東野圭吾を模倣し、元首相暗殺事件を題材にしたオリジナル小説『二発目の空白』第八章

目次

第八章 観測者の席

1

高瀬浩二の遺留品は、全部で二十三点あった。

財布。

携帯電話。

鍵。

眼鏡。

薬。

ボールペン。

手帳。

充電器。

腕時計。

そして、

黒いバンド。

午前九時十二分。

真壁修司は京都府警から送られてきた遺留品写真を、一枚ずつ確認していた。

隣に野村亮介。

向かいには岸田。

三人だった。

真壁は岸田の顔を見た。

前夜から、何度目かわからない。

岸田は気づいていた。

「何だ」

「いえ」

「俺を疑ってるなら言え」

野村が視線を落とした。

真壁は答えた。

「疑っています」

岸田は怒らなかった。

「理由は」

「四年前、事件直後に俺の肩を叩いたのは岸田さんです」

「ああ」

「覚えてますか」

「当然だ」

「そのとき、後ろに誰かいた」

岸田の目がわずかに動いた。

「誰です」

「……覚えてない」

「本当に?」

「真壁」

岸田は低い声で言った。

「お前が俺を疑うのは構わん。ただし、俺の記憶にも四年経ってることを忘れるな」

「わかっています」

「なら、質問を変えろ」

真壁は少し考えた。

「事件直後、県警本部に警察関係者以外の人間はいましたか」

岸田が腕を組む。

「いた」

「誰です」

「警察庁。県庁。警備関係。報道対応。いろいろだ」

「研究者は」

岸田の表情が変わった。

野村が顔を上げる。

「研究者?」

「いたんですか」

岸田はすぐには答えなかった。

「一人いた」

真壁の心拍が速くなる。

「名前」

「思い出せん」

「所属は」

「大学じゃなかった」

「では?」

岸田は額に手を当てた。

「研究所……いや、財団だったか」

「何の研究」

「映像だったと思う」

野村が立ち上がった。

「いつからいたんです」

「事件のあとだ」

「何時?」

「正確には覚えてない」

真壁は岸田を見る。

「二発目の直後?」

「そんなに早くない」

岸田は言った。

「県警本部で俺がお前に会ったときには、いた」

真壁の記憶。

廊下。

岸田。

その後ろ。

スーツ姿の男。

左手首。

黒いバンド。

「名前を思い出してください」

「待て」

岸田は目を閉じた。

数秒。

「水島」

真壁と野村が同時に反応した。

「下の名前は」

「確か……」

岸田はゆっくり言った。

「水島圭介」

2

検索。

警察データベース。

該当なし。

一般公開情報。

該当する人物が多すぎる。

研究者。

映像。

認知。

絞る。

一人。

水島圭介。

当時五十二歳。

一般財団法人・情報行動研究機構。

主任研究員。

専門。

映像情報と集団行動。

野村が画面を読む。

「情報行動研究機構……」

「知ってるか」

「名前だけ」

「何をしてる」

「映像とかSNSとか、情報が人間の行動にどう影響するかを研究していた団体みたいです」

「いた?」

真壁が訊く。

野村がスクロールする。

「二〇二三年に解散してます」

また。

消えている。

「水島は」

「退職後の記録が出ません」

「死亡?」

「死亡届はない」

「住所」

「二〇二二年までは東京」

「その後」

「転出記録……」

野村の指が止まる。

「京都」

真壁は黙った。

京都。

また。

岸田が言った。

「写真はあるか」

研究機構の古い広報資料。

集合写真。

野村が拡大する。

「この人ですか」

岸田が見る。

五十代。

細身。

眼鏡。

穏やかな顔。

岸田が首を振った。

「違う」

「違う?」

「あの日、俺の後ろにいたのはこいつじゃない」

真壁が画面を見る。

「同姓同名?」

「わからん」

「でも岸田さんは水島と呼んでいた?」

「そう記憶してる」

真壁は考える。

名前。

顔。

役割。

《名前は記録を作るための道具にすぎない》

秋月の写真に残されていた言葉。

「また名前を借りてる」

野村が言った。

真壁は頷いた。

「水島圭介という実在人物がいる」

「でも県警に来た男は別人」

「おそらく」

岸田が顔をしかめる。

「俺は身分証を見たはずだ」

「その記録は」

調べる。

来庁者記録。

二〇二二年七月八日。

水島圭介。

午後零時四十六分。

情報行動研究機構。

訪問先。

