上田秀人を模倣し、武士の文化を描いた完全オリナル時代小説『刀影 ―武士の世を斬る者―』第五十七章

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第五十七章 根帳

 四つの鉄箱が、地下の中央へ近づいていた。

 一つは新之介たちの傍ら。

 第一冊。

 もう一つは戸田家の紋をつけた台車。

 第二冊。

 海防掛の旗を掲げた通路からは、焦げ跡の残る箱。

 第三冊。

 そして南町奉行所の提灯とともに運ばれてくる、第四冊。

 まるで江戸の四方から、地の底へ吸い寄せられているようだった。

「止めろ!」

 新之介が叫んだ。

 それぞれの台車を押していた者たちが足を止める。

「箱へ触るな!」

 戸田家側から宮坂孫六の声。

「榊原殿?」

「なぜ、そちらに!」

 海防掛の通路から現れたのは高梨勘兵衛だった。

 顔も着物も泥だらけ。

 その後ろには伊助。

 さらに第三冊を見張る海防掛の者二人。

「どうしてここへ来た!」

 新之介が問う。

「御用蔵の床が抜けました!」

 高梨が答える。

「箱だけが地下へ落ち、追ってきたのです!」

「第二冊も同じだ!」

 宮坂が叫ぶ。

「戸田家では、文庫下の古い道が勝手に開いた!」

 南町奉行所側からは源太郎。

 脚を引きずりながら、第四冊の台車へ片手を置いている。

「こちらは旧井戸だ!」

「底が抜けて、この道へ!」

「皆、箱を追ってきたのか」

「当然でしょう!」

 源太郎が言う。

「当然ではない!」

 新之介が返した。

「箱が罠なら、我々まで集められたことになる!」

 一同が黙る。

 御影宗伯を名乗る九十一歳の老人は、離れた場所からその様子を見ていた。

 愉快そうでもない。

 勝ち誇ってもいない。

 ただ、長い時間を待ち続けた者の顔。

「ようやく気づいたか」

「何に」

 新之介が問う。

「四冊を集めたかったのではない」

「では」

「四冊を守ろうとする者を集めたかった」

 玄斎の顔が険しくなる。

「我らを試したのか」

「試した」

「何のために」

「最初の帳面を読む資格があるか」

「資格を、そなたが決めるのか!」

「今は違う」

「何が違う!」

「昔は私が決めた」

 宗伯は杖をついた。

「だから失敗した」

 ◇

「御影宗伯」

 新之介は老人を見た。

「本当にその名なのか」

「戸籍の名は別にあった」

「では」

「忘れた」

「またか」

「今度は本当に忘れた」

「便利ですね」

「九十一まで生きれば、忘れることも増える」

「では確認する」

「何を」

「そなたが鷹見静山という名を作った」

「ああ」

「何年前だ」

「四十七年前」

「何のために」

「米を出させるためだ」

 宗伯は第一冊を見る。

「天保の飢えより前にも、人は何度も米で苦しんだ」

「そなたは勘定方だった」

「下役だ。数字を写し、俵を数え、金を合わせた」

「そこで何を見た」

「蔵に米があるのに、人が死ぬ」

「それで帳面を」

「ああ」

「誰が米を抱えたか」

「誰が値を上げたか」

「誰が借財を利に変えたか」

「誰が役目を盾に見ぬふりをしたか」

「全て書いた」

「最初の帳面へ」

「そうだ」

「それが根帳か」

 宗伯の目が僅かに動いた。

「よく分かったな」

「四冊の元なら、そう呼ぶと思っただけです」

「面倒な男だ」

「よく言われます」

 宗伯は石壁の奥を指した。

 そこには巨大な扉がある。

 四方へ四つの窪み。

 鉄箱を置くための形。

「根帳はあの中だ」

「四冊の箱が鍵になる」

「正確には、箱へつけた金具だ」

「では帳面の中身は必要ない」

「開けるだけならな」

「なぜ箱ごと」

「人は、中身より箱を守るからだ」

「また人を使った」

「昔の私なら、そう申しただろう」

「今は」

「人は自分で箱を追ってきた」

