上田秀人を模倣し、武士の文化を描いた完全オリナル時代小説『刀影 ―武士の世を斬る者―』第三十章

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第三十章 三番蔵炎上

 半鐘の音が、夜の蔵前を切り裂いていた。

 カン、カン、カン――。

 火事を知らせる打ち方である。

 だが、新之介には、その音が町人を救うためのものには聞こえなかった。

 人を動かすための音。

 目を逸らさせるための音。

 そして、本当の火を隠すための音だった。

 蔵前の大通りでは、店の戸が次々と開いている。

 寝間着の上へ羽織を引っかけた商人。

 子を背負う女。

 水桶を抱えて走る人足。

 火消しの纏を探して空を見上げる者。

 誰もが、三河屋の向かいで上がった煙を見ていた。

 だが三番蔵は、その騒ぎから少し離れた川沿いにある。

 人々の意識が表通りへ向いている間に、御救い米を焼く。

 敵の狙いは明らかだった。

 新之介は走った。

 肩の古傷が脈を打つ。

 呼吸が乱れる。

 それでも足を緩めなかった。

 宗次郎が命を懸けて戻ってきた。

 御救い米が狙われていると告げるために。

 あの言葉を無駄にはできない。

 角を曲がる。

 川風が吹いた。

 米蔵の白壁が、夜の闇の中に連なっている。

 一番蔵。

 二番蔵。

 そして、その先。

 三番蔵の前に、火消し半纏を着た男たちが集まっていた。

 十人。

 いや、それ以上。

 皆、鳶口や水桶を持っている。

 一見すれば火を消しに来た者たちだった。

 だが誰も水を汲んでいない。

 桶は空。

 鳶口は蔵の戸を壊すために使われている。

「止まれ!」

 新之介の声が響いた。

 男たちが一斉に振り返る。

 火消しの半纏の下に、刀を差している者もいる。

 中央に立つ男の額には古い傷があった。

 笠原陣内。

 真誠組を名乗る浪人たちの頭である。

「榊原新之介」

 陣内は驚かなかった。

 むしろ、来ることを知っていたような顔だった。

「一人か」

「一人に見えるか」

 新之介は答えた。

 実際には一人だった。

 源太郎の町方はまだ見えない。

 玄斎は三河屋に残した。

 だが、弱みを見せる必要はない。

 陣内は薄く笑った。

「道場の先生が、弟子を捨てて来たか」

「宗次郎をどこへやった」

「逃げた」

「誰から」

 陣内の顔から笑みが消えた。

「我らではない」

「黒装束か」

「知っているのか」

「宗次郎が戻った」

 周囲の浪人たちがざわめいた。

 陣内の目が鋭くなる。

「生きているのか」

「それを案じる心が残っているなら、今すぐ刀を置け」

「話をすり替えるな」

 陣内は一歩前へ出た。

「我らは証文を焼く。御家人を借財から解き放つ」

「狙いは証文ではない」

「何」

「御救い米だ」

 浪人たちの間に、動揺が走った。

 全員が知っていたわけではない。

 新之介はそれを見逃さなかった。

「そなたたちは、何を焼くかも知らされていなかったのか」

「黙れ」

 陣内の声が低くなる。

「三番蔵には証文の控えがあると聞いた」

「誰から」

 陣内は答えない。

「三河屋か」

 何人かの浪人が顔を見合わせた。

 答えは出た。

 新之介は続けた。

「三番蔵にあるのは、火事や飢饉の折に町人へ配る米だ」

「嘘だ」

「蔵の札を見よ」

 戸の横に、幕府の御救い米であることを示す焼印がある。

 暗がりでは見えにくい。

 だが近づけば分かる。

 一人の若い浪人が提灯を上げた。

 印を見て、顔色を変える。