奈良県警。

面会者。

岸田。

「俺が許可してる」

岸田が呟いた。

電子承認。

本人。

「覚えてますか」

「承認した記憶はない」

三人が黙った。

真壁が言った。

「俺だけじゃなかった」

「何が」

「記録によって記憶を作られた人間」

岸田が真壁を見る。

「岸田さんもです」

3

黒いバンドの解析結果は、昼前に届いた。

スマートウォッチではなかった。

市販の健康機器でもない。

内部には小型メモリー。

無線通信モジュール。

加速度センサー。

そして、

ボタンが一つ。

野村が報告書を読む。

「映像は撮れない」

「音声は」

「マイクがあります」

「録音機か」

「それだけじゃないです」

「何だ」

「近距離の端末識別情報を記録できる」

真壁は眉を寄せた。

「簡単に言え」

「周囲にどんな機器があったかを記録できる装置です」

「人じゃなく機械を見てた?」

「そうなります」

高瀬のバンド。

四年前の男のバンド。

同じものなら。

観測していたのは人間の行動だけではない。

スマートフォン。

カメラ。

録音機。

どの機器が、

いつ、

どこに存在したか。

「メモリーの中身は」

「大半が消去されています」

「大半?」

「一部だけ復元できました」

画面。

数字の羅列。

時刻。

端末ID。

受信強度。

真壁には意味がわからない。

だが野村の顔が変わった。

「これ……」

「何だ」

「二〇二二年七月八日のデータがあります」

「事件当日?」

「はい」

午前十一時二十分。

十一時二十一分。

二十二分。

二十三分。

複数の端末。

そして、

十一時三十一分。

記録が集中している。

「場所はわかる?」

「GPSはない。でも周囲の機器情報から推定できるかもしれません」

野村が解析を始める。

一つの端末ID。

真壁が訊く。

「これは」

野村が調べる。

「警察支給端末です」

「誰の」

照合。

真壁修司。

真壁は椅子から立った。

「俺の携帯?」

「はい」

「場所は」

野村が別の端末と比較する。

地下駐車場の精算システム。

同時刻。

「地下です」

真壁は息を吐いた。

初めてだった。

映像ではない。

写真でもない。

記憶でもない。

別系統の記録が、

事件発生時に真壁が地下駐車場にいたことを示している。

「これで証明できる」

野村が言った。

「まだだ」

「でも」

「一つの記録で結論を出すな」

葛城の言葉。

複数のものが一致する地点だけを信じろ。

「ほかを探せ」

さらに照合。

駐車場の入庫記録。

警察車両の位置履歴。

基地局。

少しずつ。

三つ。

四つ。

独立した記録。

午前十一時三十一分。

真壁は地下駐車場にいた。

野村が椅子にもたれた。

「じゃあ、地上の真壁さんは」

「別人だ」

十八本目。

十九本目。

事件現場の真壁。

替え玉。

これで初めて、

その可能性が証拠に近づいた。

だが真壁は喜べなかった。

「問題は」

岸田が言った。

「なぜお前の替え玉を現場に置いたかだ」

真壁は頷いた。

そこだった。

4

午後一時二十分。

山根徹の意識が戻った。

命に別状なし。

真壁と野村は病院へ向かった。

病室の前には警察官。

今度は誰も信用できない。

真壁は配置された二人の身元をその場で確認した。

病室。

山根は青白い顔で横になっていた。

「しぶといですね」

野村が言った。

山根が薄く笑う。

「褒め言葉として受け取ります」

真壁は椅子へ座った。

「誰にやられた」

「顔は見てません」

「嘘をつくな」

「本当です」

「知ってる相手だった」

「声を知っていただけです」

「誰」

山根は黙る。

「水島圭介か」

山根の瞳が動いた。

真壁は見逃さない。

「そうなんだな」

「その名前をどこで」

「岸田が思い出した」

山根は天井を見る。

「岸田さん……」

「水島とは何者だ」

「名前です」

「それはもう聞いた」

「なら答えも知ってるでしょう」

「役割は」

山根は少し考えた。

「管理者」

野村が訊く。

「何を管理するんです」

「観測を」

「秋月教授より上?」

「上下ではありません」

「高瀬より?」

「役割が違う」

真壁が訊く。

「お前は観測者」

「はい」

「秋月は」