 新之介の目が鋭くなる。

「選ばされたと言えば同じです」

「そうだ」

「否定しないのか」

「もう否定する年ではない」

 玄斎が一歩前へ出た。

「先生――」

 言いかけて止まる。

「いや、御影宗伯」

「何だ」

「鷹見静山という名を、なぜ一人へ渡さなかった」

「渡した」

「一人目へか」

「二人目へも」

「宗一郎先生へも」

「ああ」

「それでも他の者へ使わせた」

「そこが失敗だった」

「失敗で済むか!」

 玄斎の声が地下へ響いた。

「兄弟が名を奪われた!」

「宗山は四十七番になった!」

「宗一郎先生は死者にされた!」

「宗山を名乗る偽物まで現れた!」

「声を使い、顔を使い、名を使い!」

「何人が死んだと思っている!」

 宗伯は玄斎の怒りを受け止めた。

「分からぬ」

「何」

「数え切れなくなった」

「ならば数えろ!」

「だから根帳へ戻る」

「帳面を読めば済むと思うか!」

「思わぬ」

「では」

「お前たちに読ませる」

「また任せるのか!」

「違う」

「何が!」

「私は一緒に読む」

 玄斎が言葉を失う。

 宗伯は続けた。

「昔の私は、書けば人が変わると思った」

「変わらなかった」

「ああ」

「だから人を動かした」

「声を作り」

「名を作り」

「役目を作った」

「人間を仕組みの部品へした」

 宗伯は自分の右手を上げる。

 指は三本しかない。

「その報いで指を失ったのですか」

 半九郎が問う。

「違う」

「では」

「火薬箱を閉じる時に潰した」

「格好のよい話ではないのですね」

「私は、格好のよい老人ではない」

 ◇

 源太郎が第四冊の箱へ手を置いたまま言った。

「一つ確認したい」

「何だ」

 宗伯が問う。

「この地下へ箱が落ちる仕掛けを作ったのは、そなたか」

「一部は」

「一部?」

「最初に作ったのは米商人だ」

「箱を運ぶ台車は」

「私だ」

「床を落とす仕掛けは」

「弟子たち」

「今回、動かしたのは」

 宗伯は答えなかった。

「そなたではないのか」

 源太郎が詰める。

「私は鐘を鳴らしていない」

「では誰が」

「御影だ」

「そなたが御影だろう!」

「今は違う」

 全員が黙った。

「何」

 新之介が聞き返す。

「御影宗伯は、私の名だ」

「だが御影という役目は」

「三十年前に渡した」

「誰へ」

「知らぬ」

「知らぬ?」

「渡した相手が、さらに次へ渡した」

「では今の御影が誰か、本当に知らない」

「ああ」

「さっき御影宗伯と名乗ったではないですか!」

 半九郎が怒鳴る。

「私の名だからだ」

「紛らわしい!」

「それも失敗の一つだ」

「失敗が多すぎる!」

「九十一年生きているのでな」

「長生きを言い訳にしないでください!」

 宗伯は半九郎を見て、僅かに笑った。

「真崎玄十郎の子か」

「父を知っているのですか」

「ああ」

「何を」

「四冊に分けることを最後まで反対した」

「父が」

「一冊を四つにすれば、四つの嘘が生まれると」

「では、なぜ第四冊を」

「最後に、自分で分ける側へ回った」

「なぜ」

「私を止めるためだ」

 半九郎の表情が変わる。

「詳しく申してください」

「根帳を一冊のまま世へ出せば、幕府も大名も商人も、すぐ罪人探しを始める」

「だから四冊へ」

「宗一郎と玄十郎が分けた」

「そなたは反対した」

「私は、一冊だから真が伝わると思っていた」

「今は」

「一冊だから危険だと思っている」

「ならば根帳を開けるな!」

 玄斎が叫んだ。

「その通りだ」

 宗伯が答える。

「何」

「開けるかどうか、お前たちへ決めてもらう」

「また問いか!」

 玄斎が頭を抱える。

「鷹見静山は皆これか!」

 四十七番が、初めて小さく笑った。

「兄だけではなかったらしい」

「笑うな、宗山!」

「私は今は四十七番だ」

