第七章 引き金の向こう側
1
写真の中で、真壁修司は拳銃を構えていた。
両手。
正面。
銃口の先には葛城慎一。
撮影時刻。
午前十一時三十一分。
野村亮介は携帯電話を持ったまま、何も言わなかった。
真壁も同じだった。
否定できない。
前章までに見つかった映像には、偽物が混じっていた。
替え玉。
加工。
編集。
意図的な欠落。
だが、この写真だけは違う。
真壁にはわかっていた。
記憶が戻っている。
地下駐車場。
湿った空気。
蛍光灯。
葛城の顔。
右手に感じる拳銃の重さ。
自分は確かに構えていた。
「真壁さん」
野村がようやく口を開いた。
「はい」
「この写真……」
「本物だ」
野村の表情が変わった。
「調べてないでしょう」
「必要ない」
「刑事がそんなこと言わないでください」
「覚えてる」
「え?」
「俺は葛城に銃を向けた」
沈黙。
野村が携帯電話を下ろした。
「なぜです」
「そこが思い出せない」
「でも」
「向けたところまでは覚えてる」
野村は数歩後ろへ下がった。
無意識だった。
真壁はそれを見逃さなかった。
「怖いか」
「少し」
「正常だ」
「拳銃持ってます?」
「今日は携帯してない」
野村が息を吐いた。
「確認します」
「好きにしろ」
真壁は両手を広げた。
野村は近づかなかった。
「そこまではしません」
「甘いな」
「相棒なので」
「だから甘くするな」
真壁は写真を見る。
「俺を疑え」
野村が黙る。
「葛城を疑え。俺を疑え。お前自身も疑え」
「それじゃ捜査になりません」
「なる」
真壁は言った。
「疑うことと、信用しないことは違う」
野村は眉を寄せた。
「どう違うんです」
「信用しない人間は証拠を見ない。疑う人間は証拠を見る」
真壁は携帯電話を野村へ返した。
「この写真を解析しろ」
「はい」
「俺の記憶も証拠の一つとして扱え」
「わかりました」
「ただし」
真壁は野村を見る。
「俺の記憶を一番疑え」
2
写真の解析には三時間かかった。
午後八時四十一分。
県警の解析室。
野村が結果を持ってきた。
「少なくとも現時点で、大きな加工痕跡は見つかっていません」
「撮影機器は」
「スマートフォン」
「機種」
「四年前に流通していたものです」
「撮影場所」
「地下駐車場でほぼ間違いない」
「時刻」
「これも」
野村は別の画像を表示した。
写真奥に精算機。
表示。
11:31。
「真壁さん」
「何だ」
「本当に撃ってないんですよね」
「撃ってない」
「確信は?」
「ある」
「なぜ」
「葛城が生きてる」
野村は少し笑った。
「確かに」
「それに」
真壁は目を閉じた。
記憶。
銃口。
葛城。
葛城が言っている。
『撃て』
真壁は目を開けた。
「葛城が撃てと言った」
「何?」
「思い出した」
「どういう状況です」
「待て」
真壁は記憶を追う。
地下駐車場。
葛城。
自分。
女性。
葛城佳代という偽名を使った女。
遠くで一発目。
女が笑う。
『始まりましたね』
真壁。
『何がだ』
『観測です』
葛城が女を追おうとする。
女が紙袋から何かを出す。
拳銃ではない。
小さな機械。
リモコンのようなもの。
葛城の顔色が変わる。
『真壁、銃を抜け』
『何?』
『早く!』
真壁が拳銃を抜く。
女へ向けようとする。
葛城が前へ出る。
『俺に向けろ』
『何を言ってる』
『いいから俺に向けろ!』
「そうだ」
真壁が呟いた。
野村が身を乗り出す。
「何です」
「俺は女に向けようとした」
「拳銃を?」
「ああ」
「でも葛城さんが自分に向けさせた?」
「そうだ」
「なぜ」
真壁は額を押さえた。
その先。
女が言う。
『いい判断ですね、葛城さん』
葛城。
『カメラはどこだ』
女。
『たくさんありますよ』
真壁。
『何の話だ』
