「前へ」

「出す」

 家定が。

 すぐに。

 自分とは。

 言わなかった。

「議題ごとに」

「変えます」

「将軍が」

「固定ではない?」

「はい」

「外国側は」

「不安がるぞ」

「なら」

「決め方を」

「固定します」

 全員が。

 家定を見る。

「人ではなく?」

「はい」

「誰を前へ出すかを」

「決める手順を」

「固定する」

 新之介が。

 頷く。

「それなら」

「一人へ」

「戻りにくい」

 ◇

 清太郎が。

 新しい紙。

 ――交渉窓口選定。

 一。

 議題を限定。

 二。

 当事者を確認。

 三。

 実行権限を持つ者を確認。

 四。

 交渉窓口を一名または複数名選ぶ。

 五。

 交渉可能範囲を明記。

 六。

 期限を明記。

 七。

 結果を持ち帰り。

 影響を受ける側へ説明。

 八。

 必要なら再決定。

「九」

 新之介。

「何です」

「交渉に」

「出なかった人の」

「反対や」

「不参加を」

「賛成扱いしない」

 志乃が。

 強く頷く。

「それは」

「必要です」

 ◇

「名未定の庄太殿」

 志乃が言う。

「前回」

「来ませんでした」

「はい」

「でも」

「来なかったから」

「任せたわけではない」

「はい」

「来ない自由も」

「残す」

「ただし」

 阿部が。

「来ない者が」

「後で」

「全部無効だと」

「言ったら」

「どうする」

「来ないことと」

「拒否は」

「分けます」

 清太郎。

 ――不参加。

 ――賛成。

 ――反対。

 ――未定。

「また」

 水野が。

「増えるな」

「人の答えが」

「増えるだけです」

「それが」

「面倒なのだ」

「はい」

 ◇

 家定が。

 少し笑う。

「面倒な国に」

「なりますね」

「今までも」

 辰蔵が。

 入口から。

 口を挟む。

「面倒でしたよ」

「何」

「上が」

「一つに」

「見せていただけで」

「町は」

「ずっと」

「ばらばらです」

「なるほど」

「米の値段を」

「下げてほしい人」

「上げたい人」

「火事場から」

「早く逃げたい人」

「店を」

「守りたい人」

「皆」

「違う」

「民に」

 志乃が言う。

「一つの声は」

「ありません」

 ◇

「なら」

 家定が。

「国にも」

「一つの声は」

「ない?」

「はい」

 新之介。

「でも」

「決める時は」

「一つに」

「しなければならない」

 阿部が言う。

「そこです」

「何が」

「声は」

「一つにしなくてよい」

「決定は」

「必要な時」

「一つにする」

「違いは」

 家定。

「反対した声を」

「消さないことです」

 ◇

 例えば。

 港を。

 一か所。

 開く。

 決定は。

 開くか。

 開かないか。

 どちらか。

 しかし。

 その決定の前に。

 誰が。

 何を言ったか。

 誰が。

 反対したか。

 誰が。

 条件付きで。

 認めたか。

 誰が。

 参加しなかったか。

 それは。

 残せる。

「決定したから」

 新之介が言う。

「反対した人が」

「間違いだったことには」

「しない」

「はい」

「後で」

「害が出た時」

「反対していた人の」

「理由が」

「必要になることもある」

「はい」

「では」

 清太郎が言う。

「決定帳と」

「意見帳を」

「分けます?」

 全員。

 少し。

 嫌な顔。

「何です」

 清太郎。

「また」

 宗太が言う。

「帳面が増える」

「でも」

「一冊へ」

「まとめると」

「一つの話に」

「なる」

 新之介が。

 記録を殺そうとした。

 庄太の言葉を。

 思い出す。

「分けましょう」

「ただし」

 志乃が。

「誰でも」

「読める?」

「全部?」

「個人の秘密は」

「別」

「では」

「決定理由」

「反対理由」

「そこは」

「できるだけ」

「見えるように」

 ◇

 昼。

 米利堅側との。

 予備会談。

 ウィリアム。

 士官。

 通詞。

 日本側。

 家定。

 源七。

 阿部。

 水野。

 新之介。

 米商人。

 船頭。

 清太郎。

 サラ。

 ウィリアムが。

 最初に。

 問う。

「誰が」

「日本の代表か」

 家定が。

 答える。

「今日の議題によって」

「違います」

 通詞が。

 訳す。

 相手側。

 ざわめく。

「国家に」

「最高責任者は」

「いないのか」

「います」

 阿部が。

 少し身構える。

 家定は。

 続ける。

