第二章 十七本目の映像
1
高瀬浩二のパソコンから見つかった映像は、全部で十七本あった。
真壁修司がその事実を知らされたのは、翌朝の七時十二分だった。
ほとんど眠っていなかった。
昨夜、解析室のドアの下から差し込まれた紙は、証拠保全のため鑑識へ回した。
《あなたは、なぜ自分が現場にいたことを忘れたのですか。》
その一文が頭から離れなかった。
午前六時半に県警本部へ戻ると、解析室にはすでに野村亮介が来ていた。
「早いな」
「真壁さんこそ」
「俺は年寄りだから朝が早い」
「四十六でそれ言ったら怒られますよ」
真壁は答えず、紙コップのコーヒーを机に置いた。
野村の前には二台のモニターが並んでいた。
「何を見てる」
「高瀬のパソコンです」
真壁の手が止まった。
「京都府警から?」
「データの複製が届きました。例の省庁の人経由です」
「仕事が早いな」
「早すぎます」
野村の言葉に、真壁は彼を見た。
「どういう意味だ」
「京都で遺体が見つかったのが昨日の朝ですよね。それなのに、パソコンの解析が始まって、関係ファイルが抽出されて、奈良までコピーが来てる」
「だから?」
「最初から何を探せばいいのか知っていたみたいじゃありませんか」
真壁は黙った。
若い。
だが馬鹿ではない。
むしろ野村のような人間のほうが、経験のある刑事より危険なことがある。
常識をまだ身につけきっていないからだ。
常識とは、捜査を効率化する。
同時に、見るべきものを見えなくする。
「十七本です」
野村が言った。
「何が」
「高瀬のパソコンに保存されていた、二〇二二年七月八日の映像」
モニターにフォルダが表示された。
001。
002。
003。
数字だけのファイル名が並んでいる。
017まで。
「全部、西大寺か」
「はい」
「撮影者は?」
「別々だと思います」
野村は一覧表を表示した。
「撮影位置が違います。駅側、道路側、歩道、建物の二階。少なくとも十人以上」
「報道機関の映像か」
「十五本はそうです」
「残り二本は?」
野村がマウスを動かした。
「一本は昨日見た映像」
白いシャツの男が映っていた映像だ。
「もう一本が……」
野村の声が止まった。
「何だ」
「これです」
017。
ファイルを開く。
映像が始まった。
駅前。
まだ人は少ない。
演説が始まる前らしい。
スタッフが動いている。
通行人。
自転車。
バス。
ごく普通の夏の日だった。
「何時だ」
「ファイル情報では午前十一時二十二分十四秒から」
真壁は時計表示を見る。
画面右下に時刻が入っている。
11:22:14。
11:22:15。
11:22:16。
「事件の前だな」
「はい」
映像は続いた。
固定カメラではない。
撮影者がスマートフォンか小型カメラを手に持って歩いている。
何かを探しているようにも見えた。
「誰が撮った」
「わかりません」
「音声は?」
「あります」
野村が音量を上げた。
車の走行音。
人の話し声。
駅のアナウンス。
風。
蝉。
真壁は眉をひそめた。
「何が問題なんだ」
「最後まで見てください」
時間が進む。
十一時二十三分。
二十四分。
二十五分。
撮影者は駅前をゆっくり移動している。
やがて選挙スタッフらしい人間たちが見える。
十一時二十七分。
十一時二十八分。
そして。
十一時二十九分。
突然。
ドン。
真壁は画面を見た。
「……何だ?」
野村は何も言わない。
数秒。
ドン。
二度目。
映像が大きく揺れる。
悲鳴。
走る人々。
画面が地面を向く。
そこで映像は終わった。
真壁はしばらく黙っていた。
「時計が狂ってる」
「僕も最初はそう思いました」
「他に何がある」
「ですが」
野村が別の画面を開いた。
「映像ファイルのメタデータだけじゃないんです」
GPS。
端末情報。
作成時刻。
更新時刻。
いくつもの数字が並んでいる。
「撮影開始、十一時二十二分十四秒」
「だから時計が――」
「端末だけじゃありません」
野村が映像を十一時二十四分付近まで戻した。
画面の端にバスが映っている。
「このバスです」