女が笑う。
『真壁さん』
『……』
『あなたが今、葛城さんへ拳銃を向けている写真が、四年後に必要になるんです』
真壁は目を開けた。
「最初からだ」
「何がです」
「あの女は知ってた」
「何を」
「俺が今、お前に疑われることを」
野村は言葉を失った。
3
四年前の地下駐車場。
記憶が続く。
葛城が真壁に言う。
『銃を下ろすな』
『なぜだ』
『こいつらが欲しい写真を撮らせろ』
女が拍手する。
『さすがですね』
葛城。
『お前たちは未来を予測してるんじゃない』
女の笑みが消える。
『続けて』
『未来を作ろうとしてる』
『少し違います』
『何が』
女は言う。
『私たちは未来を作りません』
『じゃあ何だ』
『選択肢を作るんです』
真壁。
『選択肢?』
『はい』
女は真壁の銃口を見る。
『例えば四年後、この写真を若い刑事さんに見せる』
真壁の背筋に寒気。
若い刑事。
野村。
事件当時はまだ警察官ですらなかった。
女。
『真壁刑事は危険な人間か』
『……』
『それとも、何か事情があったのか』
『……』
『二つの物語が生まれる』
葛城。
『くだらん』
『そうでしょうか』
女は微笑む。
『人間は事実だけでは動きません』
『何が言いたい』
『事実に意味を与えて初めて動く』
そこで記憶が切れた。
真壁は解析室に戻った。
野村が目の前にいる。
四年前。
女は「若い刑事」と言った。
偶然ではない。
「野村」
「はい」
「お前は警察官になる前から選ばれてた」
野村の顔が強張る。
「何のために」
「わからん」
「僕の大学の研究?」
「可能性はある」
「秋月教授?」
「そこを調べる」
真壁は立ち上がった。
「お前が警察を受けた理由は」
「前にも話しましたよ」
「もう一度」
野村は少し考えた。
「大学四年の夏です」
「事件の後か」
「はい」
「それまでは?」
「IT企業を考えてました」
「なぜ変えた」
「……教授です」
真壁の目が細くなる。
「秋月?」
「はい」
「何と言われた」
野村は記憶を探した。
「警察に向いてるんじゃないかって」
「いつ」
「七月七日」
真壁は動きを止めた。
事件前日。
「秋月教授は翌々日に死んだ」
「はい」
「その前日に、お前へ警察官になることを勧めた」
「そうなります」
「理由は訊いた?」
「僕の研究が役に立つかもしれないって」
「警察で?」
「はい」
「映像認識の研究が?」
野村は頷く。
「今考えると妙ですね」
「今さら気づいたか」
「当時は、先生が進路を心配してくれてると思ってました」
「ほかに何か言われなかったか」
野村は首を振りかけた。
そして止まる。
「一つ」
「何だ」
「もし警察に入ったら」
「うん」
「真壁という刑事を探せって」
真壁は何も言わなかった。
4
秋月教授は、
事件前日に、
まだ大学生だった野村へ、
真壁の名前を伝えていた。
「なぜ今まで言わなかった」
真壁が訊いた。
「忘れてました」
「また記憶か」
「先生が死んで、その翌年警察を受けて……時間が経ってましたから」
「俺の名前を見たとき思い出さなかった?」
「配属されたとき?」
「ああ」
「聞いたことがある気はしました。でも」
野村が苦笑する。
「真壁って珍しい名字でもないし」
真壁は机に座った。
「秋月は何を知ってた」
「教授自身が観測計画に関わっていたなら」
「俺たちを守ろうとした可能性もある」
「なぜ?」
「音声で言ってた」
真壁は思い出す。
『もうやめるべきだ』
『これは研究じゃない』
『人が死んだんだぞ』
秋月は途中で降りようとした。
ならば。
その前に保険をかけた可能性がある。
野村。
「教授は、お前を俺のところへ送ろうとした」
「でも実際に僕が真壁さんの部下になったのは二年後です」
「その推薦書を作ったのは誰だ」
