-
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第五章
第五章 土蔵に封じられた名 一 八月の終わり、暑さの色もやや褪せた夕暮れに、私は再び御堂家を訪れた。 久枝が村を去ったあと、屋敷の空気は一層重く沈んでいた。彼女の義母、御堂ツネはかつての矍鑠さを失い、庭に佇んだまま茜色の空を仰いでいた。... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第四章
第四章 黄泉の継ぎ穂 一 夜半過ぎ、風もないのに軋む障子の音で目を覚ました私は、闇の中で確かに何者かの気配を感じた。 その“それ”は、誰かの顔をしていた。 いや、顔だけだった。湿った髪が頬に張り付き、片目が異様に大きく膨れていた。 私は... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第三章
第三章 地蔵堂の祠と蛆の記憶 一 東角村の朝は遅い。日が昇っても尚、空は白く曇り、霧が低く垂れ込めていた。私はその朝、宿の女中から聞いた奇妙な話をきっかけに、再び村の奥へ足を運んでいた。 「地蔵堂へは行かん方がええです。あそこは……人が連れ... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第二章
第二章 赤き金魚と闇の井戸 一 その夜、私は眠れなかった。旅館の安普請な畳部屋に寝転んでみても、襖の向こうでしきりに虫が鳴き、時折、軋むような音が響く。風もなく、扇風機の羽音が天井にこだまして、まるで誰かが部屋の中で息を潜めているよう... -
横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第一章
第一章 毒の郷より 一 その村には、かねてより毒の因縁があった。 鉄の匂いが鼻をつき、白日のもとに人は倒れ、血の気の引いた土間には、いずれも「わからずやの理」が転がっていた。そう、誰がいつこの村に“毒”を持ち込んだのか。誰がそれを“味”に変え... -
山岡荘八を模倣した小説『昭和の嵐 ー東條英機伝ー』第十一章 歴史の法廷・最終章 記憶のかたち
第十一章 歴史の法廷 昭和が終わり、平成が始まり、さらに令和の世が訪れてもなお、 一人の男の名は、歴史の彼方から人々の口に上ることがある。 東條英樹—— 彼は、戦争を導いた張本人として語られ、 また一方では、国家の犠牲者、あるいは忠臣... -
山岡荘八を模倣した小説『昭和の嵐 ー東條英機伝ー』第九章 灰と鉄と・第十章 最後の命令
第九章 灰と鉄と 昭和十八年夏、東京の空は鉛色に沈んでいた。 遠雷のような音が響き、誰かが空を見上げて呟いた。 「B二十九……来るぞ」 それは、太平洋戦争開戦から二年。 日本本土に、ついに戦火が及び始めたことを告げる、恐るべき兆しだった... -
山岡荘八を模倣した小説『昭和の嵐 ー東條英機伝ー』第七章 開戦の檻・第八章 勝利の陰影
第七章 開戦の檻 昭和十六年十一月。 東京の空は灰色の雲に覆われ、時折小雨が石畳を濡らしていた。 総理大臣官邸の執務室にて、東條英樹は長机に置かれた分厚い書類に目を通していた。 その書類の一枚には、「米国国務省提出対日覚書」と記され... -
山岡荘八を模倣した小説『昭和の嵐 ー東條英機伝ー』第五章 軍務局の塔・第六章 政軍の断層
第五章 軍務局の塔 昭和八年、晩秋。 東條英樹は、重い扉を押し開け、再び東京の霞ヶ関に戻ってきた。 関東軍憲兵隊長としての任を終えた彼に与えられた新たな任務は、陸軍省軍務局の中枢であった。 軍務局——それは帝国陸軍の頭脳、作戦・人事・... -
山岡荘八を模倣した小説『昭和の嵐 ー東條英機伝ー』第三章 参謀の眼・第四章 満洲の風
第三章 参謀の眼 大正三年、春。 東京市麹町、陸軍大学校の門前に、ひとりの青年将校が姿を現した。黒革の軍靴を鳴らし、軍帽の庇を低くかぶり、その背筋は直線のごとくに伸びていた。 ——東條英樹、三十一歳。 既に少佐の階級を帯びていた彼は、...