「それが?」
「運行記録を照会しました」
真壁が野村を見る。
「もう?」
「気になったので」
野村は紙を差し出した。
「このバスがここを通過したのは十一時二十四分です」
真壁は紙を見る。
「映像の時計と一致してる?」
「はい」
「じゃあ……」
真壁は画面を見る。
事件が起きた時刻と合わない。
「映像が編集されてる」
「その可能性も調べました」
「どうだった」
「少なくとも一般的な編集ソフトで加工した痕跡はありません」
「一般的じゃない方法なら?」
「可能です」
「ならそれだ」
野村は黙った。
「何だ」
「真壁さん」
「うん?」
「問題は映像じゃないんです」
「どういう意味だ」
野村は十一時二十六分の場面を表示した。
道路脇。
電光掲示板が映っている。
そこには時刻が表示されていた。
11:26。
「端末の時計だけなら変えられます」
野村が言う。
「映像のメタデータも変えられる」
真壁は画面を見つめた。
「でも街の時計まで変えることはできない」
真壁は何も言えなかった。
2
「撮影者を探せ」
真壁は言った。
「やってます」
「最優先だ」
「はい」
「高瀬がどこからこの映像を入手したのかも」
「それも」
野村は別のファイルを開いた。
「高瀬のメールを調べていますが、この017だけ送信元が見つからないんです」
「削除された?」
「受信履歴そのものがない」
「クラウド?」
「痕跡なし」
「USB」
「可能性はあります」
「高瀬本人が撮影した可能性は?」
野村は首を振った。
「事件当日、高瀬は東京にいました」
「確認は」
「仕事先の記録があります」
真壁は腕を組んだ。
「じゃあ誰かが直接渡した」
「そう考えるのが自然です」
自然。
真壁はその言葉が嫌になり始めていた。
昨日から、自然に考えれば考えるほど不自然になる。
「十七本」
真壁が呟いた。
「はい」
「なぜ十七なんだ」
「偶然じゃないですか」
「高瀬は映像技術者だ。仕事で集めていたなら、もっとあっていい」
野村は考えた。
「確かに」
「あの事件の映像は大量に存在する。十七本だけ保存する理由は何だ」
「何か共通点がある?」
「調べよう」
二人は映像を並べた。
001から017。
撮影場所。
撮影開始時刻。
撮影者。
映像時間。
発射音。
犯人の位置。
安倍元首相の位置。
群衆。
白いシャツの男。
一時間ほど経った。
「ないですね」
野村が言った。
真壁は答えなかった。
何かある。
そう感じていた。
高瀬は偶然十七本を保存したのではない。
高瀬は死ぬ前に、自分の記録を真壁へ渡そうとしていた。
なら、この十七本そのものがメッセージなのではないか。
「音だ」
真壁が言った。
「え?」
「波形を出せるか」
野村が音声解析ソフトを起動した。
001。
最初の発射音。
波形が大きく跳ねる。
二発目。
002。
同じ。
003。
同じ。
十七本を順番に確認する。
「何かわかります?」
「まだ」
真壁は一発目から二発目までの間隔を測らせた。
ファイルによって微妙に違う。
撮影位置や音の反射。
機器の性能。
それらを考えれば当然だった。
だが。
「待て」
真壁が言った。
016。
昨日の映像。
白いシャツの男が映っている。
「もう一度」
再生。
最初の音。
人々が反応する。
白いシャツの男がカメラを見る。
まだだ。
そして二発目。
「017」
野村が再生する。
最初の音。
数秒。
二発目。
真壁は目を閉じた。
「もう一回」
「どっちを?」
「両方」
繰り返す。
016。
017。
016。
017。
野村が言った。
「違いますね」
「何が」
「間隔」
真壁は頷いた。
「測れ」
数値が出る。
野村の表情が変わった。
「〇・八秒」
「それだけ違う?」
「はい」
「撮影位置による音の到達差では?」
野村は計算した。
首を振る。
「説明できません」
「映像のフレームは?」
確認する。
真壁は椅子から立ち上がった。
「017には」
野村が言った。
「時間が多い」
一発目から二発目まで。
他の映像より、わずかに長い。
