第五章 死んだ男との約束
1
約束の時刻まで、あと七分だった。
真壁修司は地下駐車場の柱にもたれ、腕時計を見た。
午前十時五十三分。
四年前と同じ時刻だった。
偶然ではない。
そう思った瞬間、真壁は苦笑した。
この数日間で、偶然という言葉を信用できなくなっている。
地下駐車場は薄暗かった。
天井には白い蛍光灯が一定間隔で並び、ところどころ光が弱くなっている。車が通るたびに、タイヤの音がコンクリートの壁に反響した。
ピッ。
精算機の電子音。
真壁は顔を上げた。
二十本目の音声。
あの背景にあった音だ。
ピッ。
ピッ。
一定間隔ではない。
車がゲートを通過するときだけ鳴る。
つまり、あの音声がここで録音された可能性は高い。
だが、それなら新しい疑問が生まれる。
なぜ安倍元首相と自分が駅前で交わした会話の音声が、この地下駐車場で録音されているのか。
コピーされたのか。
再生されたのか。
あるいは――。
「早いな」
声がした。
真壁は振り向いた。
柱の陰から男が出てきた。
帽子。
灰色のジャケット。
黒いズボン。
痩せている。
髪はかなり白くなっていた。
だが顔はわかった。
「葛城」
男は立ち止まった。
「四年ぶりだ」
葛城慎一。
死亡記録上は、
四年前に死んだ男。
真壁はゆっくり近づいた。
「本物か?」
葛城が笑った。
「面白い質問だな」
「今の俺には重要なんだ」
「殴ってみるか」
「必要なら」
葛城は帽子を取った。
額に古い傷があった。
真壁はそれを知っている。
若いころ、逮捕現場で容疑者に瓶で殴られた傷。
「本人らしいな」
「安心したか」
「逆だ」
真壁は言った。
「死んだ人間が目の前にいるほうが面倒だ」
葛城は笑わなかった。
「野村は?」
真壁の表情が変わった。
「なぜ知ってる」
「来てないのか」
「答えろ」
葛城は周囲を見た。
「一人で来いとは言わなかった」
「野村のことをどこで知った」
「四年前と同じだ」
「何が」
「お前は質問の順番を間違える」
葛城が言った。
「重要なのは、俺がなぜ野村を知っているかじゃない」
「じゃあ何だ」
「なぜ野村が、お前の相棒になったかだ」
真壁は眉を寄せた。
「配属だ」
「誰が決めた」
「人事だろ」
「人事の誰だ」
真壁は答えられなかった。
葛城は柱にもたれた。
「記録を疑えと言っただろ」
「野村を疑えっていうのか」
「違う」
「じゃあ何だ」
「野村本人と、野村について書かれている記録を分けろ」
真壁は葛城を睨んだ。
「謎かけをするために呼んだなら帰る」
「せっかちなのは変わらんな」
葛城はポケットから小さな鍵を出した。
真壁へ投げる。
受け取る。
銀色。
番号。
314。
「何の鍵だ」
「コインロッカー」
「どこ」
「近鉄奈良駅」
「中身は?」
「お前が俺に渡したものだ」
真壁の指が止まった。
「俺が?」
「ああ」
「いつ」
葛城が答えた。
「二〇二二年七月八日」
また。
七月八日。
真壁の記憶にない自分が、
次々に現れる。
2
「俺はお前に何を渡した」
真壁が訊いた。
「それを言ったら意味がない」
「またそれか」
「お前自身が確認しろ」
「なぜ」
葛城の表情が変わった。
「俺の言葉を信用するな」
真壁は黙った。
「映像も信用するな」
葛城は続けた。
「音声も、警察記録も、俺の言葉も」
「じゃあ何を信じろ」
「複数のものが一致する地点だけを信じろ」
「どういう意味だ」
「一つの証拠で結論を出すなという意味だ」
葛城は歩き出した。
真壁が腕を掴んだ。
「待て」
葛城が止まる。
「高瀬はなぜ死んだ」
「わからない」
「お前と関係あるのか」
「ある」
「どんな」
「高瀬は俺を探していた」
「なぜ」
「二十五フレームに俺が映っていたからだ」
「高瀬は、あれが消されたフレームだと思っていた」
「ああ」
「お前は違うと言った」
葛城は頷いた。
「足されたものだ」
「誰が」
「知らない」
