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松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十九章・第三十章
第二十九章 密室の協定 ドアが破られる音は、耳の奥に残響として残った。 それが現実のものだったのか、あるいは奈々の精神が見せた幻だったのか。気づけば、彼女は部屋の中央にしゃがみ込んでいた。外からの足音は、すでに遠ざかっていた。破壊された形... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十七章・第二十八章
第二十七章 断章の遺言 その朝、東京都港区の海辺にほど近い赤坂検察庁には、まだ梅雨入りを控えた初夏の湿気が淀んでいた。 梶村奈々は、ノートパソコンを膝に乗せたまま、応接室の硬いソファに身を沈めていた。彼女の視線の先には、無機質なスチール製... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十五章・第二十六章
第二十五章 迷宮の輪郭 東京・神田の一角、古書店が立ち並ぶ裏路地に、「文献堂」と書かれた小さな古書店があった。時間が止まったようなその空間で、梶村奈々は一冊の分厚い学術誌をめくっていた。 『国際神経毒性学会報告書1993年版』 目当ては、ある研... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十三章・第二十四章
第二十三章 交錯する斑影 刑事・柳田は、錦糸町駅近くの喫茶店の窓際で、じっと雨に濡れるアスファルトを見つめていた。コーヒーには口をつけず、ただ右手の指先だけが微かに動いている。その指の動きは、長年の習慣である――追い詰められたときに出る癖だ... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第二十一章・第二十二章
第二十一章 影の契約 霞が関の地中深く、照明の消えた資料室で、矢代雅史と香西誠二は“国家の眼”に照らされていた。 目の前の老人――国家戦略室の非公式顧問と名乗った男は、飄々とした物腰とは裏腹に、絶対的な支配の空気を纏っていた。 「我々は、君... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第一九章・第二十章
第十九章 傍聴の檻 梅雨の雨脚が永田町の舗道を濡らし、路面に溜まった薄汚れた水たまりに、国会議事堂の逆さの姿がゆらゆらと揺れていた。 その中心、警備が最も厳重な国会議事堂本館。その“第九セクション”という聞き慣れぬ部屋を指す手がかりが... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第十七章・第十八章
第十七章 亡霊の記憶 午後の霞ヶ関。官庁街の空はどんよりと曇っていた。午前中の騒動が信じられないほど、ビル群は沈黙し、人々は何も起きなかったかのように歩いていた。だが、その仮面の下に、わずかに蠢く不安と猜疑が、煙のように漂っている。 ... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第十五章・第十六章
第十五章 再演の予兆 霞が関の一角にある公安調査庁庁舎、その地下にある応接室は窓もなく、空調の音さえ微かにしか聞こえない密閉された空間であった。照明は控えめで、資料とタブレット端末が並ぶテーブルを囲んで、矢代雅史と香西誠二、そして若い調... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第一三章・第十四章
第十三章 旧友の影 深夜一時過ぎ、雨は小康状態にあった。舗道に灯る街灯の光が濡れたアスファルトに反射して、不規則な幾何学模様を浮かび上がらせている。そんな道を、新聞記者の矢代雅史は濡れたコートの裾をひるがえしながら足早に歩いていた。 ... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第十一章・第十二章
第十一章 録音された声 湾岸の風は、朝焼けの気配を孕みながら、どこか粘つくような湿りを持って吹いていた。 志水拓海と白井加奈子が降り立ったのは、お台場の倉庫街に並ぶ古びた建物の一角。薄く錆びたトタンの壁に、手書きの看板が掲げられていた...