「設計者」

「高瀬」

「編集者」

「水島」

「管理者」

「葛城」

山根が真壁を見る。

「予定外です」

「何?」

「葛城さんは計画に入っていなかった」

真壁の眉が動く。

「じゃあ俺は」

「対象」

「野村は」

「対象」

「葛城はなぜ巻き込まれた」

「あなたが話したからです」

真壁は黙った。

「四年前、あなたは予告めいた情報を受け取った」

山根が言う。

「本来なら一人で反応を観測する予定だった」

「俺が葛城に相談した」

「そうです」

「それで?」

「計画が崩れた」

「だから葛城を死んだことにした?」

山根は答えない。

「事故は偶然か」

「事故そのものは」

山根は言った。

「偶然です」

「その事故を利用した?」

「はい」

真壁の拳に力が入った。

「石倉雅人という人間が死んだ」

「知っています」

「その遺体を葛城として処理した」

「私は関与していません」

「水島か」

沈黙。

真壁は続ける。

「高瀬が編集した?」

山根はゆっくり首を振った。

「高瀬さんは、その段階で降りようとしていました」

「じゃあ誰だ」

「管理者です」

水島。

「本物の水島圭介は?」

「知りません」

「名前を使われただけ?」

「おそらく」

「管理者の本名」

「知りません」

「顔」

「何度も見ました」

「写真は」

「ありません」

「似顔絵を作れるか」

山根は少し笑った。

「それができれば、四年前に終わっています」

「どういう意味だ」

「会うたびに顔が違った」

野村が眉を寄せる。

「変装?」

「髪型、眼鏡、体重、姿勢。大きくは変えていない。でも印象が違う」

「そんなことで?」

山根は野村を見る。

「あなたの専門でしょう」

野村は黙った。

「人間は顔を写真のように覚えない」

山根が言う。

「特徴を覚える。眼鏡。髪。声。服。役割」

真壁が訊く。

「何なら変わらなかった」

山根は答えた。

「左手です」

「黒いバンド?」

「はい」

「何のための装置だ」

山根の表情が変わった。

「見つけたんですか」

「高瀬の遺留品から」

「中身を見た?」

「ああ」

山根は目を閉じた。

「なら、もう時間がない」

「何が」

「それは観測装置じゃありません」

野村が言った。

「でも周囲の端末を記録してる」

「それは副機能です」

「本当の機能は」

山根が真壁を見る。

「同期です」

5

「何を同期する」

真壁が訊いた。

「記録です」

「具体的に」

「カメラ、スマートフォン、ICレコーダー、入退室端末」

山根はゆっくり話す。

「複数の機器が同じ出来事を記録すると、普通は微妙に時間がずれる」

「それを合わせる?」

「はい」

野村が言った。

「でも、それだけなら珍しくない」

「そうです」

山根は頷く。

「問題は、何を基準に合わせるかです」

真壁は嫌な予感がした。

「水島が基準を作った?」

「管理者が」

山根は訂正した。

「一つの基準時刻を決め、すべての記録をそこへ寄せる」

「何のために」

「比較するためです」

「何を」

「人間の記憶と、機械の記録を」

真壁は黙った。

野村が訊く。

「8分32秒は?」

山根の表情が止まった。

「知ってるんですね」

「何だ」

山根はすぐには答えない。

真壁が身を乗り出した。

「高瀬は時間じゃないと言った」

「その通りです」

「事件番号832?」

「それも後から付けた名前です」

「じゃあ本当は何だ」

山根は天井を見た。

「八分三十二秒ではありません」

「何?」

「八、三十二」

野村が言った。

「8と32?」

「はい」

「何の数字」

山根は真壁を見る。

「八人」

間。

「三十二台」

真壁は眉を寄せた。

「八人の人間と、三十二台の記録装置」

山根が言った。

「最初の実験です」

病室が静かになった。

「いつ」

「二〇二一年」

「どこで」

「京都」

また京都。

「何をした」

「同じ出来事を八人に見せた」

「どんな」

「些細なものです。男が廊下を歩き、鞄を落とし、別の男が拾う」

「それだけ?」

「はい」

「三十二台のカメラで撮影した?」

「カメラだけではありません。音声、入退室記録、位置情報」

「それから」

「記録の一部を変えた」

真壁の目が細くなる。