「ただし」

「すべての決定を」

「一人で」

「行う者としては」

「今」

「置きません」

 ◇

「では」

 条約を」

「誰と」

 家定。

「まだ」

「条約締結を」

「今日の議題に」

「していません」

「将来」

「必要なら」

「その時」

「締結権限を」

「誰へ預けるか」

「日本側で」

「決めます」

「それでは」

「交渉が」

「遅い」

 源七が。

 英語を。

 一部。

 直接返す。

 相手側の顔が。

 少し変わる。

「何と」

 水野。

「急げば」

「後で」

「破られる約束が」

「増えると」

「申しました」

「強いな」

「海外では」

「これくらい」

「普通です」

 ◇

 ウィリアム。

「我々は」

「確実な相手を」

「必要とする」

 家定。

「日本側も」

「同じです」

「米利堅の」

「船長が」

「今日」

「約束したことを」

「明日」

「別の船が」

「無効にしないと」

「誰が保証する」

 相手側。

 止まる。

「米利堅政府」

「その政府の」

「どの決定手続きで」

「この艦隊は」

「動いている」

 ウィリアムが。

 少し笑う。

「質問を」

「返した?」

「はい」

「我々も」

「そちらの仕組みを」

「理解したい」

 ◇

 しばらく。

 双方。

 説明。

 米利堅側にも。

 役。

 命令。

 政府。

 軍。

 議会。

 商人。

 全部。

 一つではない。

 日本側。

 初めて。

 「外国」という。

 一つの言葉の中にも。

 多くの声が。

 あることを。

 具体的に。

 聞く。

「では」

 志乃が。

 会談後。

 言った。

「向こうも」

「一枚岩では」

「ないのですね」

「はい」

 源七。

「むしろ」

「中では」

「よく争う」

「それでも」

「国として」

「約束する」

「どうやって」

「そこが」

「学ぶところです」

 ◇

 午後。

 議題。

 薪水。

 米利堅側。

 水。

 米。

 薪。

 野菜。

 交換。

 金額。

 量。

 日本側。

 米商人。

「量が」

「多すぎます」

「なぜ」

「江戸へ入る米が」

「減る」

「では」

 米利堅側。

 量を。

 三割減。

 船頭。

「受け渡し」

「品川沖なら」

「小舟が」

「足りません」

「日数を」

「延ばす」

 水場担当。

「一日で」

「汲める量が」

「決まっています」

「井戸を」

「増やす?」

「それを」

「今日」

「外国側が」

「決めないでください」

 新之介が。

 止める。

 ◇

 ウィリアムが。

 少し苛立つ。

「日本側は」

「すべてに」

「相談を」

「必要とする?」

「必要なところは」

「はい」

「では」

「緊急時」

「船が」

「水を失ったら」

 水野が言う。

「人命に」

「関わる量なら」

「別」

「誰が」

「決める」

 水野が。

 一瞬。

 自分を。

 指しかけ。

 止める。

「海防側」

「港側」

「水場側」

「その場の」

「三者」

「一人では?」

「決めません」

「時間が」

「命に関わるなら」

 新之介。

「仮に」

「一人が決めてもよい」

 全員が。

 新之介を見る。

「よいのか」

 阿部。

「はい」

「ただし」

「何」

「範囲」

「人命に必要な」

「最小限の水」

「期限」

「その場だけ」

「後で」

「記録」

「影響」

「別に」

 水野が。

 頷く。

「必要な行いは」

「必要」

「でも」

「正しいと」

「一つにしない」

「はい」

 ◇

 夕刻。

 仮の合意。

 水。

 食料。

 薪。

 量。

 価格。

 日数。

 受け渡し。

 全部。

 限定。

 次。

 港。

 通商。

 まだ。

 決めない。

 米利堅側。

 不満。

 だが。

 会談は。

 崩れなかった。

 そして。

 最後。

 ウィリアムが。

 もう一度。

 聞く。

「今日の合意を」

「誰が」

「日本として」

「保証する」

 家定が。

 新之介を見る。

 新之介は。

 首を振る。

「家定殿が」

「答えてください」

「なぜ」

「今」

「窓口です」

「はい」

 ◇

 家定。

 立つ。

「今日の合意を」

「私一人が」

「保証するのではありません」

「では」

 清太郎。

 文書。

 一。

 交渉窓口。

 徳川家定。

 二。

 薪水実行。

 水野。

 港役人。

 町側。

 三。

 価格。

 商人立会い。

 四。

 記録。

