第百二章 帰らないという返事
大奥。
昼。
佐吉は。
門の前で。
立ち止まっていた。
二十二年。
妹を。
探した。
死んだと思ったことも。
何度もあった。
生きていると。
信じた夜も。
あった。
そして。
ようやく。
見つかった。
現在の名。
お藤。
だが。
佐吉は。
門を。
叩けない。
「佐吉殿」
新之介が。
少し離れて。
立っている。
「何です」
「帰りますか」
佐吉が。
振り向く。
「ここまで来て?」
「はい」
「ひどい人ですね」
「よく言われます」
「会わせようとは」
「言わない?」
「本人へ」
「先に聞いています」
佐吉の顔が。
強張る。
「返事は」
「まだです」
◇
大奥の中。
お藤は。
一枚の紙を。
見つめていた。
――佐吉。
――帰国。
――本人。
――兄を名乗る。
――面会希望。
その下。
清太郎の字。
――面会を受けるかは。
――本人意思による。
お藤は。
長く。
紙を見た。
「兄さん」
声。
小さい。
隣。
志乃。
「兄上と」
「分かりますか」
「名前は」
「覚えている」
「顔は」
「分からない」
「最後に会ったのは」
「十四の時」
「はい」
「私は」
「今」
「三十六」
「はい」
「二十二年」
お藤が。
少し笑う。
「兄さんは」
「私を」
「十四のまま」
「探したのかしら」
志乃は。
答えなかった。
「たぶん」
「そうです」
「でも」
「会えば」
「違うと」
「分かります」
お藤が。
目を伏せる。
「それが」
「怖い」
◇
「私は」
お藤が言う。
「さよだった」
「はい」
「十四まで」
「はい」
「その後」
「お澄」
「お藤」
「別の名」
「いくつも」
「はい」
「兄さんは」
「さよを」
「探していた」
「そうです」
「でも」
「さよは」
「もう」
「十四ではない」
「はい」
「では」
「会ったら」
「兄さんは」
「誰を見るの」
志乃が。
少し考えた。
「最初は」
「昔のさよさんを」
「見ると思います」
「やはり」
「でも」
「それだけなら」
「会わなくてよいと思います」
お藤が。
志乃を見る。
「厳しいのね」
「家族だから」
「何でも戻る」
「そういう話では」
「ないので」
◇
「私は」
お藤が。
紙へ触れる。
「会いたい」
「はい」
「でも」
「戻りたくない」
「どこへ」
「兄の妹へ」
「……」
「私は」
「お藤として」
「生きた時間も」
「捨てたくない」
「はい」
「さよだったことも」
「消したくない」
「はい」
「なら」
「二つ」
「残せばよいのでは」
お藤が。
少し笑う。
「新之介殿みたいなことを」
「最近」
「皆」
「言います」
◇
返事。
門外。
新之介が。
佐吉へ。
「面会を」
「受けるそうです」
佐吉の。
膝が。
少し崩れる。
「本当ですか」
「はい」
「今すぐ?」
「一つ」
「条件があります」
「何です」
「佐吉殿は」
「さよ殿へ」
「昔の家へ戻れと」
「言わない」
佐吉が。
完全に。
黙る。
「それは」
「……」
「難しい?」
「分かりません」
「では」
「今」
「決めなくても」
「よいです」
「でも」
「言わないことを」
「約束できなければ」
「今日は」
「会わない」
「そういうこと?」
「はい」
◇
佐吉は。
門を見る。
二十二年。
妹を。
連れ戻すことだけを。
考えてきた。
父の店。
母。
家。
昔。
そこへ。
妹を。
戻す。
それが。
正しいと。
思っていた。
「私は」
佐吉が言う。
「帰ってきたら」
「妹と」
「暮らせると」
「思っていました」
「はい」
「それを」
「望んでは」
「いけない?」
「望むのは」
「よいと思います」
「でも」
「妹君が」
「同じように」
「望むとは」
「限りません」
佐吉の目が。
赤くなる。
「分かっています」
「本当に?」
「……」
「分かりたくない」
「はい」
◇
「それでも」
佐吉は。
深く。