「嘘だ」
「知らない」
「なら、なぜ足されたとわかる」
葛城は真壁を見る。
「俺がそこにいなかったからだ」
真壁は言葉を失った。
「何?」
「一発目から二発目までの間」
葛城は言った。
「俺はあの場所にいない」
「映像にはいる」
「だから偽物なんだ」
「じゃあどこにいた」
葛城は床を指した。
「ここだ」
真壁の背筋が冷たくなった。
「この地下駐車場?」
「ああ」
「証明できるか」
「お前が証人だ」
真壁は息を吐いた。
「俺には記憶がない」
「少しずつ戻ってる」
「全部じゃない」
「だから呼んだ」
葛城は真壁の肩越しを見る。
「そこだ」
「何が」
「四年前、お前が立っていた場所」
白い柱。
番号。
B-17。
真壁は柱を見る。
頭の奥が疼いた。
B-17。
十七。
映像十七本。
証拠品17。
偶然か。
「俺はここにいた?」
「ああ」
「何時」
「一発目が鳴ったときだ」
真壁の呼吸が止まった。
「俺は映像では地上にいる」
「知ってる」
「なら、どっちが本物だ」
葛城は答えなかった。
真壁の頭に映像が浮かぶ。
地下。
葛城。
封筒。
『その紙は、事件が終わるまで存在してはいけない』
そして――。
音。
遠く。
ドン。
真壁は柱へ手をついた。
「思い出したか」
葛城が訊いた。
真壁は目を閉じた。
「音を……聞いた」
「そうだ」
「地下で」
「ああ」
「一発目?」
「そうだ」
「俺はここにいた」
「そうだ」
真壁は目を開けた。
「じゃあ地上に映っている俺は誰だ」
3
葛城は答えなかった。
代わりに訊いた。
「お前、十八本目を何回見た」
「何?」
「地上にいる自分の映像だ」
「何度も」
「顔を見たか」
「見た」
「本当に?」
真壁は眉を寄せた。
「何が言いたい」
「人間は本人だと思った瞬間から、本人である証拠を探す」
「時計」
「同じ時計はある」
「傷がある」
「作れる」
「右手の傷跡」
「映像なら作れる」
「歩き方」
「似せられる」
真壁は黙った。
葛城が言った。
「顔は?」
真壁は記憶を辿った。
十八本目。
地上を歩く自分。
横顔。
遠景。
ガラスへの反射。
はっきり真正面から顔が映った場面は――。
「ない」
「そうだ」
「でも十九本目では」
「安倍さんと話している」
「ああ」
「それも本当にお前か?」
真壁は答えられなかった。
「四年前の時点で、映像そのものを一から作る技術は今ほど一般的じゃない」
葛城が言う。
「だが、別人を本人らしく見せるのに高度な技術はいらない」
「服と時計?」
「姿勢、髪型、体格。それに画角だ」
「替え玉だっていうのか」
「俺はそう考えた」
「誰が」
「わからない」
「またそれか」
「真壁」
葛城の声が強くなった。
「俺は答えを知ってるんじゃない」
「じゃあ何を知ってる」
「おかしいということを知ってる」
その言葉に、
真壁は妙な説得力を感じた。
刑事の仕事とは、
本来そういうものなのかもしれない。
最初から真相を知る者はいない。
ただ、
おかしいものを拾う。
一つ。
また一つ。
最後に残ったものを、
真相と呼ぶ。
「二十五フレームに映ってるお前も替え玉か」
「俺じゃない」
「白いシャツの男は?」
「知らない」
「死亡記録は」
「偽物だ」
「お前自身の死亡記録は?」
葛城の顔が曇った。
「半分だけ本物だ」
「どういう意味だ」
「事故はあった」
「七月七日?」
「ああ」
「お前は乗っていた?」
「乗る予定だった」
真壁は黙った。
「予定?」
「俺の車だった」
「誰が運転してた」
葛城は数秒黙った。
「後輩だ」
「名前は」
「石倉雅人」
「そいつが死んだ?」
「ああ」
「なぜお前の遺体として処理された」
葛城の視線が真壁へ向く。
「お前が確認したからだ」
真壁の顔が強張った。
「俺は確認してない」
「記録上はな」
「違う。実際にもだ」
「わかってる」
「何?」
「だから問題なんだ」
葛城は言った。