「記録上は真壁さん」
「俺じゃない」
「じゃあ」
「秋月の計画を引き継いだ人間がいる」
二人は同時に黙った。
葛城。
高瀬。
秋月。
真壁。
野村。
そして、
まだ名前のない誰か。
「山根徹」
真壁が言った。
「第一観測対象?」
「あいつを探す」
「でも四年前に消えてる」
「消えたんじゃない」
「なぜ言い切れるんです」
真壁は新聞を出した。
事件翌日の朝刊。
秋月教授。
その写真。
赤丸。
「これを俺が葛城に渡した」
「はい」
「なぜ俺が秋月を知ってたと思う」
野村は答えられない。
「事件当日、俺は秋月と接触してた可能性がある」
「記憶は?」
「ない」
「またですか」
「だから山根だ」
「どうつながるんです」
「山根は事件当日、俺に最初の映像を渡した男だ」
真壁は言った。
「その映像に秋月が映っていたんじゃないか」
「でも映像は?」
「残ってない」
「なぜ」
「俺が証拠として提出しなかったからだ」
「覚えてるんですか」
真壁は首を振った。
「記録にない」
「記録を信用するなって話でしょう」
「だから調べる」
5
山根徹。
事件当時四十八歳。
住所、奈良市内。
職業、映像機器販売会社勤務。
独身。
親族なし。
事件三日後から所在不明。
失踪届なし。
そして奇妙なこと。
住民記録は存在する。
納税記録もある。
だが、
二〇二二年以前の公的記録を遡ると、
ところどころに穴がある。
「運転免許の更新写真」
野村が言った。
「ありません」
「なぜ」
「免許なし」
「旅券」
「なし」
「マイナンバー」
「登録あり」
「顔写真は」
「取得できる範囲にはないです」
「勤務先」
野村が調べる。
「会社は二〇二三年に清算」
「元社員」
「連絡先を探します」
一時間後。
一人見つかった。
山根の元同僚。
電話。
真壁が訊く。
「山根徹さんについて伺いたいんですが」
『山根?』
「はい」
『そんな社員いましたかね』
真壁と野村は顔を見合わせた。
「二〇二二年当時、そちらの会社に勤務しています」
『私、十五年いましたけど』
「知らない?」
『少なくとも同じ営業所にはいません』
「社員名簿に名前があります」
『そう言われても』
電話を切る。
別の元社員。
同じ。
知らない。
三人目。
知らない。
四人目。
『ああ、山根さん』
真壁が身を乗り出す。
「知ってますか」
『会ったことはないですけど』
「どういう意味です」
『メールだけ』
「メール?」
『本社のシステム担当だったかな。何度か連絡しました』
「電話は」
『ないです』
「顔は」
『見たことありません』
山根徹。
記録上は存在する。
だが、
実際に会った人間がいない。
ただ一人。
真壁を除いて。
事件当日。
真壁に映像を渡した。
「山根の住所へ行く」
真壁が言った。
6
奈良市内。
古いマンション。
山根の住所は三階だった。
302号室。
現在は空室。
管理会社の立ち会い。
「四年前の入居者について覚えてますか」
管理担当者は首を振る。
「担当が違いましたので」
「契約書は」
残っていた。
山根徹。
保証会社。
緊急連絡先なし。
契約期間。
二〇二二年六月一日から。
真壁が止まる。
「事件の一か月前?」
「はい」
「退去」
「七月三十一日」
わずか二か月。
「家賃」
「一括で支払われています」
部屋へ入る。
何もない。
壁。
床。
窓。
当然だ。
四年前。
何人もの入居者がその後に使っている。
野村が部屋を歩く。
「ここから何か出ますかね」
「期待するな」
真壁は窓を開けた。
外。
道路。
向かいの建物。
その瞬間。
「野村」
「はい」
「来い」
窓から見える建物。
小さな雑居ビル。
「何です?」
真壁はスマートフォンで地図を確認した。
四年前のテナント。