「何を」

「鞄を拾った男を変えました」

「映像を加工した?」

「一部だけ」

「結果は」

山根が答える。

「八人中七人が、一週間後には加工された記録と同じ記憶を話した」

野村が黙る。

「残り一人は?」

真壁が訊いた。

山根は真壁を見る。

「最後まで自分の記憶を変えなかった」

「誰だ」

「秋月教授です」

真壁は息を吐いた。

だから秋月は、

危険性を理解した。

「そして四年前」

山根が続ける。

「実験を現実の大きな出来事に重ねようとした」

真壁の表情が硬くなる。

「誰が決めた」

「管理者です」

「事件を事前に知っていたのか」

「いいえ」

山根ははっきり答えた。

「少なくとも私は知りませんでした」

「じゃあどうやって準備した」

「対象者の行動観測自体は、事件とは別に始まっていました」

「俺を?」

「はい」

「なぜ七月八日だった」

「偶然です」

真壁は山根を見る。

「信じろと?」

「だから信じなくていい」

山根は言った。

「確認してください」

葛城と同じ言葉。

一つの証拠で結論を出すな。

「事件が起きたことで、管理者は計画を変更した」

「何をした」

「現実に起きた重大事件を利用して、観測を続けることにした」

「だから偽の映像を足した」

「はい」

「事件そのものを作ったんじゃない」

「違います」

「事件後の認識を操作した」

「そうです」

真壁は椅子にもたれた。

ようやく境界が見えた。

銃撃事件そのもの。

それは現実に起きた。

観測者たちは事件を起こしたわけではない。

だが、

その直後から事件周辺の記録へ手を加え、

人間がどこまで記録に引っ張られるかを試した。

真壁はその対象だった。

「最低だな」

山根は目を閉じた。

「否定しません」

6

「二十五フレームは?」

野村が訊いた。

山根が目を開く。

「何を知っています」

「017だけにある」

「高瀬さんが?」

「消されたんじゃない。足されたと葛城は言った」

山根はしばらく黙った。

「高瀬さんは、そこまで見つけたんですね」

「説明しろ」

「二十五フレームは目印です」

「目印?」

「約一秒」

「0.8秒程度だ」

「映像規格によって扱いが違います」

真壁が手で制した。

「技術講義はいらん。何の目印だ」

山根が答える。

「編集済みの記録であることを示す印です」

「誰に」

「内部の人間に」

「つまり」

野村が言う。

「二十五フレームがある映像は、実験用に手を加えたもの?」

「そうです」

「017だけじゃない?」

「違います」

「何本ある」

山根が答える。

「私が知っているだけで」

一呼吸。

「八百三十二本」

真壁と野村は同時に黙った。

832。

事件番号ではない。

八人、三十二台。

そして八百三十二本。

同じ数字が、

形を変えて使われていた。

「全部、七月八日の映像か」

「違います」

「じゃあ」

「四年間です」

真壁の背筋が冷たくなる。

「まだ続いてる?」

「はい」

「どこで」

「全国です」

野村が立ち上がる。

「対象者は何人」

「知りません」

「警察内部にも?」

山根は答えない。

「答えろ」

「います」

真壁が訊いた。

「誰だ」

「知りません」

「水島は」

「管理者は全員を把握しているはずです」

「どこにいる」

「それを知っていたのが高瀬さんです」

真壁は動きを止めた。

「だから高瀬は死んだ?」

「可能性はあります」

「証拠は」

「ありません」

「高瀬が残したものは」

山根が黒いバンドの写真を見る。

「その中にあるはずです」

「消去されてる」

「全部ではない」

「何が残ってる」

山根は黒いバンドの側面を指した。

「ボタンを押しましたか」

「押してない」

「押さないでください」

真壁と野村が顔を見合わせる。

「なぜ」

「それを押すと」

山根が言った。

「最後に同期した相手へ接続します」

7

県警へ戻った。

午後四時五十八分。

黒いバンドは透明な証拠ケースの中。

真壁。

野村。

岸田。

情報解析担当二名。

外部通信を遮断した部屋。

「押せば接続する」

岸田が言った。

「山根の話では」

「相手は誰だ」

「高瀬が最後に同期した人物」

「水島?」

「可能性があります」

岸田が真壁を見る。