息を吐く。
「言いません」
「何を」
「戻れとは」
「はい」
「それだけは」
「約束します」
「分かりました」
◇
面会場所。
大奥ではない。
城の。
小さな。
中庭。
外でも。
内でもない。
また。
間。
佐吉。
新之介。
少し離れて。
志乃。
そして。
お藤。
歩いてくる。
佐吉は。
最初。
気づかない。
三十六の女。
姿勢。
声。
目。
十四の。
妹とは。
違う。
だが。
女が。
佐吉を見て。
一度だけ。
眉を。
左へ寄せた。
佐吉の顔が。
崩れる。
「さよ」
女が。
止まる。
◇
長い。
沈黙。
「兄さん」
それだけ。
佐吉が。
一歩。
出る。
止まる。
「触れても」
お藤が。
首を振る。
「今は」
「やめて」
佐吉の手が。
落ちる。
「分かった」
◇
「生きていた」
「はい」
「本当に」
「生きていた」
「はい」
「私は」
「二十二年」
「探した」
「知りました」
「誰から」
「新之介殿」
「私は」
「そなたを」
「守れなかった」
お藤の顔が。
少し。
硬くなる。
「兄さん」
「何」
「最初に」
「それを」
「言わないで」
佐吉が。
止まる。
「なぜ」
「私を」
「守れなかった兄」
「私を」
「守る兄」
「それだけで」
「話したくない」
「では」
「何と」
「佐吉として」
「話して」
◇
佐吉は。
しばらく。
言葉を。
探した。
「私は」
「怖かった」
「何が」
「そなたが」
「死んだこと」
「はい」
「それ以上に」
「私を」
「忘れたことが」
「怖かった」
お藤の目が。
揺れる。
「忘れていません」
「本当?」
「はい」
「名前も?」
「佐吉」
「父」
「又兵衛」
「母」
「お千代」
「店の裏」
「雨が降ると」
「水が溜まる」
「兄さんは」
「私の草履を」
「勝手に履いて」
「よく怒られた」
佐吉が。
笑った。
泣きながら。
「覚えている」
「はい」
◇
「でも」
お藤が続ける。
「私は」
「さよだけでは」
「ありません」
「はい」
「お澄と呼ばれた」
「はい」
「その名で」
「榊家へ」
「近づいたこともある」
新之介の。
目が。
僅かに動く。
「母上へ?」
「違います」
「亡くなったお澄様の」
「声を」
「真似ました」
「誰の命で」
「最初は」
「御影」
「その後」
「自分で」
新之介が。
止まる。
「自分で?」
「はい」
「なぜ」
「榊家の中で」
「新三郎様の記録を」
「探したかった」
「何」
◇
「私は」
お藤が言う。
「十四で」
「連れて行かれた」
「声が」
「お澄様に似ていると」
「言われた」
「誰に」
「沢渡玄隆」
「城の?」
「はい」
「最初」
「私は」
「嫌だった」
「でも」
「その場所で」
「新三郎という子が」
「昔」
「消されたと」
「知った」
「はい」
「さらに」
「自分のような子が」
「何人もいると」
「知った」
「それで」
「お澄を」
「続けた?」
「はい」
「榊家へ」
「出入りできるから」
「誰に」
「聞いた?」
お藤が。
目を伏せる。
「聞きませんでした」
◇
新之介は。
何も。
責めなかった。
「私は」
お藤が続ける。
「榊家の人を」
「騙した」
「はい」
「その中には」
「そなたも?」
「あります」
新之介が。
顔を上げる。
「私は」
「母上だと」
「思ったことが?」
「幼い頃」
「一度だけ」
新之介の。
記憶。
薄い。
夜。
女の声。
――新之介。
――眠りなさい。
母だと。
思った。
だが。
顔は。
覚えていない。
「そなた?」
「はい」
「何歳でした」
「十六」
「では」
「私より」
「少し上」
「はい」
◇
佐吉が。
お藤を見る。
「そなたは」
「そんなことを」
「二十二年」
「していた?」
「ずっとではない」
「では」
「その後」
「大奥」
「はい」
「何のため」
「声を」
「集めた」
「何を」
「家慶」
「家定」
「御台所」