 清太郎。

 五。

 期限。

 三日。

 六。

 変更。

 同じ手順で。

 再協議。

「この仕組みを」

 家定が言う。

「今日の日本側の」

「保証とします」

 ◇

 ウィリアムが。

 文書を見る。

「一人の印は」

「ない?」

「あります」

「誰」

「関係する者が」

「それぞれ」

「自分の範囲へ」

「印を置く」

 水野。

 家定。

 商人。

 港役人。

 清太郎。

 複数。

「責任が」

「分散する」

 ウィリアム。

「はい」

「逃げやすくなる」

「逆です」

 新之介が。

 初めて。

 直接答える。

「誰が」

「何を」

「決めたか」

「分けるので」

「逃げにくくなる」

 ◇

 ウィリアムは。

 長く。

 新之介を見る。

「あなたは」

「代表ではない?」

「はい」

「しかし」

「よく話す」

「すみません」

 通詞が。

 笑いをこらえる。

「あなたは」

「何を代表する」

 新之介は。

 少し。

 考えた。

「今」

「私が」

「代表しているものは」

「ありません」

「何」

「自分の意見を」

「話しています」

「それだけ?」

「はい」

 ウィリアムが。

 初めて。

 声を上げて。

 笑った。

「それは」

「珍しい役人だ」

「役人かどうかも」

「最近」

「少し曖昧です」

 ◇

 会談後。

 江戸城へ戻る。

 家定。

 少し。

 疲れている。

「新之介殿」

「はい」

「今日」

「私は」

「何をしたのでしょう」

「交渉窓口」

「それだけ?」

「かなり」

「大きいです」

「将軍では」

「なかった?」

「家定殿でした」

「……」

「それ」

「最近」

「好きですね」

「便利です」

 ◇

「でも」

 家定が。

 立ち止まる。

「一つ」

「怖い」

「何が」

「この仕組みが」

「うまくいったら」

「皆が」

「これを」

「正しい仕組みだと」

「思いませんか」

 新之介が。

 家定を見る。

「思うでしょう」

「では」

「また」

「固定される」

「可能性は」

「あります」

「なら」

「どうする」

「見直す日を」

「決めます」

「いつ」

「まず」

「十日後」

「早い?」

「早い方がよい」

「誰が」

「見直す」

「今日」

「参加した人だけでは」

「駄目です」

「なぜ」

「作った人は」

「自分の仕組みを」

「守りたくなる」

 家定が。

 少し笑う。

「では」

「今日」

「いなかった人を」

「入れる」

「はい」

 ◇

 清太郎。

 追加。

 ――仮交渉方式。

 ――十日後。

 ――再見分。

 ――見分参加者のうち。

 ――三分の一以上を。

 ――初回不参加者とする。

「三分の一?」

 阿部が。

 嫌な顔。

「細かいな」

「目安です」

「固定するなよ」

「はい」

「清太郎殿も」

 新之介。

「帳面を」

「守る側に」

「ならないでください」

 清太郎が。

 筆を止める。

「それ」

「私に」

「言いますか」

「記録役だからです」

「……」

「分かりました」

 ◇

 夜。

 再起館。

 佐吉。

 新八。

 宗太。

 喜兵衛。

 竹吉。

 梅。

 それぞれ。

 食事。

 同じ膳では。

 ない。

 食べたい時間も。

 違う。

 宗太は。

 汁が。

 薄いと文句。

 竹吉は。

 米が。

 柔らかすぎると。

 文句。

 梅は。

 薬草を。

 勝手に。

 台所へ。

 持ち込み。

 志乃に。

 怒られる。

「外国帰りは」

「皆」

「面倒ですね」

 志乃が言う。

「日本にいた者も」

 宗太が。

 汁を飲みながら。

「十分」

「面倒だ」

「それは」

「そうです」

 ◇

「新之介」

 新八が。

 呼ぶ。

「何です」

「国の代表」

「決まった?」

「決めませんでした」

「では」

「外国側」

「困った?」

「少し」

「怒った?」

「少し」

「それでも」

「話せた?」

「はい」

 新八が。

 木彫りの鳥を。

 指で。

 回す。

「なら」

「人も」

「同じですね」

「何が」

「一つの名が」

「決まらなくても」

「話は」

「できる」

「はい」

「私は」

「八郎でも」

「新八でも」

「話せた」

「はい」

「でも」

「最後に」

「新八を」

「自分で」

「選んだ」

「はい」

「国も」

「最後に」

「何かを」

「選ぶ?」

 新之介は。

 少し考える。

「必要なら」

「はい」

「でも」

「選んだ後も」