〇・八秒。
普通の人間には気づけない。
だが映像なら残る。
「映像が引き伸ばされてる?」
「その場合、音程やフレームに痕跡が出るはずです」
「ない?」
「今のところ」
真壁は画面を見つめた。
〇・八秒。
短い。
しかし事件現場では長い。
人間は〇・八秒あれば、一歩動ける。
顔を向けられる。
手を伸ばせる。
何かを落とせる。
あるいは――
合図できる。
3
正午前。
京都府警から連絡が入った。
高瀬浩二の死亡推定時刻が絞られた。
前夜午後十一時から翌午前一時の間。
死因について重大な外傷はなく、現時点では薬物の関与を含めて検査中。
そして、もう一つ。
「ホテルの防犯カメラ?」
真壁が訊いた。
電話の向こうの捜査員が答えた。
『はい。高瀬さんがチェックインしたあと、部屋を訪ねた人物がいます』
「誰です」
『わかりません』
「映像は?」
『あります。ただ……』
「ただ?」
『顔が映っていません』
真壁は眉をひそめた。
「帽子か?」
『違います』
「マスク?」
『それも』
「じゃあなぜ」
電話の向こうで少し間があった。
『カメラが、その時間だけ故障していました』
真壁は黙った。
「故障?」
『正確には映像の一部が欠落しています』
「何分」
『八分三十二秒』
「前後には?」
『高瀬さん以外の人物は確認できません』
「なら、訪問者がいたってどうしてわかる」
『エレベーターのカメラです』
「なるほど」
『午後十一時十四分。六階で一人降りています』
「高瀬の部屋は?」
『六階です』
「その人物が戻る映像は」
沈黙。
「ない?」
『はい』
「非常階段は」
『カメラがあります』
「映ってない?」
『はい』
「じゃあまだホテルにいるのか」
『全室確認しました。いません』
真壁は目を閉じた。
「消えたってことか」
『そういうことになります』
電話を切る。
野村が見ていた。
「何です?」
「人が一人消えた」
「またですか」
「また?」
野村はモニターを指した。
白いシャツの男。
事件前日に死亡しているはずの人物。
真壁は小さく息を吐いた。
確かにそうだ。
「死人が映って、人間が消える」
野村が言った。
「ミステリー小説なら面白いでしょうね」
「現実で起きると腹が立つだけだ」
そのときだった。
野村のパソコンが音を立てた。
メール。
差出人不明。
件名。
《18》
野村と真壁は顔を見合わせた。
「開くな」
真壁が言った。
野村の手が止まる。
「情報管理に回す」
「はい」
だが数秒後。
メールが自動的に開いた。
「え?」
添付ファイルが一つ。
動画。
018.mp4。
真壁は立ち上がった。
「LANを切れ」
野村がケーブルを抜く。
画面はそのままだった。
「触るな」
二人は画面を見た。
動画のサムネイル。
駅前だった。
大和西大寺。
「十八本目……」
野村が呟いた。
真壁は何も言わなかった。
再生すべきではない。
専門部署へ回すべきだ。
頭ではわかっていた。
だが、そのサムネイルに映っているものを見てしまった。
真壁自身だった。
「再生しろ」
「でも」
「俺が責任を取る」
野村がクリックした。
4
映像は四秒間の黒画面から始まった。
やがて駅前が映る。
「撮影日時は?」
野村が表示を見る。
二〇二二年七月八日。
午前十一時二十八分。
事件直前。
真壁は画面中央にいた。
四年前の自分。
白いワイシャツ。
紺色のズボン。
左腕には父の時計。
間違いない。
「真壁さん……」
「黙って見ろ」
映像の中の真壁は、誰かと話している。
相手はフレーム外。
音声はない。
「口を読めるか」
「専門家じゃないと」
「拡大」
野村が拡大する。
画質が荒れる。
それでも口の動きは見える。
映像の真壁が何か言った。
そして相手から何かを受け取った。
小さな封筒。
「何だ、あれ」
真壁は自分に訊くように言った。
記憶がない。
本当にない。
七月八日の午前。
自分は県警本部にいた。
会議。
昼食。
事件発生。
緊急招集。
その記憶しかない。
映像は続く。
真壁が封筒をポケットへ入れる。
そして立ち去る。