「陣内殿……」

「惑わされるな!」

「しかし、これは」

「中身を見なければ分からぬ!」

 陣内は怒鳴った。

 その声に、焦りが滲んでいる。

 新之介は静かに問うた。

「誰に命じられた」

「命じられてはいない」

「では、誰から三番蔵のことを聞いた」

「協力者だ」

「名は」

「言う必要はない」

「知らぬのではないか」

 陣内の頬が引きつった。

「顔を見たか」

「……」

「名を聞いたか」

「……」

「そなたも矢代と同じだ」

 陣内の手が刀の柄へかかった。

「その名を出すな」

「矢代左馬之助も、武士を正すつもりだった」

「矢代は幕府に利用された」

「そなたは札差に利用されている」

「違う!」

 陣内が刀を抜いた。

 刃が夜気を裂く。

「我らは誰にも使われぬ!」

「使われている者ほど、そう申す」

 新之介も抜いた。

 だが構えは低い。

 陣内だけを見てはならない。

 周囲には十人以上。

 蔵の陰にも気配がある。

 そして何より、火がある。

 蔵の戸近くには油樽が置かれていた。

 すでに縄へ油が染み込ませてある。

 火打石さえあれば、すぐに燃える。

「陣内」

「何だ」

「御家人を救いたいという思いまで、嘘とは申さぬ」

「ならば退け」

「だが、町人を飢えさせて武士を救う道はない」

「町人は米を買える」

「米価が上がれば買えぬ」

「武士も同じだ!」

 陣内の声が響く。

「禄米を安く買い叩かれ、銭を借り、利に追われる。町人は商いで銭を増やし、武士は家禄だけを頼りに痩せていく」

「だから米を焼くのか」

「米価が上がれば、禄を得る武士は救われる」

「一時だけだ」

「一時でもよい!」

「その一時のために、何人が腹を空かせる」

「大事の前の小事だ!」

 その言葉が出た瞬間、浪人たちの中に重い沈黙が落ちた。

 新之介は陣内を見つめた。

「それを口にした者たちを、私は何人も見てきた」

「……」

「幕府を守るため。武士を守るため。天下を守るため。皆、大きな言葉を使った」

 新之介は刀先を下げない。

「そして、そのたびに名もない者が斬られた」

 陣内の顔に迷いが浮かんだ。

 ほんの一瞬。

 だが、その一瞬を消すように、蔵の屋根から矢が飛んだ。

「伏せろ!」

 新之介が叫ぶ。

 矢は浪人の一人の背へ刺さった。

 男が倒れる。

 続けて二本、三本。

 矢は新之介だけでなく、真誠組の者たちも狙っていた。

「黒装束だ!」

 屋根の上に影が現れる。

 浅草の荒れ寺で浪人たちを襲った者と同じである。

 真誠組を御救い米の蔵へ導き、火をつけさせた後、全員を消す。

 そうすれば、困窮浪人の暴挙として始末できる。

「裏切られた!」

 若い浪人が叫んだ。

「違う!」

 陣内は怒鳴った。

「初めから利用されていたのだ」

 新之介の声が重なった。

 屋根上の黒装束が、火矢をつがえた。

 狙いは油樽。

「火を消せ!」

 新之介は走った。

 火矢が放たれる。

 刀で払う。

 矢は地面へ落ちたが、先端の火は消えない。

 一人の浪人が桶をかぶせた。

 空の桶だった。

「水がない!」

「川へ走れ!」

 新之介が叫ぶ。

 浪人たちの何人かが動いた。

 だが陣内は動かない。

 刀を構えたまま、屋根を見上げている。

「陣内!」

「……」

「そなたが集めた者だろう!」

 陣内の顔が歪んだ。

「命じる資格が、私にあると思うか」

「今さら何を申す」

「私はまた間違えた」

「ならば今、正せ!」

 新之介の声に、陣内は目を見開いた。

 次の瞬間、刀を納めた。

「川へ走れ!」

