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松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十五章・第四十六章
第四十五章 《曇天の余白》 その日、朝から新宿は霧雨に包まれていた。濡れたアスファルトの上を足早に行き交う人々は、誰もが何かに追われるような面持ちで、傘を傾け、肩をすぼめて歩いていた。杉村の足も、その流れのなかにあった。 「……坂上ビル、... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十三章・第四十四章
第四十三章 蛇の尾を追う 梅雨空の隙間から、わずかな陽光が都心のアスファルトに射し込んでいた。だがその仄かな明るさは、堂本奈々の胸中に漂う暗澹を拭うには至らなかった。 「“蛇の尾”を辿れ」 昨夜、内閣調査室の女――新藤から手渡されたその一言は、... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十一章・第四十二章
第四十一章 転位の座標 世田谷の一角、古い地層の上に建つ民家の地下に、その書斎はあった。昭和初期の造りを保ちつつ、床下には耐震改修を施された隠し部屋が存在する。望月良治が神原秋人の遺品から導き出した「転位の座標」は、この家を指していた。 ... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第三十九章・第四十章
第三十九章 灰色の矢印 夕暮れの東京湾沿い。かつて新興宗教団体が実験施設を建設しようとして中断された区画に、一人の男が立っていた。 白髪まじりのその男――望月良治は、元国家公安委員会の参事官であり、かつて地下鉄サリン事件の初動対応に関わった... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第三十七章・第三十八章
第三十七章 供述者の影 六月の雨は、東京のアスファルトに冷たい黙を落としていた。国会記者クラブの一室。記者たちのざわめきは、午後三時を回っても収まることがなかった。 奈々は白いブラウスに身を包み、用意された長机の前に座っていた。顔には明ら... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第三十五章・第三十六章
第三十五章 静かなる霧 雨は、深夜の東京にしっとりと降っていた。 それは、あらゆる輪郭を滲ませ、真実と虚構の境界線を曖昧にするような降り方だった。人々の息づかいも車のエンジン音も、アスファルトに吸い込まれ、街は鈍い心音だけを響かせていた。 ... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第三十三章・第三十四章
第三十三章 重奏する沈黙 かすかな雨が降っていた。 梅雨入り前のどんよりとした空の下、梶村奈々は新宿御苑の北側、外れの公園にいた。長袖のジャケットにフードをかぶり、ベンチに座っている。手元のトートバッグには、岩倉貞明が遺した手帳の複写と、... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第三十一章・第三十二章
第三十一章 暴露の刻(とき) 都心のビル街に朝の陽光が差し込む頃、梶村奈々はひとり、出版社の小さな会議室にいた。机上にはノートPCと、USBメモリ、そして分厚いファイルの束。昨夜、高村辰夫の邸で手に入れた「記録群」がそこに広げられていた。 外山... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十九章・第三十章
第二十九章 密室の協定 ドアが破られる音は、耳の奥に残響として残った。 それが現実のものだったのか、あるいは奈々の精神が見せた幻だったのか。気づけば、彼女は部屋の中央にしゃがみ込んでいた。外からの足音は、すでに遠ざかっていた。破壊された形... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十七章・第二十八章
第二十七章 断章の遺言 その朝、東京都港区の海辺にほど近い赤坂検察庁には、まだ梅雨入りを控えた初夏の湿気が淀んでいた。 梶村奈々は、ノートパソコンを膝に乗せたまま、応接室の硬いソファに身を沈めていた。彼女の視線の先には、無機質なスチール製...