二階。
映像編集会社。
会社名。
東和ビジュアルラボ。
「高瀬の勤務先だ」
野村が真壁を見る。
偶然。
また。
山根の部屋の正面に、
高瀬浩二が働いていた会社。
「高瀬は山根を監視してた?」
「逆かもしれない」
「山根が高瀬を?」
真壁は部屋を見る。
何もない。
だが窓から、
高瀬の職場だけはよく見える。
「事件の一か月前から借りた」
「はい」
「事件の三週間後に解約」
「はい」
「高瀬の会社が見える」
「はい」
真壁は呟いた。
「山根は高瀬を見ていた」
7
東和ビジュアルラボはすでに存在しなかった。
しかし当時の会社資料は一部残っていた。
高瀬の同僚。
取引記録。
業務日誌。
事件当日。
高瀬は東京にいた。
これは確認済み。
だが。
事件前日。
七月七日。
高瀬は奈良にいた。
「何の仕事で?」
野村が調べる。
「記録なし」
「交通履歴」
「午後四時に奈良駅」
「その後」
「不明」
「京都のホテル」
「宿泊記録なし」
真壁は考えた。
高瀬。
秋月。
葛城。
真壁。
山根。
全員が七月七日か八日に動いている。
「七日の午後十一時十四分」
真壁が言った。
「葛城の事故」
「はい」
「替え玉三人の写真」
「同じ時刻」
「八分三十二秒」
「はい」
「その時、高瀬はどこにいた」
調べる。
クレジットカード。
交通IC。
携帯基地局。
そして。
「京都です」
「場所」
野村が地図を開く。
真壁の目が止まる。
あのホテルから、
約三百メートル。
「全員いたんだ」
「誰が」
「俺、葛城、高瀬、秋月、野村」
「僕?」
「お前は位置情報が消えてる」
「でも京都にいたとは」
「わからない」
「山根は?」
真壁は言った。
「たぶんいた」
「なぜ」
「二十五枚の写真を撮った人間が必要だ」
野村は黙った。
「山根が撮影者?」
「可能性がある」
そのとき。
真壁の携帯電話が鳴った。
非通知。
野村が見る。
「葛城?」
「違う気がする」
出る。
「真壁だ」
男の声。
知らない。
『山根徹です』
真壁は立ち上がった。
野村も表情を変える。
「本人だと証明できるか」
『できません』
「いい答えだ」
『あなたならそう言うと思いました』
「どこにいる」
『近くです』
真壁は窓を見る。
向かいの建物。
高瀬の元勤務先。
「見てるのか」
『はい』
「どこから」
『四年前と逆です』
真壁は理解した。
今、
山根は高瀬の会社があった建物側から、
山根自身の部屋にいる真壁たちを見ている。
窓へ近づく。
「野村、下がれ」
向かいの二階。
窓。
人影。
男。
電話を持っている。
「山根」
『はい』
「待ってろ」
『来ないほうがいい』
「なぜ」
『私に会ったら、また一つ物語が完成する』
「意味がわからん」
『あなたが私を逮捕する物語です』
「罪を犯したのか」
『それを確かめるために来るんでしょう』
「逃げるな」
『逃げません』
男が窓際に立つ。
顔は見えない。
『真壁さん』
「何だ」
『あなたは葛城に拳銃を向けた理由を思い出しましたか』
「なぜ知ってる」
『撮ったのは私ですから』
真壁と野村が顔を見合わせる。
やはり。
「二十五枚も?」
『はい』
「京都のホテルで?」
『はい』
「替え玉を用意したのもお前か」
『違います』
「誰だ」
『知っています』
「名前を言え」
『名前には意味がない』
「その台詞は聞き飽きた」
山根が小さく笑った。
『では役割を言いましょう』
「何だ」
『編集者です』
「映像の?」
『いいえ』
山根は答えた。
『記憶の編集者です』
真壁は黙った。
『秋月教授が理論を作った』
『高瀬さんが映像技術を提供した』
『葛城さんが警察記録への入り口になった』
『そして私は観測した』
「俺は?」
沈黙。
「俺の役割は何だ」