 陣内の命が飛ぶ。

「半纏を濡らせ! 油樽を蔵から離せ!」

 真誠組の浪人たちが一斉に動き始めた。

 敵だった者たちが、今度は蔵を守るために走る。

 だが屋根上の黒装束は容赦しない。

 矢が降る。

 鳶口を持った浪人が倒れる。

 別の者がその鳶口を拾い、油樽へ引っかけた。

「引け!」

 数人が縄を引く。

 油樽が蔵の戸から離れた。

 その時、屋根の陰から短筒が火を噴いた。

 銃声。

 油樽の一つが割れる。

 油が地面へ広がった。

 そこへ火矢が落ちる。

 炎が走った。

「下がれ!」

 新之介は浪人を突き飛ばした。

 炎が夜の地面を舐める。

 蔵の壁へ近づく。

 火が移れば終わる。

 新之介は自分の羽織を脱ぎ、火を叩いた。

 陣内も半纏を脱いで加わる。

「水はまだか!」

「来ます!」

 川から、浪人たちが桶を抱えて戻ってくる。

 水が浴びせられる。

 白い煙。

 火は弱まった。

 だが完全には消えない。

 地面に染みた油が、次々と炎を上げる。

 その時、遠くから本物の半鐘が鳴った。

 打ち方が違う。

 近くの火消し組が動いた合図である。

「辰蔵か」

 新之介は呟いた。

 再起館に残したはずの辰蔵。

 だが、あの男が黙って待つとは思えなかった。

 やがて路地の向こうから纏が現れた。

 町火消しが走ってくる。

 先頭には辰蔵。

「榊原様!」

「なぜ来た!」

「火の匂いがしたので!」

「まだ燃えていなかっただろう!」

「これから燃える匂いです!」

 無茶な理屈だった。

 だが今は頼もしい。

「蔵へ火を移すな!」

「分かっております!」

 火消したちは油の流れを読み、濡らした筵を地面へ広げた。

 水を直接かける者。

 油樽を川側へ転がす者。

 蔵壁を濡らす者。

 動きに迷いがない。

 浪人たちもそれに従う。

 刀を差した者と鳶口を持つ者。

 これまで交わることのなかった者たちが、同じ火へ向かっていた。

 ◇

 源太郎が町方を率いて到着した。

「榊原様!」

「屋根の上だ!」

 捕り方が蔵を囲む。

 黒装束たちは退き始めた。

「生け捕れ!」

 源太郎の声が飛ぶ。

 だが、敵は屋根伝いに逃げる。

 新之介は蔵脇の梯子へ飛びついた。

「榊原様、火は!」

「辰蔵に任せる!」

「私ですか!」

 辰蔵が怒鳴り返す。

「火消しだろう!」

「そうでした!」

 新之介は屋根へ上がった。

 瓦の上を黒装束が走っている。

 三人。

 そのうち一人が、腰に戸田家の紋をつけた脇差を差していた。

 宗次郎が持ち帰った黒鞘の刀と同じ拵え。

「待て!」

 一人が振り返り、短刀を投げた。

 新之介は身を沈める。

 短刀が瓦へ突き刺さる。

 足元が滑る。

 踏ん張れば瓦が崩れる。

 倒れ方を知れ。

 玄斎の教えが蘇った。

 新之介は無理に立て直さず、肩から屋根へ転がった。

 そのまま膝を立てる。

 黒装束が驚いた一瞬に間合いを詰めた。

 柄頭で腹を打つ。

 男が崩れる。

 残る二人は隣の蔵へ飛び移ろうとした。

 新之介も追う。

 一人は飛び移った。

 もう一人が振り返り、火薬玉を取り出す。

「やめろ!」

 火花。

 新之介は瓦を蹴った。

 男へ体ごとぶつかる。

 火薬玉が手を離れ、宙へ上がる。

 爆発。

 熱風が背中を叩いた。

 瓦が砕け、二人の身体が屋根を転がる。

 新之介は軒先で止まった。

 片腕が宙へ出る。

 下は地面。

 落ちればただでは済まない。

 黒装束も同じように軒へしがみついていた。

 覆面が外れ、顔が見える。