「押すのか」

真壁は考えた。

相手が待っている可能性。

罠。

データ消去。

逆探知。

いくつもある。

「複製は」

担当者。

「メモリー内容は保存済みです」

「通信を隔離環境で受けられる?」

「できます」

準備。

野村が言った。

「真壁さん」

「何だ」

「僕が押します」

「なぜ」

「第二観測対象だから」

「関係ない」

「あります」

「ない」

「また命令ですか」

「そうだ」

野村が少し笑った。

「じゃあ従います」

真壁はケースを開けた。

黒いバンド。

左手に取る。

軽い。

四年前。

岸田の後ろの男。

同じもの。

真壁はボタンへ指を置いた。

押した。

一秒。

二秒。

三秒。

何もない。

五秒。

解析担当が言った。

「信号出ました」

「どこへ」

「近距離じゃない。ネットワーク経由」

「接続先」

「追います」

画面。

数字。

経路。

複数の中継。

そして。

「国内です」

「どこ」

「奈良県」

真壁の表情が変わる。

「もっと絞れ」

「待ってください」

数秒。

担当者の顔が固まった。

「何だ」

「接続先……」

「言え」

「この建物です」

沈黙。

県警本部。

「何階」

解析。

「同一ネットワーク内」

「端末は」

「特定します」

十秒。

二十秒。

そして。

「出ました」

端末番号。

野村が照会する。

顔色が変わる。

「誰だ」

真壁が訊く。

野村は岸田を見る。

「捜査資料保管室です」

地下二階。

三人は同時に立った。

8

地下二階。

資料保管室。

施錠。

岸田が管理担当を呼ぶ。

開錠。

真壁が先に入る。

誰もいない。

書棚。

段ボール。

古い端末。

奥。

小さな机。

パソコン一台。

電源が入っている。

「誰の端末だ」

岸田が訊く。

管理担当者が困惑する。

「こんな端末、登録されてません」

野村が画面を見る。

黒。

中央に文字。

《接続確認》

次。

《高瀬浩二》

その下。

《最終同期 2026/10/02 23:14》

高瀬が死亡した夜。

十一時十四分。

また同じ時刻。

真壁が言った。

「触るな」

解析担当を呼ぶ。

その間、

画面が勝手に変わった。

《同期端末を確認》

《M》

真壁。

《N》

野村。

《K》

葛城。

そして。

《O》

岸田が言った。

「Oは誰だ」

真壁は答えない。

画面。

《観測者O 接続中》

野村が周囲を見る。

「今?」

「この部屋に?」

誰もいない。

だが、

接続中。

真壁は天井を見る。

防犯カメラ。

一台。

「カメラを止めろ」

岸田が管理室へ連絡。

「この部屋のカメラは?」

返答。

岸田の顔が変わる。

「登録されていない」

真壁が椅子を持ってくる。

カメラへ近づく。

レンズ。

小型。

後付け。

「外すぞ」

その瞬間。

パソコンから音声。

『外さないほうがいい』

三人が振り向く。

男の声。

「水島か」

真壁が訊く。

『その名前で構いません』

「どこにいる」

『近くです』

「顔を見せろ」

『顔には意味がない』

「その台詞も聞き飽きた」

男が小さく笑った。

『あなたは変わりましたね、真壁さん』

「四年間も遊ばれたからな」

『遊びではありません』

「高瀬を殺したか」

『いいえ』

「秋月は」

『いいえ』

「山根を襲ったのは」

短い沈黙。

『処置しました』

「それを襲ったと言うんだ」

『死なない量です』

「誰の許可で人間を実験材料にした」

『許可という言葉が必要ですか』

真壁の顔から感情が消えた。

「必要だ」

『そうですか』

「お前たちは事件を利用した」

『はい』

「人の死を利用した」

『否定しません』

「何が目的だ」

男は少し黙った。

『最初は研究でした』

「今は?」

『確認です』

「何の」

『社会は記録によってどこまで現実を変更できるか』

野村が言った。

「そんなもののために」

『そんなもの?』

声が初めて強くなった。

『野村さん。あなたは毎日、映像を見て判断している』

『ニュース』

『防犯カメラ』

『SNS』

『警察資料』

『写真』

『人間は、自分で見た世界より記録された世界を信じる』

野村は黙った。