「遺体確認書に署名した真壁修司は、お前じゃない」
沈黙。
真壁は葛城を見る。
「何を言ってる」
「筆跡鑑定では本人と判定された」
「なら俺だろ」
「違う」
「なぜ言い切れる」
「その時刻、お前は俺といたからだ」
また、
二人の真壁。
一人は記録の中。
一人は現実。
「俺の名前を使ってる人間がいる」
「名前だけじゃない」
葛城は言った。
「お前の姿も使ってる」
4
真壁は壁から離れた。
「目的は何だ」
「それを四年間調べた」
「結果は」
「最初は、事件を別の形に見せるためだと思った」
「別の形?」
「そこは違った」
葛城は即座に否定した。
「実際の銃撃そのものを別人の犯行に見せるとか、そういう話じゃない」
真壁は黙って聞いた。
「事件の中心部分は、多くの映像や目撃証言がある。そこを丸ごと作り替えるなんて現実的じゃない」
「なら何を変える」
「周辺だ」
「周辺?」
「誰がどこにいたか」
葛城は言った。
「誰が誰と会ったか」
「……」
「誰が何を知っていたか」
真壁は十九本目を思い出した。
安倍元首相と話す自分。
もしそれが替え玉なら。
「俺と安倍さんが話した映像」
「あれも疑え」
「会話そのものは?」
「それはわからない」
「二十本目の音声」
「一部は本物だと思う」
「なぜ」
「俺が聞いたからだ」
真壁の目が細くなる。
「どこで」
葛城は床を指した。
「ここ」
また地下駐車場。
「どういうことだ」
「事件の前、俺とお前は音声を聞いた」
「何の」
「安倍さんと思われる人物と、お前と思われる人物の会話」
真壁は言葉を失った。
「事件前に?」
「ああ」
「まだ会話が行われる前に?」
葛城は頷いた。
「だから俺たちは混乱した」
真壁の頭の奥で何かが動く。
記憶。
ノートパソコン。
イヤホン。
葛城。
『聞け』
自分。
『何だ、これ』
声。
『警察の方ですか』
真壁は額を押さえた。
「思い出した」
葛城が黙って待つ。
「俺たちは……聞いた」
「ああ」
「事件の前に」
「ああ」
「未来の会話を?」
「そう思った」
「馬鹿な」
「だから調べた」
葛城が言う。
「そして気づいた」
「何に」
「未来の会話じゃない」
「じゃあ何だ」
葛城は真壁を見る。
「台本だ」
真壁の表情が変わった。
「台本?」
「誰かが、後でそういう記録を作るつもりだった」
「つまり」
「未来を予言したんじゃない」
葛城は言った。
「未来に作る偽の記録を、俺たちは先に聞かされたんだ」
その意味を理解するまで、
真壁には数秒必要だった。
「誰がそんなことを」
「わからない」
「何のために俺たちに聞かせる」
「それが最大の謎だった」
葛城は少し間を置いた。
「でも一つだけわかった」
「何だ」
「脅しだ」
「脅し?」
「記録は作れる」
葛城が言った。
「お前がどこにいたかも」
「……」
「誰と話したかも」
「……」
「何を知っていたかも」
「……」
「全部、後から作れる」
葛城は真壁を見つめた。
「だから余計なことをするな、と」
5
「止めるな」
真壁が呟いた。
葛城が頷いた。
封筒。
《11:31》
《二発》
《止めるな》
「犯行を止めるなという意味じゃなかった?」
「俺はそう考えてる」
「じゃあ何を」
「調査だ」
「何?」
「俺たちは事件の前に、妙な記録を渡された」
葛城が言う。
「それを調べようとした」
「だから止めるな?」
「逆だ」
葛城は首を振る。
「止めるな、という言葉を俺たちが犯行予告だと解釈するよう誘導された」
「誰に」
「それがわからない」
真壁は苛立った。
「何もわからないじゃないか」
「四年かけてもな」
「だったら、なぜ今出てきた」
初めて葛城が黙った。
「答えろ」
「高瀬が死んだからだ」
「なぜ高瀬の死が関係する」
「高瀬は最後の一週間で、何かを見つけた」
「何を」
「俺にも言わなかった」
「会ったのか」
「ああ」
「いつ」
「死ぬ三日前」