「奥女中」
「それぞれ」
「誰かが」
「別の人へ」
「できるように」
「……」
「兄さん」
「何」
「怒ってよい」
佐吉の。
拳が。
握られる。
「怒っています」
「私に?」
「分からない」
「……」
「そなたを」
「連れて行った者」
「そなたを」
「使った者」
「そなたが」
「他人を」
「使ったこと」
「全部」
「一緒になって」
「腹が立つ」
「はい」
「でも」
「そなたを」
「嫌いかは」
「分からない」
お藤の。
目から。
涙。
「それで」
「十分です」
◇
「なぜ」
佐吉が問う。
「お藤」
「今の名?」
「はい」
「誰が」
「付けた」
「自分で」
佐吉が。
少し驚く。
「本当に?」
「最初に」
「お藤と」
「呼んだ人は」
「いました」
「でも」
「その後」
「自分で」
「残しました」
「なぜ」
「藤は」
「何度切っても」
「また伸びるから」
佐吉が。
笑う。
「そなたらしい」
「十四の私しか」
「知らないのに?」
「そうだった」
「強かった」
「違います」
「何が」
「怖がりでした」
「今も?」
「今も」
「なら」
「そこは」
「変わっていない」
◇
お藤が。
佐吉を見る。
「兄さん」
「何」
「私は」
「家へ」
「戻りません」
佐吉の。
顔が。
一瞬。
止まる。
約束。
戻れとは。
言わない。
佐吉は。
目を閉じる。
「分かった」
短い。
それだけ。
お藤が。
驚く。
「本当に?」
「言いたいことは」
「あります」
「何」
「一緒に」
「暮らしたい」
「はい」
「店は」
「もうない」
「父も」
「母も」
「いない」
「でも」
「そなたが」
「いるなら」
「家族を」
「もう一度」
「作れると」
「思っていた」
お藤の。
目が。
濡れる。
「私も」
「少し」
「思います」
佐吉が。
顔を上げる。
「でも」
「今すぐは」
「戻らない」
「はい」
「それでも」
「手紙を」
「書いてもよい?」
お藤が。
少し笑う。
「はい」
◇
新之介は。
そっと。
離れる。
志乃も。
同じ。
「よいのですか」
志乃が。
小声。
「何が」
「聞かなくて」
「家族の話です」
「でも」
「記録は」
「本人たちが」
「後で」
「残したい範囲を」
「決めればよい」
「珍しい」
「何が」
「見ない」
「聞かない」
「私も」
「少しは」
「学びます」
◇
その夜。
佐吉。
再起館へ。
戻る。
お藤は。
大奥に残る。
だが。
別れる時。
佐吉が。
一度。
振り返る。
「さよ」
お藤も。
振り返る。
「何」
「その名で」
「呼ばれて」
「嫌だったか」
お藤は。
少し考えた。
「兄さんに」
「呼ばれるなら」
「嫌ではない」
「では」
「また」
「私だけ?」
「今は」
「はい」
◇
清太郎の。
新しい記録。
――現名。
――お藤。
――出生名。
――さよ。
――本人。
――双方を否定せず。
――公的呼称、お藤を希望。
――兄佐吉からの私的呼称、さよを許可。
「そこまで」
新之介が言う。
「書く必要あります?」
清太郎が。
顔を上げる。
「本人が」
「書いてほしいと」
「申しました」
「なら」
「はい」
◇
「次」
家定が言う。
「何です」
「お藤殿が」
「お澄役で」
「榊家へ」
「入った件」
「はい」
「見分しますか」
「本人が」
「話す意思を」
「示しています」
「では」
「新三郎殿」
「宗次郎殿」
「新之介殿」
「影響を」
「受けた人」
「はい」
「ただし」
新之介。
「母上のお澄と」
「お藤殿を」
「一つにしない」
「もちろん」
「そして」
「お藤殿が」
「命じられてしたことと」
「自分で続けたことを」
「分ける」
「はい」
◇
翌日。
榊家。
宗次郎。
新三郎。
新之介。
お藤。
佐吉は。
本人の希望で。
来ない。
「なぜ」
宗次郎が問う。
「兄さんは」
「今」
「私の話を」
「全部」
「背負おうとするから」