カメラが真壁を追う。
そこで映像が止まった。
野村が言った。
「四年前の勤務記録、調べます」
「やれ」
数分後。
野村が顔を上げた。
「ありました」
「どうなってる」
「午前九時から県警本部で会議」
「そうだ」
「出席者名簿にも真壁さんの名前があります」
「議事録は?」
「発言記録があります」
真壁は画面を見た。
「何時」
「十一時十五分」
事件現場に映っている約十三分前。
奈良県警本部から大和西大寺駅前。
十三分では無理だ。
「十一時十五分、本当に俺が発言したのか」
「記録上は」
「録音は?」
「探します」
野村が検索する。
古いデータ。
会議記録。
音声ファイルが残っていた。
再生。
数人の声。
そして。
『真壁です。その件ですが――』
真壁の声だった。
野村が停止した。
二人とも黙った。
「俺だな」
「はい」
「間違いなく?」
野村は答えなかった。
答える必要がない。
真壁自身がわかっていた。
自分の声だ。
十一時十五分。
県警本部。
十一時二十八分。
大和西大寺。
同じ人間が、十三分間で移動できる距離ではない。
「どっちかが偽物だ」
野村が言った。
「当然だ」
「映像か」
「あるいは会議記録」
「でも……」
「何だ」
野村は画面を指した。
「この映像が偽物なら、なぜ時計まで同じなんです?」
真壁は左腕を見る。
父の時計。
傷。
同じ位置。
同じベルト。
「時計なんて調べればわかる」
「傷まで?」
「写真があれば」
「四年前以前に、この時計の傷が見える写真が公開されてました?」
真壁は答えられなかった。
野村は映像をさらに拡大した。
真壁の右手。
小指。
「これ」
小さな傷跡。
真壁は自分の右手を見る。
少年時代、割れたガラスで切った傷。
「……俺だ」
初めて口にした。
野村が真壁を見る。
「でも記憶がないんですよね」
「ああ」
「じゃあ」
「わからん」
真壁は椅子に座った。
頭が痛い。
そのとき。
映像の最後に、まだ二秒残っていることに気づいた。
「待て」
再生。
黒画面。
そして文字。
白い文字が一行。
《あなたは封筒を開けた。》
真壁の心臓が跳ねた。
次の文字。
《中身を読んだ。》
さらに。
《だから忘れた。》
映像終了。
野村が言った。
「どういう意味でしょう」
真壁は答えなかった。
答えられなかった。
だが。
何かが頭の奥で動いていた。
記憶。
四年前。
七月八日。
十一時二十八分。
白いシャツ。
封筒。
そして。
一瞬。
映像のようなものが頭を横切った。
地下駐車場。
男。
声。
「二発目が鳴ったら――」
真壁は額を押さえた。
「真壁さん?」
「待て」
「大丈夫ですか」
「黙れ」
記憶が逃げる。
掴もうとすると消える。
地下駐車場。
白いシャツ。
封筒。
誰かの声。
そして――
数字。
17。
「十七……」
真壁が呟いた。
「何です?」
「十七だ」
「映像の本数?」
「違う」
真壁は立ち上がった。
自分でもなぜそうしたのかわからない。
資料棚へ向かう。
四年前の事件資料。
現在はほとんど電子化されている。
しかし当時の一部資料は紙でも残っていた。
箱。
ファイル。
現場見取図。
証拠品一覧。
真壁はページをめくる。
「何を探してるんです」
「わからん」
「え?」
「わからない。でも十七だ」
ページ。
ページ。
そして。
手が止まった。
証拠品一覧。
No.14。
No.15。
No.16。
No.17。
真壁は息を止めた。
「何です?」
野村が覗く。
証拠品番号17。
《茶封筒》
発見場所。
現場周辺。
内容物。
なし。
「空の封筒?」
野村が言った。
真壁は文字を追った。
採取者。
真壁修司。
野村が息を呑んだ。
「真壁さんが拾ってる」
真壁には、その記憶もなかった。
「保管場所は?」
野村が調べる。
「奈良県警の証拠品保管庫」
「確認するぞ」
5
保管庫の担当者は、嫌そうな顔をした。
四年前の証拠品を突然見せろと言われれば当然だ。
正式な手続きを取り、二人は保管記録を確認した。
「17番」
担当者が端末を操作する。
