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三島由紀夫を模倣し「太宰治」を題材にした小説『懺悔記』第五章・第六章
第五章 勝利という名の敗北 私は太宰に勝った――と、思った。 ある日、私はふと気づいたのだ。あの湿った夢も、血のような原稿も、狂気に手を染めた数日間の筆致も、それらすべてが一つの転回点を画していた。私は初めて、太宰の“内側”に入った。いや... -
三島由紀夫を模倣し「太宰治」を題材にした小説『懺悔記』第三章・第四章
第三章 亡霊としての太宰 太宰が死んでから、世界は静かになった。 いや、より正確に言うならば、私の世界が静まり返ったのだ。新聞は数日のあいだ彼の死を騒ぎ立てたが、東京の街はすぐにいつものざわめきを取り戻し、銀座には香水の香りが戻り、神... -
三島由紀夫を模倣し「太宰治」を題材にした小説『懺悔記』第一章・第二章
第一章 死に至る病としての美 その朝、私は破れてしまった靴を磨いていた。靴底の裂け目から覗く濡れたコンクリートは、まるで己が魂の亀裂のように不快で、しかも滑稽だった。自らの惨めを誇る――その技巧だけに生きてきた者にとって、こうした些細な不... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第九章・最終章
第九章 火の鎮魂 一 秋が深まった。村の空気はすっかり冷え、柿の実が赤く熟れている。 私は村の郷土資料館にある「夏祭りの供養記録」を手に取っていた。 あの夜、カレーを食べたことで四人が倒れ、うち二名が死亡した。使用されたのは家庭用のヒ... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第七章・第八章
第七章 鉄鍋の火は誰のため 一 九月十日、澄江の屋敷を辞した私は、ふたたび御堂家の敷地内にある「火の祠(ほこら)」を訪れた。 祠は竈の神「奥津日子神(おきつひこのかみ)」を祀ったもので、御堂家の女たちが代々、塩を炊く祭儀を行ってきた場所... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第六章
第六章 塩と遺言 一 九月に入っても、御堂の村には一向に涼しさが訪れなかった。陽が傾くにつれて湿気は増し、樹々の影はより濃く、重く、そして何より――人々の口がさらに硬くなった。 村の者は、あの事件について口を開かない。それは“忘却”ではなく... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第五章
第五章 土蔵に封じられた名 一 八月の終わり、暑さの色もやや褪せた夕暮れに、私は再び御堂家を訪れた。 久枝が村を去ったあと、屋敷の空気は一層重く沈んでいた。彼女の義母、御堂ツネはかつての矍鑠さを失い、庭に佇んだまま茜色の空を仰いでいた。... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第四章
第四章 黄泉の継ぎ穂 一 夜半過ぎ、風もないのに軋む障子の音で目を覚ました私は、闇の中で確かに何者かの気配を感じた。 その“それ”は、誰かの顔をしていた。 いや、顔だけだった。湿った髪が頬に張り付き、片目が異様に大きく膨れていた。 私は... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第三章
第三章 地蔵堂の祠と蛆の記憶 一 東角村の朝は遅い。日が昇っても尚、空は白く曇り、霧が低く垂れ込めていた。私はその朝、宿の女中から聞いた奇妙な話をきっかけに、再び村の奥へ足を運んでいた。 「地蔵堂へは行かん方がええです。あそこは……人が連れ... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第二章
第二章 赤き金魚と闇の井戸 一 その夜、私は眠れなかった。旅館の安普請な畳部屋に寝転んでみても、襖の向こうでしきりに虫が鳴き、時折、軋むような音が響く。風もなく、扇風機の羽音が天井にこだまして、まるで誰かが部屋の中で息を潜めているよう...