山根が答える。
『あなたは基準です』
「基準?」
『どこまで記録を書き換えれば、一人の刑事が自分の記憶を捨てるか』
真壁の手に力が入る。
『あなたは、その境界を測るために選ばれた』
「野村は」
『第二世代です』
野村が電話へ近づく。
「僕のことをいつから知っていた」
『大学一年です』
野村の顔色が変わる。
「なぜ僕を」
『秋月教授が選びました』
「先生が?」
『はい』
「何のために」
『あなたなら、真壁さんと逆の反応をすると思ったからです』
「逆?」
山根が言った。
『真壁さんは記録を信じ、自分の記憶を捨てた』
短い沈黙。
『あなたは、自分の記憶を信じ、記録を捨てる人間です』
野村は何も言わない。
『二人を組ませれば、どうなるか』
「実験したかった?」
『そうです』
真壁の怒りが膨らむ。
「人間を何だと思ってる」
山根は答えなかった。
「高瀬はなぜ死んだ」
沈黙。
「秋月は」
沈黙。
「答えろ」
『私は殺していません』
「じゃあ誰だ」
『その質問に答えるために、あなたを呼びました』
「どこへ」
『今、私がいる部屋です』
「そこで待て」
『待っています』
真壁は電話を切ろうとした。
山根が言った。
『ただし一つだけ』
「何だ」
『野村さんは連れてこないでください』
野村が真壁を見る。
「なぜ」
山根の声が変わった。
『彼はまだ知らないからです』
「何を」
長い沈黙。
そして。
『七月七日の午後十一時十四分』
真壁は息を止める。
『あのホテルで二十五枚の写真を撮ったのは私です』
「知ってる」
『では』
山根が言った。
『写真に写っている、野村さんに似た男が誰なのかは?』
真壁は野村を見る。
『あれは替え玉ではありません』
野村の表情が消えた。
「何を言ってる」
『本人です』
野村が電話を奪う。
「嘘だ!」
『野村さん』
「僕はあそこにいない!」
『あなたはいました』
「記憶にない!」
『だからです』
「何が!」
山根の声は静かだった。
『あなたが第一号なんですよ』
野村が動きを止める。
「何の」
『記録によって記憶を失った人間ではない』
『記憶そのものを、自分で消すことに成功した最初の人間です』
電話が切れた。
8
野村は携帯電話を握ったまま立っていた。
「嘘です」
真壁は何も言わない。
「僕は京都にいない」
「今は決めるな」
「写真だって偽物かもしれない」
「ああ」
「山根の話も」
「ああ」
「だったら」
「だから確かめる」
真壁は出口へ向かう。
「ここにいろ」
「嫌です」
「山根はお前を連れてくるなと言った」
「だから行くんです」
「命令だ」
「さっき言いましたよね」
野村が真壁を見る。
「自分自身も疑えって」
「ああ」
「真壁さんの判断も疑います」
真壁は一瞬黙った。
「生意気になったな」
「相棒なので」
二人は部屋を出た。
階段。
道路。
向かいの雑居ビル。
二階。
扉が開いている。
中へ。
「山根!」
返事なし。
部屋は薄暗い。
机。
椅子。
モニター。
一人の男が座っている。
背中。
真壁が近づく。
「山根徹か」
男は動かない。
野村が横へ回る。
そして。
「真壁さん」
男は目を閉じていた。
首筋へ指。
「生きてます」
気を失っている。
机の上に注射器。
真壁は触らない。
救急要請。
そのとき。
モニターが点灯した。
映像。
この部屋。
数分前。
山根が電話している。
真壁たちと話していた時間だ。
そして。
電話を切った直後。
部屋へ誰かが入ってくる。
顔は映らない。
山根が振り向く。
驚かない。
知っている相手。
「誰だ」
野村が呟く。
人物が山根へ近づく。
山根が言う。
音声あり。
『遅かったですね』
相手。
声は加工されている。
『予定が変わった』
山根。
『真壁は来ます』