そして眉をひそめた。
「どうした」
真壁が訊いた。
「おかしいですね」
「何が」
「返却扱いになっています」
「誰に」
「それが……」
画面を見る。
返却日。
二〇二二年七月九日。
事件翌日。
返却先。
空欄。
「誰が処理した」
担当者がさらに画面を開いた。
顔色が変わった。
「真壁さんです」
真壁は画面を見た。
処理担当者。
真壁修司。
電子署名もある。
「俺は知らない」
担当者は困惑した。
「でも記録では」
「知らないんだ」
野村が言った。
「防犯映像は?」
「四年前ですよ」
「保存されてない?」
「通常なら」
真壁は担当者を見た。
「通常なら?」
男が黙る。
「何だ」
「その日だけ、保管庫のカメラに障害記録があります」
真壁と野村は顔を見合わせた。
「何時」
「午前二時十一分から」
「何分間?」
担当者が画面を見る。
「八分三十二秒です」
真壁の背筋が凍った。
京都のホテル。
高瀬の部屋を訪ねた人物。
防犯映像の欠落。
八分三十二秒。
まったく同じ時間。
偶然ではない。
もう偶然という言葉では処理できない。
真壁の携帯電話が震えた。
非通知。
野村が画面を見る。
「昨日の?」
「わからん」
真壁は出た。
「真壁だ」
男の声。
昨夜と同じ。
『十七番を探しましたね』
真壁は周囲を見る。
「どこから見てる」
『どこからも見ていません』
「なら、なぜわかる」
『あなたがそうすることを知っていたからです』
「誰だ」
『その質問は四年前にもされました』
真壁の喉が乾いた。
「俺が?」
『はい』
「お前に?」
『はい』
「どこで」
少し間。
『大和西大寺駅です』
真壁は壁に手をついた。
「俺はお前に会ったのか」
『会いました』
「何を話した」
『あなたは覚えていない』
「だから訊いてる」
『思い出さなければ意味がありません』
「ふざけるな」
『では一つだけ』
男の声が低くなる。
『あなたは事件が起きる前に、事件が起きることを知っていました』
真壁は呼吸を止めた。
野村がこちらを見ている。
「何を言ってる」
『午前十一時二十八分』
「……」
『私はあなたに封筒を渡した』
「中には何があった」
沈黙。
「何が書いてあった!」
男は答えた。
『二発目が撃たれる時刻です』
真壁の頭の中から音が消えた。
保管庫。
野村。
担当者。
すべてが遠くなる。
「嘘だ」
『そう思うでしょう』
「そんなことができるわけがない」
『ではなぜ』
男が言った。
『あなたは一発目のあと、逃げなかったんです?』
真壁の目が開いた。
『映像をもう一度見てください』
電話が切れた。
6
解析室へ戻り、018を再生した。
一発目。
群衆が驚く。
人々が振り返る。
何人かが身をかがめる。
真壁は画面の端にいた。
野村が映像を止めた。
「……本当だ」
映像の中の真壁は動いていなかった。
驚いていない。
音の方向も見ていない。
ただ。
腕時計を見ていた。
一発目。
そして時計。
真壁は画面に近づいた。
「拡大しろ」
左腕。
父の時計。
映像の真壁は秒針を見ている。
何かを待っている。
「真壁さん」
野村の声が震えていた。
「これ……」
「言うな」
「でも」
「言うな」
映像の真壁が顔を上げる。
視線の先。
安倍元首相ではない。
犯人でもない。
白いシャツの男。
二人の視線が合う。
そして。
白いシャツの男が口を動かす。
まだだ。
真壁が腕時計を見る。
一秒。
二秒。
三秒。
その直後。
二発目。
画面が揺れる。
真壁は椅子へ沈み込んだ。
自分は知っていた。
少なくとも映像の中の自分は。
次の音が来ることを。
「そんな……」
その瞬間。
野村が声を上げた。
「真壁さん」
「何だ」
「017」
「どうした」
「撮影者がわかりました」
真壁は振り返った。
「誰だ」
野村の顔は青ざめていた。
「高瀬のパソコンに、映像とは別の音声ファイルがありました」
「何の」
「高瀬自身の録音です」
「聞かせろ」
再生。
雑音。
やがて男の声。
高瀬浩二だろう。
『二〇二六年六月十二日。記録を残す。』
息を吸う音。