『なら記録を支配する者は、何を支配できると思いますか』

真壁が答えた。

「過去」

男が笑った。

『半分正解です』

「もう半分は」

『未来です』

真壁は眉を寄せた。

『人間は過去の記録を材料に、次の行動を決める』

『なら過去を少し変えれば』

『未来の選択も変わる』

「それを俺たちで試した」

『はい』

「野村を俺の部下にしたのも」

『はい』

野村の顔が強張る。

「推薦書を作ったのはお前か」

『私ではありません』

「誰だ」

『観測者Oです』

三人が画面を見る。

O。

接続中。

「誰だ」

男は答えなかった。

「岸田か」

『違います』

岸田の眉が動く。

「葛城?」

『違います』

「高瀬?」

『違います』

「じゃあ誰だ」

男は言った。

『あなたは、その人物と毎日会っています』

真壁の背筋が冷たくなった。

県警内部。

毎日会う。

「名前を言え」

『名前ではわからない』

「なら顔を出せ」

『顔でもわからない』

「どういう意味だ」

『観測者Oは』

短い沈黙。

『自分が観測者であることを知りません』

野村が息を呑んだ。

「何?」

『本人は、自分を普通の警察職員だと思っている』

「洗脳でもしたのか」

『違います』

「なら」

『指示を仕事だと思って実行しているだけです』

真壁は理解した。

推薦書。

資料移動。

入退室。

証拠保管。

一つ一つは普通の業務。

全体像を知らなくても、

誰かの指示に従うだけで記録は作れる。

「Oは一人じゃない」

真壁が言った。

沈黙。

「そうだろ」

男が答える。

『さすがです』

「何人いる」

『Oは人物の頭文字ではありません』

「何だ」

『Observer』

観測者。

『つまり』

男が言った。

『Oは役割です』

真壁は目を閉じた。

Aも。

Oも。

人名ではない。

役割。

「何人」

『現在、奈良県警内部に』

男は静かに答えた。

『十七人います』

野村が息を呑む。

また。

17。

「誰だ」

『知りたいですか』

「当然だ」

『では記録25を開いてください』

画面にファイル。

《25》

真壁はクリックしなかった。

男が言う。

『怖いですか』

「違う」

『ではなぜ開かない』

「お前が開けと言ったからだ」

沈黙。

野村が真壁を見る。

真壁は続ける。

「俺はもう、お前の順番では動かない」

男が初めて長く黙った。

『なるほど』

「質問するのは俺だ」

『どうぞ』

「高瀬はなぜ黒いバンドを持っていた」

『……』

「答えろ」

『彼も管理者だったからです』

野村が真壁を見る。

予想していた。

だが確定すると意味が違う。

「いつまで」

『二〇二二年七月八日まで』

「事件当日に降りた?」

『はい』

「なぜ」

『二発目のあと、彼は言いました』

男の声が少し低くなる。

『これはもう研究ではない、と』

秋月と同じ。

「高瀬と秋月は同時に離反した?」

『はい』

「葛城と接触したのは」

『その後です』

「俺は?」

『高瀬さんがあなたを選びました』

真壁の目が細くなる。

「なぜ」

『刑事だったからではありません』

「じゃあ」

『あなたが一発目の直後、時計を見なかったからです』

真壁は動きを止めた。

十八本目。

映像の真壁は時計を見ている。

だが本物の真壁は地下にいた。

「何を見た」

『思い出してください』

「お前に言われる筋合いはない」

『そこに答えがあります』

通信が切れた。

画面。

《接続終了》

地下資料室に静寂が戻った。

9

「一発目の直後」

野村が言った。

「真壁さんは何を見たんです」

真壁は答えなかった。

記憶を探す。

地下駐車場。

ドン。

音。

葛城佳代を名乗る女。

笑う。

『始まりましたね』

その前。

何か。

真壁は何をしていた。

葛城。

封筒。

拳銃。

違う。

もっと前。

一発目が響いた瞬間。

真壁は反射的に――。

上を見た。

「天井だ」

「え?」

「俺は天井を見た」

「なぜ」

音の方向を確認しようとした。

だが。

そこで何かを見た。

天井。

防犯カメラ。

その横。

小さな黒い箱。

赤いランプ。

点滅。

「カメラじゃない」

真壁が呟く。

「何が」

「別の機械があった」

「どんな」

「黒い箱」

