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佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第二十五章
第二十五章 教室と、まだ名のない感情 学校というところは、戦争中も戦争後も、たいして変わり映えのしない顔をしているらしい。変わるのはそこに集まる人間のほうで、建物は相変わらず、半分崩れていようが、黙って子どもたちを呑み込むだけだ。 少... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第二十三章・第二十四章
第23章 骨の匂いと、沈黙の胃袋 戦争が終わったと言われてから、もう三日が経った。三日という時間にどれほどの意味があるかは知らない。人間の心が三日で治るはずはないし、三日で未来が見えるほど人間は都合よくできてはいない。だが、町には「三日」... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第二十一章・第二十二章
第21章 灰の上の光 その朝、町の上には、かすかに青が戻っていた。 戦争が終わった翌日の空は、不思議なほど静かだった。 爆音も警報も、誰かの叫びもない。ただ、遠くで風が家々の隙間を通り抜ける音だけがあった。 少年は、瓦礫の街をゆっくり... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十九章・第二十章
第十九章 骨の雨と声の終わり その朝、風が東から吹いていた。雨上がりの空は白く、雲の輪郭が曖昧で、まるで世界そのものがどこかへ行ってしまう前の「余白」だけを残しているように見えた。 少年は、崩れかけた家の裏に腰を下ろし、濡れた地面に手... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十七章・第十八章
第十七章 風と釜戸と、沈黙の取引 朝の光は、薄紙のようだった。ふわりと、どこにも引っかからずに漂っているだけで、何も照らそうとしない光。照らさない光は、責任を負わない。光が責任から逃げるのなら、人間だって逃げていいのではないか──少年はそ... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十六章
第十六章 闇市の声と骨の温度 朝の空気が乾いている。乾いているのに、ひどく湿っている気がした。人間の気配が湿り気を持つのだ。焼け跡の隙間から出てくる人々は、みな、地下足袋の底に吸い付いた灰を引きずって歩く。灰は軽い。軽いくせに落ちない。... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十四章・第十五章
第十四章 砂糖の底に沈む午後の影 古い正午の光は、薄く濁った緞帳の隙間から、だらしなく這い降りてきた。机の上には、薄らく曇った硝子瓶。それは伯母がかつて「砂糖よ」と言って差し出した、どことも判別のつかない甘味料の瓶である。中身は今や湿気... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十二章・第十三章
第十二章 午前の小さな言葉 朝は、思っていたより早く軽くなった。 昨夜の濡れ痕は、布より、皮膚より、思考の奥に薄く沈み、少年の体温と同じ速度で形を変えていた。完全に乾くわけではない。乾かなくていい、と少年は思った。乾いてしまえば、それは... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十章・第十一章
第十章 夜の濡れ痕 夜が来た。 少年は家の前に立った。その玄関の上には、濡れた庇がある。そこへ落ちる雨粒の音が、高い音と低い音を交互に鳴らしていた。雨脚は強い。だが少年は、家の中へ入ろうとせず、ただ軒下から庭の暗さを見ていた。濡れた土は... -
佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第八章・第九章
第八章 午後の音 午後になって、少年は港とは反対の、少し高い坂道をのぼっていた。まるで、朝の世界と午後の世界は別の季節のようで、光の傾きだけで風の温度が変わった。少年の足元に落ちる影は短くなり、舗装の小石ひとつひとつまでが、細かい輪郭を...