 見覚えがある。

 戸田家上屋敷で、病間へ案内した用人の一人だった。

「そなたは……」

 男の目に絶望が浮かぶ。

 新之介は片手で瓦を掴み、もう片方を伸ばした。

「手を出せ」

「なぜ」

「話してもらう」

「助けるのか」

「死なせぬだけだ」

 男は迷った。

 その時、隣の蔵から逃げた黒装束が振り返った。

 弓を構える。

 狙いは、ぶら下がる用人。

 口封じ。

「伏せろ!」

 伏せる場所はない。

 矢が飛ぶ。

 新之介は男の腕を掴み、強く引いた。

 矢は男の肩を貫いた。

 だが命は取らなかった。

 二人は屋根へ転がり上がった。

 源太郎の捕り方が隣の蔵へ回る。

 弓手は逃げようとしたが、陣内が下から投げた鳶口の縄が足へ絡んだ。

 男は屋根から落ちた。

 下に広げられていた濡れた筵の上へ叩きつけられる。

 生きている。

「捕えろ!」

 源太郎が縄を打たせた。

 ◇

 三番蔵の火は、半刻ほどで消し止められた。

 油に火がついたものの、蔵壁へ燃え移る前に火消したちが抑えた。

 御救い米は無事だった。

 倒れた浪人の中には重傷者もいた。

 だが死者は、思ったより少ない。

 辰蔵は煤だらけの顔で座り込んだ。

「危ないところでした」

「なぜ再起館を出た」

 新之介が問う。

「吉松が申しました」

「何と」

「榊原様は火の扱いを知らないから、ついていった方がよいと」

「あとで二人とも叱る」

「その前に礼を言っていただけると」

「それとこれとは別だ」

 辰蔵は笑った。

 源太郎は捕えた戸田家の用人を横たえ、医師に手当てをさせていた。

「名は沢井新八」

「戸田家で何の役を」

「蔵方の手配を扱っていたようです」

 新之介は沢井の前へ膝をついた。

「誰の命だ」

 沢井は苦しげに目を開けた。

「……申し上げられぬ」

「死なせぬ」

「話せば……家族が」

「家族はどこだ」

「知らぬ」

「人質か」

 沢井は目を閉じた。

 それが答えだった。

「戸田様の命ではないな」

 沢井の顔が歪む。

「違う……」

 新之介は息を吐いた。

 戸田備前守への疑いが一つ晴れた。

 だが家中に敵がいることは確かになった。

「誰だ」

「小林……伊織……」

 新之介の胸が冷えた。

 戸田が印籠の出所を調べさせた家中目付。

 小林伊織。

 戸田自身も、味方か敵か分からぬと言っていた男。

「小林が命じたのか」

「いいえ……」

「では」

「小林様は……捕えられた」

「誰に」

「家老……三宅主膳……」

 新之介は源太郎を見る。

 戸田家の家老。

 主人が病床にある今、家中を実質的に動かせる立場である。

「三宅が三河屋と通じているのか」

「借財整理で……戸田家も……」

 沢井は苦しげに息をした。

「戸田家にも借財があるのか」

 源太郎が問う。

 沢井は微かに頷いた。

「殿は……ご存じない」

 主君が他家の借財を正そうとする裏で、自らの家臣が家の借財を隠していた。

 御救い米を焼き、米価を上げる。

 戸田家の禄米の値も上がる。

 同時に三河屋が利益を得る。

 家老は家を守るために、主人の政を裏切った。

 また同じだった。

 家を守るという言葉の下で、民を犠牲にする。

「小林はどこだ」

「戸田家の……下屋敷」

「三宅は」

「今夜……殿を……」

 沢井の声が途切れた。

 新之介は身を寄せる。

「戸田様をどうする」

「病死に……」

 源太郎の顔色が変わった。

 戸田備前守は、まだ毒から完全に回復していない。

 今夜、病死に見せかけて殺す。

