松本清張– category –
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松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第五十七章・第五十八章
第五十七章 火口の声 外は、雨だった。 浅草観音裏の蔵の中で、上條省吾と宇津木静馬は無言のまま作業を続けていた。手元のスキャナが、昭和中期の褪せた紙を一枚一枚データに変換し、外部ドライブに転送されていく。 機械音だけが響く空間で、二人の間に... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第五十五章・第五十六章
第五十五章 密約の残像 上條省吾が第三庁舎を脱出したのは、午前2時12分。深夜の霞が関は、霧雨にけぶっていた。地下から地上へ出る非常口は、通用門の裏手に設けられた狭隘な通風口だった。錆びた金網を外し、膝をついて泥にまみれながら彼は這い出した... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第五十三章・第五十四章
第五十三章 冷たい帳簿 ――黒いコートの男が残した言葉、「君は、開けてはならない扉を開けた」。 あの瞬間から、上條省吾は時間の流れに亀裂が入ったような錯覚に陥った。 照明が消え、暗闇に沈んだ資料保管室で、背後の足音と衣擦れの音が遠ざかっていく... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第五十一章・第五十二章
第五十一章 記憶の檻 昭和の終わりに建てられた集合住宅の一角で、上條省吾は久方ぶりに懐かしい空気を吸っていた。壁紙は黄ばんで剥がれ、畳の縁は擦り切れ、台所の換気扇には長年の油が染みついていた。だが、この荒れた空間が彼には妙に心地よかった。... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十九章・第五十章
第四十九章 《特別監視区域》 霞が関の一角。旧建設省庁舎の地下三階にある機密会議室には、冷気のような沈黙が支配していた。 長方形のテーブルを囲むのは、内閣官房副長官補、内閣情報調査室室長、防衛省参事官、公安調査庁次長、そして国家安全保... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十七章・第四十八章
第四十七章 《報せ人》 その夜、九段下の地下壕から一人の男が運び出された。意識はなく、胸元にはかすかに温もりが残っていた。 搬送されたのは都心の某医療施設。表向きは一般の総合病院であるが、政治家や官僚の秘密裏な治療にも使われる“灰色の施設... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十五章・第四十六章
第四十五章 《曇天の余白》 その日、朝から新宿は霧雨に包まれていた。濡れたアスファルトの上を足早に行き交う人々は、誰もが何かに追われるような面持ちで、傘を傾け、肩をすぼめて歩いていた。杉村の足も、その流れのなかにあった。 「……坂上ビル、... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十三章・第四十四章
第四十三章 蛇の尾を追う 梅雨空の隙間から、わずかな陽光が都心のアスファルトに射し込んでいた。だがその仄かな明るさは、堂本奈々の胸中に漂う暗澹を拭うには至らなかった。 「“蛇の尾”を辿れ」 昨夜、内閣調査室の女――新藤から手渡されたその一言は、... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第四十一章・第四十二章
第四十一章 転位の座標 世田谷の一角、古い地層の上に建つ民家の地下に、その書斎はあった。昭和初期の造りを保ちつつ、床下には耐震改修を施された隠し部屋が存在する。望月良治が神原秋人の遺品から導き出した「転位の座標」は、この家を指していた。 ... -
松本清張を模倣し「地下鉄サリン事件」を題材にした小説『曇天の螺旋』第三十九章・第四十章
第三十九章 灰色の矢印 夕暮れの東京湾沿い。かつて新興宗教団体が実験施設を建設しようとして中断された区画に、一人の男が立っていた。 白髪まじりのその男――望月良治は、元国家公安委員会の参事官であり、かつて地下鉄サリン事件の初動対応に関わった...