「どこで」
「京都」
「何を話した」
葛城はポケットから紙を取り出した。
折り畳まれたコピー。
真壁へ渡す。
数字が並んでいる。
時刻。
ファイル番号。
フレーム番号。
「何だ」
「高瀬のメモだ」
真壁は見る。
001。
005。
009。
013。
017。
すべて四つ飛び。
「四本おき」
「ああ」
その横に同じ数字。
08:32。
八分三十二秒。
「またこれか」
京都のホテル。
県警の証拠品保管庫。
防犯映像が欠落した時間。
八分三十二秒。
「高瀬は何と言った」
「この数字は時間じゃない、と」
真壁が顔を上げる。
「じゃあ何だ」
「俺も訊いた」
「答えは?」
「教えてくれなかった」
「なぜ」
葛城の顔に初めて恐怖が浮かんだ。
「『口にしたら殺される』」
真壁は黙った。
「その三日後、高瀬は死んだ」
「事故じゃないと思ってる?」
「わからない」
「またか」
「証拠がない」
葛城は言った。
「だから断定しない。それを四年間で学んだ」
真壁はメモを見る。
08:32。
時刻ではない。
では何だ。
6
突然、駐車場の照明が消えた。
真っ暗になった。
「葛城!」
「動くな!」
非常灯だけが点灯する。
赤い光。
遠くでエンジン音。
車。
近づいてくる。
葛城が真壁を柱の陰へ引いた。
「何だ」
「知らん」
「お前を尾行した奴か」
「お前じゃないのか」
「一人で来た」
車のライト。
黒いセダン。
ゆっくり近づく。
ナンバーは見えない。
ライトが眩しい。
真壁は身構えた。
車は二人の前を通過した。
止まらない。
そのまま出口へ。
数秒後。
照明が戻った。
葛城が周囲を見る。
「行くぞ」
「待て」
「ここはもう駄目だ」
「何だった」
「警告だ」
「なぜわかる」
葛城が指差した。
B-17の柱。
そこに、
さっきまでなかった紙が貼られている。
白い紙。
黒い文字。
《21》
真壁は動かなかった。
二十一。
次の記録。
葛城が紙を剥がす。
裏。
QRコード。
「開くな」
真壁が言った。
「わかってる」
そのとき。
真壁の携帯電話が鳴った。
野村。
「どうした」
『真壁さん、今どこです』
「外だ」
『葛城に会ってますね』
真壁は葛城を見る。
「なぜわかる」
電話の向こうで野村が息を吸った。
『大変なものを見つけました』
「何だ」
『僕の人事記録です』
真壁の表情が変わった。
葛城の最初の言葉。
――なぜ野村が、お前の相棒になったか。
「何があった」
『僕、二年前に捜査一課へ異動してますよね』
「ああ」
『異動推薦者の記録を見ました』
「誰だ」
沈黙。
『真壁さんです』
真壁は目を閉じた。
「俺は推薦してない」
『わかってます』
「なぜ」
『推薦書を見ました』
「署名?」
『真壁さんのです』
また。
自分の名前。
「筆跡は」
『本人のものだと思います』
「お前、俺の筆跡を知ってるのか」
『それだけじゃありません』
野村の声が震えていた。
『推薦理由が書いてあるんです』
「何て」
『野村亮介は本件捜査に必要な人材である』
真壁は眉を寄せた。
「本件?」
『はい』
「何の事件か書いてあるか」
『事件番号があります』
「調べろ」
『調べました』
野村が言った。
『存在しない事件番号です』
真壁は葛城を見る。
葛城の顔が硬くなっている。
「番号を言え」
野村が読み上げた。
八。
三。
二。
真壁の手から、
高瀬のメモが落ちた。
08:32。
時刻ではなかった。
事件番号。
832。
「野村」
『はい』
「推薦書の日付は?」
『二〇二四年七月八日』
事件から、
ちょうど二年後。
「作成者は本当に俺になってる?」
『はい』
「電子署名は?」
『あります』
「端末は」
野村が少し黙った。
『真壁さんの警察端末から送信されています』
「その日の俺の勤務は?」
キーボードの音。
そして。
野村の声が低くなった。
『休暇です』
「どこにいた」