「ややこしい!」

 ◇

「待ってください」

 お志津が口を開いた。

「根帳を開けるか決める前に、知るべきことがあります」

「何だ」

 新之介が問う。

「根帳は今も、最初のままですか」

 宗伯の表情が僅かに変わった。

「どういう意味だ」

 源太郎が聞く。

「父の続帳は、真と偽りを混ぜました」

「三宅は第三冊を書き替えた」

「文吉は声を加えた」

「なら根帳だけが四十七年間、一度も触られていないと考える方が不自然です」

「鍵は四冊の箱だ」

 宗伯が言う。

「今まで四つが揃わなかった」

「正面からは」

「何」

「この地下には抜け道がいくつあるのですか」

 宗伯が黙った。

「声の間」

「西徳寺」

「戸田家」

「海防掛」

「奉行所」

「これだけ繋がっている場所です」

「扉の裏へ別の道がないと、誰が確認したのです」

 宗伯は答えない。

「そなたも知らない」

 新之介が言った。

「三十二年前までは、なかった」

「その後は」

「来ていない」

「何」

「この地下へ入るのは三十二年ぶりだ」

「では今回の仕掛けも」

「図面で知っているだけだ」

「今の御影が変えている可能性がある」

「ああ」

 源太郎が大きく息を吐いた。

「九十一の爺が黒幕だと思ったら、さらに別にいるのか」

「私も昔は黒幕だった」

「誇るところではない」

 新之介は巨大な扉を見る。

「箱を置く前に、扉を調べる」

「壊すか」

「壊さない」

「なぜ」

「向こう側に人がいるかもしれない」

「誰が」

「今の御影」

 宗伯の左目が細くなった。

「よい」

「許可は求めていません」

「相変わらず面倒だ」

「初対面です」

「話は聞いていた」

「誰から」

「御影から」

 新之介の目が鋭くなる。

「今の御影と連絡があるのか」

「一度だけ手紙が来た」

「いつ」

「半年前」

「何と」

「榊原新之介という侍が、問いを人へ返し始めた、と」

「私を半年前から」

「見ていたらしい」

「なぜ今まで言わなかった!」

 玄斎が宗伯へ迫る。

「聞かれなかった」

「その言い方は先生そっくりだ!」

「私が名を作ったからな」

「腹が立つ!」

 ◇

 扉を調べることになった。

 辰蔵がいれば、石と木の音から中の空洞を読んだだろう。

 今はいない。

 代わりに伊助が壁を叩いた。

「船板と同じだ」

「何が」

 高梨が問う。

「音で向こうが空か分かる」

 右。

 左。

 中央。

 叩く。

 右側だけ音が軽い。

「空洞があります」

「通路か」

「細い」

 半九郎が石の継ぎ目へ指を入れる。

「ここだけ新しい漆喰」

「崩せるか」

「道具があれば」

「あります」

 宮坂が戸田家側から鳶口を持ってくる。

「なぜ鳶口を」

「最近、火事が多いので」

「便利ですね」

「嬉しくはありません」

 漆喰を削る。

 一寸。

 二寸。

 石板の端。

「扉がある」

 お志津が言う。

「小さい」

「人一人通れる」

 鉄の留め具。

 外から掛けられていない。

「内側から使う道だ」

 伊助が言った。

「開けますか」

「待て」

 新之介は全員を見る。

「四冊の箱を動かすな」

「当たり前だ」

 源太郎が答える。

「誰が残る」

「各箱に二人ずつ」

「戸田家」

「宮坂と家臣一人」

「海防掛」

「高梨と一人」

「町方」

「源太郎と篠田」

「第一冊」

 玄斎が言う。

「わしが」

「先生は中へ」

「なぜ」

「今の御影が先生を知っている可能性があります」

「なら四十七番は」

「私も行く」

「お志津殿は」

「残ります」

「箱を見ます」

「誰と」

「伊助さん」

「俺か」

「町人の目が要るでしょう」

「船頭だが」

「十分です」

「失礼な褒め方だな」

 中へ入るのは、新之介、玄斎、半九郎、四十七番。