「だから」
「来ないでと」
「言いました」
「本人は」
「納得」
「していない」
「でも」
「来ない」
「はい」
新之介が。
小さく頷く。
「それも」
「選びです」
◇
「私は」
お藤が。
宗次郎を見る。
「お澄様の声を」
「使いました」
「ああ」
「そなたを」
宗次郎の顔が。
歪む。
「覚えている」
「いつ」
「新之介が」
「六つくらい」
「夜」
「廊下」
「お澄の声」
「私は」
「死んだ妻が」
「戻ったと」
「思った」
お藤の目が。
揺れる。
「すみません」
宗次郎が。
すぐには。
答えない。
「誰の命」
「最初」
「沢渡」
「目的」
「宗次郎様が」
「何を」
「お澄様について」
「隠しているか」
「聞く」
「何を聞いた」
「新三郎様」
「はい」
「お澄様が」
「どこまで」
「探していたか」
◇
「その後」
新三郎が問う。
「自分で」
「続けた?」
「はい」
「なぜ」
「新三郎様の」
「生存記録を」
「探すため」
「私を?」
「はい」
「会ったことは」
「ないのに」
「お澄様の日記を」
「一部」
「読んだ」
「どこで」
「沢渡のところ」
「それで」
「母上の代わりに」
「私を」
「探した?」
「違います」
お藤が。
はっきり言う。
「何が」
「私は」
「お澄様ではない」
「はい」
「代わりでも」
「ない」
「はい」
「でも」
「日記を読んで」
「その子が」
「どこへ消えたか」
「知りたくなった」
「それだけです」
新三郎が。
長く。
お藤を見る。
「それで」
「十分です」
◇
宗次郎が。
低く。
「私は」
「そなたへ」
「何を」
「話した」
「新三郎様を」
「探すのを」
「一年で」
「やめたこと」
「……」
「お澄様へ」
「もう新之介がいると」
「言ったこと」
「……」
「なぜ」
「知っている」
「そなたが」
「私に」
「話したからです」
宗次郎が。
顔を覆う。
「私は」
「妻の声だと」
「思って」
「話した」
「はい」
「なら」
「そなたは」
「私を」
「騙した」
「はい」
「でも」
「その情報が」
「新三郎の行方を」
「探す助けにも」
「なった」
「少し」
「はい」
宗次郎が。
長く。
黙る。
「私は」
「今」
「そなたへ」
「何と言えばよい」
「分かりません」
「私も」
「分からない」
◇
新之介は。
そこで。
口を出さなかった。
宗次郎が。
自分で。
続ける。
「腹は立つ」
「はい」
「妻の声を」
「使われたこと」
「はい」
「でも」
「そなたが」
「それを」
「ずっと」
「望んでいたわけではない」
「はい」
「それでも」
「途中から」
「自分で続けた」
「はい」
「そこは」
「そなたの行い」
「はい」
「なら」
宗次郎は。
息を吐く。
「今は」
「それだけ」
「残してくれ」
清太郎。
筆。
◇
見分。
終わる。
お藤が。
帰ろうとする。
「お藤殿」
新三郎が呼ぶ。
「はい」
「一つ」
「何です」
「母の声を」
「今」
「出せますか」
部屋が。
止まる。
お藤の顔が。
硬くなる。
「なぜ」
「一度」
「聞きたい」
「新三郎」
宗次郎が。
低く言う。
「やめろ」
「分かっています」
「無理なら」
「よい」
お藤は。
長く。
新三郎を見る。
「私は」
「嫌です」
新三郎が。
目を閉じる。
「分かりました」
「でも」
お藤が続ける。
「何です」
「お澄様の」
「本当の声を」
「私が」
「知っていると思わないでください」
「何」
「私は」
「記録された声を」
「教えられた」
「癖」
「高さ」
「息」
「でも」
「それが」
「お澄様の全部ではない」
新三郎が。
ゆっくり頷いた。
「そうですね」
「だから」
「聞かない方が」
「よい」
「はい」
◇
その日の夕刻。
仮交渉会議。
次回。
大きな議題。
港。
通商。
漂流者。
帰国。
そして。
代表。
家定が。
紙を見る。
「新之介殿」