 そうすれば借財整理も止まり、家中の不正も隠せる。

「先生は三河屋だ」

 玄斎はまだ三河屋仁右衛門を押さえているはずだ。

「源太郎」

「はい」

「ここを任せる」

「戸田家へ行かれるのですね」

「そうだ」

「町方は武家屋敷へ容易に入れません」

「私も同じだ」

「では」

 新之介は黒鞘の刀を抜いた。

「戸田家の者を連れていく」

 沢井が目を開ける。

「立てるか」

「……無理です」

「ならば証だけ借りる」

 新之介は沢井の脇差と印籠を受け取った。

 家臣の証。

 だが門を通れる保証はない。

 陣内が近づいてきた。

 縄は打たれていない。

 しかし逃げる様子もない。

「私も行く」

「そなたは捕縛される身だ」

「分かっている」

「なぜ」

「利用された借りを返す」

「誰に」

 陣内は三番蔵を見た。

「ここにある米を食う者たちに」

 新之介はしばらく陣内を見た。

 信じてよいか。

 分からない。

 だが疑ったうえで使う。

「刀を置け」

 陣内の顔が強張る。

「この場でか」

「再起館ではない」

「ならばなぜ」

「戻るつもりがあるか確かめる」

 陣内は苦く笑った。

「片桐に教わった言葉か」

「私が教えた」

「そうか」

 陣内は刀を外し、源太郎へ差し出した。

「預ける」

 源太郎は受け取った。

「逃げれば斬ります」

「刀を持たぬ者を斬るのか」

「捕ります」

「町方らしい」

 陣内は新之介の隣へ並んだ。

「行こう」

 新之介は頷いた。

 その時、吉松の声がした。

「榊原様!」

 辰蔵の背後から顔を出す。

「なぜそなたまで!」

「荷車に隠れてました」

「今すぐ再起館へ戻れ!」

「片桐さんが目を覚ましました!」

 新之介の動きが止まる。

「何と申した」

「戸田様の屋敷へ行けって。それから」

 吉松は息を切らしながら続けた。

「黒い刀の柄の中を見ろって」

 新之介は黒鞘の刀を抜き、柄を確かめた。

 目釘を外す。

 柄を抜く。

 茎と柄木の間に、細く折られた紙が挟まっていた。

 急いで開く。

 戸田家家老・三宅主膳から三河屋仁右衛門へ宛てた書付。

 御救い米焼失後の米取引。

 戸田備前守の病没を見越した借財処理。

 そして最後に。

 ――今宵、亥の刻、主君の薬を改める。

 亥の刻。

 もう半刻もない。

 新之介は書付を懐へ収めた。

「吉松、宗次郎へ伝えよ」

「何を」

「拭き残しは、自分で拭けとな」

「それだけですか」

「戻ったら続きを申す」

 吉松は笑った。

「必ず戻ってください」

「できぬ約束はせぬ」

「知っています」

 新之介は戸田家上屋敷の方角を見た。

 三番蔵の火は消えた。

 だが本当の火元は、まだ残っている。

 家を守るために主君を殺そうとする家老。

 武士を救うために民の米を焼こうとした浪人。

 金を増やすために双方を利用した札差。

 皆、それぞれの正しさを口にする。

 だが、正しさが人の命を小さく扱った時、それはただの欲へ変わる。

「参るぞ」

 新之介は走り出した。

 陣内が続く。

 背後では源太郎が三番蔵の始末を命じ、火消したちが御救い米の無事を確かめている。

 夜空にはまだ煙が残っていた。

 その煙の向こうに、戸田家の屋根がある。

 亥の刻まで、あとわずか。

 今度守るのは、米ではない。

 一人の病んだ武士の命。

 そして、家を守るとは何かという、再び突きつけられた問いであった。

(第三十一章へ続く)

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