「何をする機械です」

「わからない」

記憶。

赤いランプ。

一発目。

点灯。

二発目。

消灯。

真壁は目を開けた。

「一発目から二発目の間だけ動いてた」

野村が息を止める。

その間。

二十五フレーム。

空白。

ずっと探してきた時間。

「地下駐車場へ戻る」

真壁が言った。

岸田が時計を見る。

「今から?」

「ああ」

「何を探す」

「四年前の黒い箱だ」

「残ってると思うか」

「残ってなくても痕跡はある」

三人は地下資料室を出た。

そのとき。

野村の携帯電話が震えた。

メッセージ。

差出人不明。

一枚の写真。

地下駐車場。

B-17。

撮影時刻。

現在。

ほんの数秒前。

「誰かいる」

野村が言った。

写真には、

B-17の柱。

その前。

一人の男。

背中。

白いシャツ。

真壁は画面を見つめた。

四年前の映像にいた、

白いシャツの男と同じ服装。

だが。

死んだことになっている男。

その人物がゆっくり振り返る。

写真は連続で送られてきた。

二枚目。

横顔。

三枚目。

正面。

野村が息を呑む。

真壁は何も言えなかった。

白いシャツの男の顔。

それは、

これまで一度もはっきり確認できなかった。

だが今回は違う。

鮮明だった。

そして。

その顔を、

真壁は知っていた。

「そんな……」

野村が呟く。

写真の男は、

高瀬浩二だった。

三日前、

京都のホテルで死亡したはずの映像技術者。

真壁はすぐ京都府警へ電話した。

「高瀬の遺体を確認した人間を調べろ」

数分後。

返答。

真壁は黙った。

野村が訊く。

「誰でした」

真壁はゆっくり携帯電話を下ろした。

「身元確認した警察官は一人」

「名前は?」

真壁は岸田を見る。

岸田の顔が強張った。

真壁が答える。

「俺だ」

また。

真壁修司。

自分が確認した記録。

だが、

記憶にはない。

その瞬間、

二枚目のメッセージが届いた。

《真壁さん。》

《あなたはまだ、一度も死体を見ていません。》

続けて。

《葛城慎一も。》

《高瀬浩二も。》

《そして――》

最後の一行。

《秋月浩平も。》

真壁は画面を見つめた。

三人。

死んだはずの人間。

葛城は生きていた。

高瀬らしき男も現れた。

なら。

秋月教授は。

野村が震える声で言った。

「先生も……生きてる?」

真壁は答えなかった。

代わりに、

最後に届いた画像を見る。

地下駐車場。

白いシャツの高瀬。

その後ろ。

もう一人いる。

男。

六十代。

眼鏡。

野村が椅子を蹴るように立ち上がった。

「先生……」

秋月浩平。

四年前に死亡したはずの教授。

二人の死者が、

同じ地下駐車場で、

真壁たちを待っていた。

写真の下。

一行。

《二発目の空白を知りたければ、今度こそ全員で来てください。》

そして。

《ただし、警察官として来てはいけません。》

真壁は画面を閉じた。

岸田が訊いた。

「どうする」

真壁は上着を脱いだ。

机の上に置く。

警察手帳も。

拳銃も。

一つずつ置いた。

「真壁」

「向こうの条件です」

「罠だぞ」

「知ってます」

「ならなぜ行く」

真壁は岸田を見る。

「八章もかけて、ようやく死人が口を利くところまで来たんです」

野村も警察手帳を机へ置いた。

「僕も行きます」

真壁は止めなかった。

今度は二人で行く。

記憶を信じる男と、

記録を信じようとする男。

どちらか一方ではない。

二人で見る。

二人で聞く。

そして、

同じものを見ても、

同じ結論を出さない。

それが、

観測者たちが最も嫌う方法なのかもしれない。

真壁は腕時計を見た。

午後五時十七分。

また、

17。

だが今度は、

その数字に意味を与えなかった。

ただの時刻だ。

そう考えて歩き出す。

地下駐車場へ。

死んだはずの二人が待つ、

B-17へ。

そして真壁はまだ知らなかった。

そこで待っているのが、

二人ではなく、

三人であることを。

三人目こそ、

四年前、

一発目と二発目の間に何が行われたのかを知る、

唯一の人間だった。

(第九章へ続く)

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