「はい」
「そろそろ」
「決めなければ」
「何を」
「今後」
「誰が」
「どこまで」
「国の決定を」
「担うか」
「はい」
「将軍制を」
「どうするか」
部屋が。
静かになる。
家定が。
以前。
言った。
――将軍を私の代で終わらせます。
あの言葉。
ここへ。
戻ってきた。
◇
「家定殿」
新之介が問う。
「今も」
「終わらせたい?」
「はい」
「将軍そのものを?」
家定は。
少し考える。
「前は」
「そう思っていました」
「今は」
「違う?」
「はい」
「私は」
「将軍という名を」
「消せば」
「一人へ集まる権力も」
「消えると思っていた」
「はい」
「でも」
「海の御影も」
「代政案も」
「二十八人も」
「将軍なしで」
「同じことを」
「作った」
「はい」
◇
「だから」
家定は。
ゆっくり。
「名を」
「消すだけでは」
「足りない」
「はい」
「役を」
「狭くする」
「期限を」
「置く」
「当事者へ」
「聞く」
「反対を」
「残す」
「そして」
「降りる道を」
「先に作る」
「はい」
「なら」
「将軍という役も」
「それを」
「できる?」
阿部が。
息を呑む。
「将軍を」
「期限付きに?」
「あるいは」
家定。
「範囲付きに」
◇
家慶甲が。
長く。
黙っていた。
「私が」
全員。
見る。
「将軍を」
「捨てろと」
「言われれば」
「以前の私は」
「拒んだ」
「はい」
「家定」
「でも」
「今」
「そなたが」
「将軍を」
「消さず」
「人を守るための」
「一つの役へ」
「戻すなら」
家慶甲。
自分の印を。
見る。
「私は」
「それを」
「見たい」
◇
「では」
阿部が問う。
「何を」
「将軍に」
「残す」
沈黙。
「外交の」
「最終署名?」
源七。
「軍の」
「総指揮?」
水野。
「大名統制?」
阿部。
「裁判?」
「税?」
「救済?」
次々。
出る。
家定は。
首を振る。
「全部」
「いったん」
「分けましょう」
新之介が。
少し笑う。
「かなり」
「影響を受けましたね」
「嬉しくありません」
水野が。
思わず。
「それは私の台詞だ」
◇
清太郎。
大紙。
――将軍権限見分。
一。
外交。
二。
海防。
三。
諸大名間調整。
四。
救済。
五。
裁許。
六。
財政。
七。
人事。
八。
非常時命令。
九。
儀礼。
十。
その他。
「その他が」
大きすぎる」
志乃。
「はい」
清太郎。
「では」
「その他は」
「原則なし」
「必要時」
「その都度」
「追加見分」
◇
「いつまで」
家定が問う。
「これを」
「続ける」
「仮で」
新之介。
「半年」
阿部が。
「短い」
「だから」
「見直す」
「誰が」
「今日の人だけでは」
「ない」
「町」
「藩」
「寺」
「農」
「商」
「海」
「帰国者」
「女性」
「家臣」
「可能な範囲で」
「入れる」
「国中?」
「一度には」
「無理です」
「では」
「最初の半年」
「試す」
「はい」
◇
「家定殿」
新之介が問う。
「その半年」
「将軍を」
「担いたいですか」
部屋。
静かになる。
家定。
逃げられない。
自分が。
言い出した。
「はい」
「なぜ」
「終わらせるためでは」
「なく」
「変える側の」
「責任を」
「負いたい」
「はい」
「でも」
「半年後」
「必ず」
「見分を受ける」
「はい」
「降ろされる可能性も」
「はい」
「それでも」
「はい」
◇
「では」
家慶甲が言う。
「私は」
「何をする」
家定が。
父を見る。
以前なら。
父。
将軍。
大御所。
上。
下。
それだけ。
「見届けてください」
「何を」
「私が」
「また」
「一人へ」
「戻ろうとした時」
「止める」
「それが」
「私の役?」
「いいえ」
家定が。
少し笑う。
「父上として」
「言ってください」
家慶甲の顔が。
僅かに。
崩れる。
「それは」
「役より」