 宗伯が杖をつく。

「私も」

「残ってください」

「なぜ」

「九十一です」

「歩ける」

「年寄人です」

「何だそれは!」

「傷人、膝人に続く」

 玄斎が笑いを堪える。

「言われておるぞ、御影殿」

「腹が立つ」

「皆、同じことを申す」

 ◇

 小扉を開ける。

 冷たい風。

 向こうには細い通路。

 壁に蝋燭。

 今も火がついている。

「誰かいる」

 半九郎が囁く。

 足跡。

 新しい。

 一人ではない。

 通路の先に、小部屋。

 扉が開いている。

 中に机。

 紙。

 筆。

 湯呑み。

 まだ湯気が立っていた。

「つい先ほどまで」

 玄斎が言う。

 机の上には四枚の紙。

 第一冊。

 第二冊。

 第三冊。

 第四冊。

 それぞれの表紙を写した絵。

 そして中央に一枚。

 ――第五冊。

「続帳か」

 半九郎が問う。

 新之介は紙を持ち上げない。

「触るな」

「見える範囲で」

 紙の下に文章。

 ――四冊が揃えば、根帳を開ける。

 ――根帳を開けば、四冊を焼く。

「焼く」

 玄斎が眉をひそめる。

「宗伯の話と違う」

 次の行。

 ――四冊は問いを増やした。

 ――問いが増えれば、国は動かぬ。

 ――ゆえに根帳へ戻し、一つの罪、一つの敵、一つの答えを作る。

「今の御影は」

 四十七番が呟いた。

「御影宗伯の昔の考えへ戻ろうとしている」

「宗伯本人は変わった」

「役目だけが昔のまま残った」

 人は変わる。

 だが仕組みは、作った時の考えを残す。

 それが人より長く生きる。

「最後に署名があります」

 半九郎が言った。

 紙の下。

 名。

 御影ではない。

 鷹見でもない。

 新之介は声に出した。

「――榊原新之介」

 玄斎が新之介を見る。

「またそなたか」

「またですね」

 署名は新之介の筆跡に似ている。

 だが本人ではない。

「未来の罪を作る」

 四十七番が言った。

「続帳と同じだ」

「違う」

 新之介が答える。

「これは罪ではない」

「では」

「答えを作っている」

 今の御影は、新之介を「一つの答えを選ぶ者」にしようとしている。

 これまでの彼とは正反対の姿へ。

「なぜ私だ」

「人は、変わった話を好む」

 玄斎が言った。

「問い続けた男が最後には一つの答えへ至った、と」

「都合のよい物語です」

「だから強い」

 机の奥。

 もう一枚の紙。

 半九郎が灯りを近づける。

 そこには時刻。

 今日。

 申の刻。

 場所。

 ――日本橋。

「何がある」

「読みます」

 半九郎の顔が変わる。

「『榊原新之介、民へ告ぐ』」

「何」

「『四冊は偽りである』」

「『幕府、大名、商人、寺、町方、すべて同じ穴の者』」

「『米蔵を開き、帳面を焼き、新しい政を始めよ』」

 新之介の名で。

 民衆へ向けた宣言。

「申の刻まで」

 源太郎たちのいる場所から声が届く。

「あと、どれくらいだ!」

 新之介が聞き返す。

「半刻ほどです!」

 すでに準備されている。

 紙だけではない。

 声筒も。

 人も。

 日本橋なら、多くの町人が集まる。

 蔵前の騒ぎで新之介の名を知った者も多い。

「今の御影は日本橋にいる」

「決めつけるな」

 玄斎が即座に言った。

 新之介は玄斎を見る。

 先生が、自分の言葉を返している。

「そうですね」

「そこへ向かう仕掛けだけかもしれぬ」

「それでも行く」

「根帳は」

「開けない」

 四十七番が問う。

「今、開けなくてよいのか」

「日本橋へ行けば、今の御影を逃すかもしれない」

「その間に、誰かが根帳を」

「だから残る人へ任せる」

「また役を分ける」

「ああ」

 玄斎が笑う。

「宗伯が聞けば、喜ぶか腹を立てるか」

「どちらでもよい」

 新之介は来た道へ戻ろうとした。