『記録では――』
野村が止まった。
「言え」
『京都です』
真壁は息を止めた。
京都。
葛城の事故。
高瀬の死亡。
八分三十二秒。
すべてが京都へつながっている。
「何しに」
『ホテルに宿泊しています』
「ホテル名は」
野村が答えた。
高瀬浩二が四年後に死亡したホテルと、
同じ名前だった。
7
「真壁さん」
野村が続けた。
『もう一つあります』
「何だ」
『推薦書に添付ファイルがあります』
「開くな」
『もう開きました』
「馬鹿」
『すみません』
「何が入ってた」
沈黙。
『写真です』
「何の」
『三人写っています』
「誰」
『一人は真壁さん』
真壁は黙った。
『一人は葛城慎一』
真壁は目の前の葛城を見る。
「三人目は」
野村が答えない。
「誰だ」
『僕です』
真壁は言葉を失った。
野村。
葛城。
真壁。
「撮影日は」
『二〇二二年七月七日』
事件前日。
真壁は葛城を見る。
葛城も首を振っている。
知らないらしい。
「場所」
『京都』
「野村」
『はい』
「お前、四年前、俺に会ったことあるか」
『ありません』
「葛城は」
『ありません』
「絶対か」
『僕は当時、奈良県警にいません』
真壁の目が細くなる。
「どこにいた」
『警察官ですらありませんでした』
「何?」
『採用されたのは翌年です』
沈黙。
真壁は理解できなかった。
事件前日。
まだ警察官ではなかった野村。
真壁。
葛城。
三人が京都で写真に写っている。
「写真を送れ」
数秒後。
携帯電話が震えた。
画像。
真壁は開いた。
ホテルのロビーらしい。
三人の男。
葛城。
野村。
そして、
自分。
だが。
真壁は画像を拡大した。
「違う」
葛城が覗き込む。
「何が」
「これ」
自分の左腕。
時計。
父の形見。
傷。
だが傷の位置が違う。
「俺じゃない」
葛城が画像を見る。
「俺もだ」
「何?」
「この男」
葛城は自分に似た人物を指す。
「俺じゃない」
真壁は野村に訊く。
「お前は?」
電話の向こうで沈黙。
『僕も違います』
三人。
全員、
本人ではない。
三人に似せた別人。
事件前日。
京都。
なぜ。
葛城が呟いた。
「予行演習だ」
「何の」
「記録を作るための」
真壁は写真を見る。
自分たちに似た三人。
「誰かが四年前から」
葛城が言った。
「俺たちの偽物を用意していた」
その瞬間、
真壁は初めて別の可能性に気づいた。
替え玉を用意した目的。
事件当日に何かをするためではない。
事件後。
数年かけて、
記録を作り続けるため。
「葛城」
「何だ」
「俺たちは標的じゃない」
「どういう意味だ」
「素材だ」
真壁は言った。
「誰かが俺たちを使って、別の物語を作ってる」
映像。
音声。
勤務記録。
死亡記録。
人事記録。
全部。
現実を隠すためではない。
別の現実を作るため。
そのとき、
野村が電話の向こうで叫んだ。
『真壁さん!』
「どうした」
『写真のプロパティを見てください』
真壁が確認する。
撮影日時。
二〇二二年七月七日。
午後十一時十四分。
葛城の事故死亡時刻。
「それだけじゃありません」
野村が言う。
『ファイル名です』
真壁は見る。
832_0.jpg。
次の画像。
832_1.jpg。
全部で――。
二十五枚。
「二十五……」
二十五フレーム。
真壁の背筋が凍る。
「全部送れ」
画像が届く。
二十五枚。
少しずつ違う。
三人がホテルロビーを歩いている。
まるで動画を分解したフレーム。
一枚。
二枚。
三枚。
真壁は順番に見る。
十枚目。
十一。
十二。
十三。
十四。
十五。
そして。
二十五枚目。
三人がカメラを見る。
いや。
違う。
二人は見ていない。
真壁に似た男だけが、
カメラを見ている。
口が動いている。
真壁は拡大した。
葛城が言った。
「何か言ってる」
読唇術など必要なかった。
短い言葉。
四文字。
真壁には読めた。
《まだだ》