「難しいな」
「はい」
◇
その夜。
新之介は。
一人。
江戸城の廊下。
歩く。
百二章。
始まりから。
多く。
遠くへ。
来た。
最初。
偽物を。
斬れば。
終わると。
思っていた。
誰が。
本物か。
決めれば。
秩序が。
戻ると。
どこかで。
思っていた。
だが。
本物を。
決めるために。
人が。
消されていた。
役を。
守るため。
名が。
使われた。
人を。
守るために。
作られた仕組みが。
いつか。
仕組み自身を。
守り始めた。
◇
「榊原」
後ろ。
玄斎。
「先生」
「誰が先生だ」
「竹吉殿が」
「まだ呼んでいます」
「そなたまで」
「やめろ」
「膝は」
「悪い」
「知っています」
「聞くな」
◇
二人。
並ぶ。
「終わりが」
玄斎が言う。
「見えたか」
「少し」
「何を」
「将軍?」
「御影?」
「沢渡?」
「全部?」
「いいえ」
「では」
「この話の」
「終わりです」
玄斎が。
新之介を見る。
「何だ」
「この話は」
「誰かを」
「倒して」
「終わる話では」
「なかった」
「ああ」
「なら」
「何で」
「終わると思います」
玄斎は。
しばらく。
黙る。
「人が」
「役より」
「先へ戻った時だろう」
新之介が。
少し笑う。
「私も」
「そう思います」
◇
「では」
「そなたは」
「何へ戻る」
玄斎が問う。
新之介が。
止まる。
「私?」
「皆へ」
「戻る場所を」
「作っておいて」
「自分は」
「ずっと」
「榊原新之介という」
「役のままでは」
「ないのか」
その言葉。
新之介の胸へ。
刺さる。
「私は」
「榊原新之介です」
「名を聞いておらぬ」
「では」
「何を」
「役が」
「終わった後」
「何をしたい」
◇
新之介は。
答えられなかった。
剣。
調べ。
御影。
偽者。
城。
海。
帳面。
ずっと。
誰かの。
問題。
自分が。
何をしたいか。
ほとんど。
考えたことがない。
「分かりません」
玄斎が。
笑った。
「ようやく」
「何が」
「そなたも」
「未定か」
「腹が立ちますね」
「便利だろう」
「はい」
◇
翌朝。
米利堅側から。
最後の。
大きな申し出。
港を。
二港。
開く。
交易は。
限定。
漂流民。
帰国者。
原則。
帰還路を。
確保。
そして。
次。
――日本側の。
――最終決定期限。
――七日後。
家定が。
紙を見る。
「七日」
「はい」
阿部。
「短い」
「だが」
「無視できぬ」
◇
「七日で」
家定が。
新之介を見る。
「決めます」
「何を」
「港」
「交易」
「帰国」
「そして」
「日本側の」
「決め方」
「はい」
「これを」
「最初の」
「新しい仕組みの」
「試しにする」
「危険です」
「分かっています」
「失敗するかも」
「はい」
「それでも」
「やる?」
「はい」
家定の顔は。
もう。
将軍の子の。
顔ではない。
一人の。
決める側へ。
立とうとする。
人間の顔だった。
◇
「新之介殿」
「はい」
「最後まで」
「一緒に」
「来てください」
新之介は。
すぐには。
答えなかった。
「役として?」
家定が。
少し笑う。
「違います」
「では」
「何として」
「榊原新之介として」
新之介は。
少し。
考える。
「その名前で」
「よいのですか」
「そなたが」
「今」
「そう呼ばれたいなら」
新之介は。
刀の柄へ。
触れる。
かつて。
偽物を。
斬るために。
持っていた刀。
今は。
境界を。
切るためにも。
使った。
そして。
もしかすると。
もう。
斬る相手は。
いない。
「はい」
新之介が答える。
「では」
「榊原新之介として」
「最後まで」
「見ます」
七日。
その先。
刀影の物語は。
ようやく。
終わりへ。
向かい始めた。
(第百三章へ続く)

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