 その時。

 小部屋の奥から、声が流れた。

 声筒。

 だが声は新之介ではない。

 御影宗伯。

 九十一歳の老人の声だった。

「榊原新之介」

 一同が止まる。

「もしこの声を聞いたなら、私はまだ生きているか、死んだ後か分からぬ」

 録られたのは昔らしい。

 今より声が若い。

「根帳を開けるな」

 玄斎が目を見開く。

「何」

 声は続く。

「一冊へ戻せば、人は必ず一人の罪人を作る」

「私はそれを知るまで、多くを使った」

「名を」

「声を」

「飢えを」

「正義を」

 九十一歳の宗伯が、若い頃の自分へ残した声なのか。

 あるいは誰かが作った偽声か。

「御影という役目を終わらせよ」

 四十七番の表情が変わる。

「今の御影が誰であろうと」

「私自身であろうと」

「終わらせよ」

 最後に一言。

「答えを残すな」

 声が止まった。

 半九郎が呟く。

「宗伯殿本人は、この声を知っているのでしょうか」

「分からない」

「聞きますか」

「後で」

「また後ですか」

「今は日本橋だ」

 玄斎が頷く。

「根帳を開かぬと決めたのか」

「違います」

「では」

「今は開けないと決めた」

「いつ開ける」

「読む人を増やしてから」

「また時間をかけるのか」

「はい」

 四十七番が笑った。

「御影が最も嫌う答えだ」

「なら丁度よい」

 新之介たちは小部屋を出た。

 ◇

 四冊は、中央へ集まっていた。

 だが四つの窪みへは入れない。

 宗伯が杖をついたまま待っている。

「開けぬのか」

「今は」

「理由は」

「そなたの声が、開けるなと申しました」

 宗伯の左目が大きくなる。

「何」

「三十年ほど前の声に聞こえました」

「……残っていたか」

「知っていたのですか」

「録った」

「なぜ」

「御影を次へ渡した日に」

「自分で作った仕組みを壊すために」

「壊せなかった」

「なぜ」

「次の御影が拒んだ」

「だから放置した」

「そうだ」

 玄斎が宗伯の頭を杖ごと小突いた。

「痛い!」

「九十一まで何をしておった!」

「生きていた!」

「それだけか!」

「難しいことなのだぞ!」

「知るか!」

 新之介は宗伯へ言った。

「日本橋へ行きます」

「今の御影を捕えるか」

「決めていません」

「では」

「まず宣言を止める」

「その後は」

「本人へ名を聞く」

 宗伯が苦笑する。

「そこからか」

「そこからです」

「榊原新之介」

「何です」

「今の御影は、そなたの声を使う」

「分かっています」

「声だけではない」

「何を」

「そなたの顔も使う」

 一同が止まった。

「なぜ分かる」

「半年前の手紙と一緒に、顔型が届いた」

「私の」

「ああ」

「誰が取った」

「そなたが水野役宅で傷の手当てを受けた頃には、もう出来ていた」

「そんな前から」

「顔を写すのに、本人は要らぬ」

「絵で作れる」

「そうだ」

「では日本橋に」

「榊原新之介が二人現れる」

 宗伯は言った。

「一人は問い続ける男」

「もう一人は、一つの答えを叫ぶ男」

「民がどちらを選ぶか」

 玄斎が低く言う。

「それが御影の次の試しか」

「違う」

 宗伯は首を振った。

「試しではない」

「では」

「今度は、本当に政を動かす気だ」

 遠く地上から、鐘の音が届いた。

 日本橋方面。

 一度。

 二度。

 三度。

 四度ではない。

 連打。

 人を集める鐘。

 続いて、遥か上から聞こえてくる群衆の声。

「榊原様だ!」

「榊原新之介が日本橋に現れた!」

 新之介本人は、まだ西徳寺の地下にいる。

 それでも地上では、すでにもう一人の榊原新之介が人々の前へ立っていた。

(第五十八章へ続く)

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