白いシャツの男と同じ。
真壁は携帯電話を下ろした。
「葛城」
「何だ」
「俺たちが追ってる二十五フレームは」
「ああ」
「事件現場で作られたものじゃない」
葛城も気づいた。
「京都……」
「事件前日に作られた」
その瞬間。
真壁の頭の中で、
これまで別々だったものが初めて一本につながった。
白いシャツの男。
葛城。
真壁。
野村。
死者。
替え玉。
映像。
八分三十二秒。
二十五フレーム。
すべては、
事件後に誰かが映像を改変した結果ではない。
事件が起きる前から、
「事件後に使われる映像」が準備されていた。
だが、
なぜ。
誰が。
何のために。
真壁はB-17の柱を見る。
そこに貼られていた《21》の紙。
裏のQRコード。
「二十一本目」
葛城が言った。
「見るのか」
真壁は紙を手に取った。
「ここまで来て見ない選択肢があるか」
「ある」
「何だ」
「帰る」
真壁は葛城を見る。
「お前は四年前、それを選んだのか」
葛城は答えなかった。
その沈黙が答えだった。
真壁はスマートフォンを取り出した。
QRコードを読み込む。
画面が暗くなる。
そして文字。
《FILE 21》
再生ボタン。
真壁が押す。
黒い画面。
数秒。
やがて、
ホテルの一室が映った。
日付。
二〇二二年七月七日。
事件前夜。
部屋には四人いる。
真壁に似た男。
葛城に似た男。
野村に似た男。
そして、
もう一人。
背中しか見えない。
四人目。
その人物が振り返った。
真壁の呼吸が止まった。
葛城が、
「そんな……」
と呟いた。
真壁はその人物を知っていた。
いや。
日本中が知っている顔だった。
だが、
映像は顔が完全に見える直前で停止した。
画面に文字が現れる。
《あなたは今、顔を見たと思った。》
次。
《本当に見ましたか?》
真壁は画面を凝視した。
映像を戻す。
再生。
四人目が振り返る。
停止。
顔が見える直前。
一フレーム進める。
画面が飛ぶ。
次のフレームでは、
すでに人物は背を向けている。
顔が映ったフレームは、
存在しなかった。
それなのに。
真壁も葛城も、
「誰なのか」を見たと思った。
二人は同時に黙った。
そして最後の文章。
《人間は、見たものを記憶するのではない。》
《見たと思ったものを記憶する。》
次。
《だから私は、あなたたちに一度も嘘を見せていない。》
最後の一行が表示された。
《嘘を完成させたのは、あなたたち自身だ。》
画面が暗くなった。
真壁はしばらく動けなかった。
この数日間、
自分たちは映像の中に真実を探してきた。
だがもし、
映像を作った人間の目的が、
偽物を本物に見せることですらなかったとしたら。
見る側に、
自分から結論を作らせることだったとしたら。
真壁は初めて理解した。
敵が改変しているのは、
映像ではない。
記録でもない。
人間が証拠を見たとき、
無意識に物語を作ってしまう、
その仕組みそのものなのだ。
そしてその瞬間。
画面に、
新しい文字が現れた。
《真壁修司へ。》
《次は映像を見せない。》
《次は、あなた自身に選んでもらう。》
その下。
二つのファイル名。
《22-A 真壁修司が事件を止めようとした記録》
《22-B 真壁修司が事件を止めなかった記録》
そして。
《どちらか一つだけ開け。》
《もう一方は永久に消える。》
真壁は画面を見つめた。
葛城が低い声で言った。
「押すな」
真壁は答えなかった。
二つの記録。
自分は事件を止めようとしたのか。
それとも、
止めなかったのか。
四年間失われていた答えが、
目の前にある。
ただし、
見ることができるのは一つだけ。
真壁は指を画面へ近づけた。
そして、
その指を止めた。
初めてだった。
相手が用意した選択肢を、
選ばなかったのは。
(第6章に続く)

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