「別の声が」

「消えないように」

「する」

 ◇

 佐吉が。

 隣から。

「それなら」

「私の罪も」

「一つに」

「しないでください」

「何」

 新之介。

「私は」

「武士を刺した」

「はい」

「でも」

「放火も」

「三人殺しも」

「御用金盗みも」

「していない」

「はい」

「国が」

「一つの決定を」

「必要とするからと」

「人の行いまで」

「一つへ」

「まとめないでください」

「分かりました」

 新之介は。

 すぐ答える。

 ◇

 その時。

 入口。

 足音。

 清太郎。

 顔が。

 いつもより。

 硬い。

「榊原様」

「何です」

「佐吉殿の」

「妹」

 佐吉が。

 立ち上がる。

「さよ?」

「手掛かりが」

「見つかりました」

「どこ」

「御記録所」

「何の」

「二十二年前」

「声代替候補」

「名」

「さよ」

 佐吉の手が。

 震える。

「生きている?」

「そこが」

 清太郎が。

 言いにくそうに。

「何」

 ――十四歳。

 ――声。

 ――大奥女中候補。

 ――役名。

 新之介が。

 紙を見る。

 その役名を。

 知っている。

 ――お澄。

 部屋。

 静かになる。

「母上?」

 新三郎が。

 入口近くで。

 立ち止まる。

 佐吉が。

 新之介を見る。

「私の妹が」

「お澄?」

「役名として」

「使われた可能性」

「はい」

 ◇

「いつ」

 新之介が問う。

「二十二年前」

「お澄殿が」

「亡くなった後」

「では」

「死者の名を」

「また」

「使った?」

「はい」

「何のため」

 清太郎が。

 次を読む。

 ――榊家への。

 ――接触継続。

 宗次郎。

 新三郎。

 新之介。

 全員。

 顔が変わる。

「榊家へ」

 新之介が。

 低く。

「母上の死後も」

「お澄として」

「誰かが」

「出入りした?」

「記録上は」

「はい」

 佐吉の顔が。

 白くなる。

「さよは」

「妹は」

「何を」

「させられた」

 新之介は。

 紙を。

 すぐには。

 続けて読まない。

「佐吉殿」

「何です」

「ここから先」

「本人の行いと」

「役の行いを」

「混ぜずに」

「見ます」

「はい」

「妹君が」

「もし」

「お澄を」

「名乗っていたとしても」

「はい」

「母上に」

「なったわけでは」

「ありません」

「分かっています」

「でも」

 佐吉の声が。

 震える。

「兄として」

「何を」

「妹が」

「二十二年」

「どんな名で」

「生きたのか」

「知りたい」

 新之介が。

 頷く。

「はい」

 ◇

 清太郎。

 最後の欄。

 ――さよ。

 ――役名、お澄。

 ――その後。

 ――大奥へ。

 そして。

 ――現在。

 ――生存。

 佐吉が。

 息を止める。

「生きている?」

「はい」

「どこ」

 清太郎が。

 次の行を。

 指す。

 ――現在呼称。

 ――お藤。

 新之介の目が。

 大きく見開かれた。

 大奥。

 お藤。

 声を集め。

 家慶。

 家定。

 家族。

 役。

 その中心近くに。

 いた女。

 佐吉は。

 立ったまま。

 動かない。

「妹が」

「お藤?」

 誰も。

 すぐには。

 答えない。

 新之介が。

 ようやく。

 言った。

「本人へ」

「聞きましょう」

「何を」

「佐吉殿の妹であることを」

「今」

「本人が」

「どう思っているか」

 佐吉が。

 目を閉じる。

 二十二年。

 兄は。

 妹を探した。

 だが。

 妹も。

 その間。

 別の名で。

 別の人生を。

 生きている。

 見つけたから。

 戻るとは。

 限らない。

 家族だから。

 昔の場所へ。

 帰るとも。

 限らない。

「佐吉殿」

 新之介が。

 静かに言う。

「会いますか」

 佐吉は。

 長く。

 長く。

 考えた。

「会いたい」

「はい」

「でも」

「何です」

「妹が」

「会いたくないと言ったら」

 一度。

 喉を詰まらせる。

「それも」

「聞きます」

 新之介は。

 頷いた。

「はい」

 国に。

 一つの声が。

 ないように。

 家族にも。

 一つの願いは。

 ない。

 兄が。

 帰りたい場所と。

 妹が。

 今いる場所。

 それが。

 同じとは。

 限らなかった。

(第百二章へ続く)

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