『知っている』
『野村も』
『それも』
山根の表情が変わる。
『では、次へ?』
相手。
『いや』
短い沈黙。
『観測は終了だ』
山根が立ち上がる。
『まだデータが足りない』
『十分だ』
『何がわかった』
人物が答える。
『二人とも選ばなかった』
真壁と野村は顔を見合わせる。
『だから成功だ』
山根。
『何が?』
人物。
『第三の選択だ』
映像が乱れる。
次の瞬間、
山根は椅子に倒れている。
人物がカメラを見る。
顔は映らない。
だが胸元。
名札。
警察。
真壁の顔が強張る。
奈良県警。
人物はカメラへ近づく。
そして、
一枚の紙をレンズへ見せた。
《24》
次の瞬間、
映像が消えた。
野村が呟いた。
「警察内部……」
真壁は答えなかった。
予想していた。
だが予想と確認は違う。
救急車の音が遠くから聞こえる。
真壁は倒れている山根を見る。
その右手が、
わずかに動いた。
「山根?」
目が開く。
真壁が近づく。
「誰にやられた」
山根の唇が動く。
「誰だ」
小さな声。
聞き取れない。
真壁が耳を近づける。
山根は言った。
「……最初から……」
「何だ」
「最初から……いました」
「誰が」
山根の目が野村へ向く。
そして真壁へ。
「あなたたちの……近くに」
「名前を言え」
山根は苦しそうに息を吸った。
「二発目の……あと……」
「何だ」
「最初に……あなたの肩を……」
真壁の心臓が跳ねた。
事件発生直後。
県警本部。
緊急招集。
廊下。
誰かが真壁の肩を叩いた。
記憶。
『真壁』
振り返る。
男。
「まさか……」
記憶が戻る。
真壁が呟いた。
「岸田」
野村の顔が変わった。
捜査課長。
岸田。
この数日間、
ずっと二人の捜査を見ていた男。
山根の唇が動く。
だが出てきた言葉は、
真壁の予想とは違った。
「岸田さんじゃ……ない」
真壁が固まる。
「じゃあ誰だ」
山根は最後の力で言った。
「岸田さんの……後ろにいた人です」
「誰だ!」
山根の目が閉じる。
救急隊員が入ってくる。
真壁は下がらされた。
処置。
酸素。
担架。
野村が真壁を見る。
「岸田さんの後ろ……」
真壁は四年前の記憶を探した。
事件直後。
県警本部。
廊下。
岸田。
その後ろ。
確かに誰かいた。
男。
スーツ。
警察官ではない。
真壁はその顔を思い出そうとする。
ぼやける。
だが、
一つだけ覚えていた。
男は腕時計をしていなかった。
代わりに、
左手首へ黒いバンドを巻いていた。
そして現在。
真壁は同じものを見たことがある。
高瀬浩二の死亡写真。
ホテルの机。
遺留品。
黒いバンド。
真壁は野村を見る。
「高瀬の遺留品を全部調べ直すぞ」
「なぜ」
「あの黒いバンドだ」
「スマートウォッチ?」
「違う」
真壁はようやく思い出した。
四年前。
岸田の後ろにいた男が、
その黒いバンドを操作した瞬間。
真壁の携帯電話が震えた。
そして画面に、
一行だけ表示された。
《記録を開始します》
あれが、
最初だった。
十七本目でもない。
十八本目でもない。
事件前日の京都でもない。
真壁自身にとっての「観測」は、
二発目の直後から始まったのだ。
そしてもし、
同じ黒いバンドを高瀬が持っていたのなら。
高瀬は被害者だっただけではない。
かつて、
観測する側にいた可能性がある。
真壁は救急車に運び込まれる山根を見た。
二十四番目の記録。
それが示したのは、
犯人の名前ではなかった。
もっと厄介な事実だった。
この事件を追ってきた人間の中に、
最初から、
観測者が混じっていた。
そしてその人物は、
今も警察内部にいる。
(第8章に続く)

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