『017について撮影者を特定した。』
真壁はモニターを見た。
『本人にも会った。』
雑音。
『映像の時刻は改変されていない。撮影者の記憶とも一致している。』
野村が真壁を見る。
音声は続く。
『つまり、この映像だけが約〇・八秒長い理由は、編集ではない。』
高瀬の声が震えた。
『映像に存在しない時間が挿入されたのではない。』
間。
『逆だ。』
真壁は無意識に机を握った。
『他の十六本から、〇・八秒が消えている。』
野村が息を呑む。
高瀬は続けた。
『そして、その〇・八秒に何が映っていたかも確認した。』
真壁はモニターから目を離せなかった。
『警察は見落としたんじゃない。』
雑音。
『誰かが消したんだ。』
録音が途切れた。
だが、まだ続きがあった。
『もし真壁刑事がこれを聞いているなら、伝えてほしい。』
数秒の沈黙。
『二発目を見るな。』
『一発目も見るな。』
『その間に消された、二十五フレームを見ろ。』
録音終了。
解析室は静まり返った。
野村が言った。
「〇・八秒……」
「約二十五フレーム」
「その中に何が?」
真壁は答えなかった。
017を呼び出す。
一発目。
一コマずつ進める。
十。
十一。
十二。
十三。
人々が振り返る。
十四。
十五。
白いシャツの男。
十六。
十七。
そして――
二十五フレーム。
真壁が停止した。
画面の隅。
一人の人物が映っていた。
一発目の煙と混乱の陰。
その人物は安倍元首相を見ていない。
犯人も見ていない。
真壁を見ていた。
「拡大」
野村が拡大する。
顔が現れる。
真壁は立ち上がった。
知っている顔だった。
忘れるはずがない。
いや。
忘れていた。
だからこそ、恐ろしかった。
四年前の事件の捜査で、最初に真壁へ「犯人は一人です」と報告した人物。
そして事件から三か月後。
突然、警察を辞めた男。
元奈良県警警部補。
葛城慎一。
野村が検索する。
「葛城慎一……現在五十一歳」
「住所は」
「ちょっと待ってください」
画面が切り替わる。
野村の手が止まった。
「どうした」
「死亡しています」
真壁は目を細めた。
「いつ」
野村が答える。
「二〇二二年七月七日」
真壁は動かなかった。
白いシャツの男と同じ。
事件の前日。
「死因は?」
野村は画面を見つめた。
「交通事故」
「場所」
「京都」
「時刻」
「午後十一時十四分」
真壁は何かに気づいた。
京都。
十一時十四分。
高瀬のホテルに謎の人物が現れた時刻も――
午後十一時十四分。
四年を隔てて、
同じ都市。
同じ時刻。
そして映像が消えていた時間は、
どちらも八分三十二秒。
真壁の携帯電話が震えた。
今度はメールだった。
差出人なし。
添付ファイルなし。
本文だけ。
《これで十八本です。》
次の行。
《あと一本あります。》
そして最後に、
こう書かれていた。
《十九本目には、銃撃の三十分前のあなたが映っています。》
真壁は画面を見つめた。
その下に、もう一行あった。
《あなたはそこで、安倍元首相本人と話しています。》
真壁は目を閉じた。
四年前。
失われた記憶。
空の封筒。
消えた〇・八秒。
死んでいるはずの二人の男。
そして、十九本目の映像。
真壁はようやく理解し始めていた。
誰かが隠そうとしているのは、
あの日の「犯人」ではない。
犯行方法でもない。
もっと単純で、
もっと危険なものだ。
――事件が起きる前に、何を知っていた人間がいたのか。
その一点だった。
そして、その人間の中に、
真壁修司自身がいる。
窓の外で蝉が鳴いていた。
四年前と同じ夏の音だった。
だが真壁には、
その鳴き声の奥から、
二発の音の間に消された二十五フレームが、
こちらへ近づいてくるように聞こえていた。
十九本目の映像は、
まだ誰も見ていない。
だがその映像が開かれたとき、
真壁の人生は、
四年前の七月八日を境に、
もう一度書き換えられることになる。
(第3章に続く)

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