佐藤愛子– category –
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佐藤愛子
佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十二章・第十三章
第十二章 午前の小さな言葉 朝は、思っていたより早く軽くなった。 昨夜の濡れ痕は、布より、皮膚より、思考の奥に薄く沈み、少年の体温と同じ速度で形を変えていた。完全に乾くわけではない。乾かなくていい、と少年は思った。乾いてしまえば、それは... -
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佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十章・第十一章
第十章 夜の濡れ痕 夜が来た。 少年は家の前に立った。その玄関の上には、濡れた庇がある。そこへ落ちる雨粒の音が、高い音と低い音を交互に鳴らしていた。雨脚は強い。だが少年は、家の中へ入ろうとせず、ただ軒下から庭の暗さを見ていた。濡れた土は... -
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佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第八章・第九章
第八章 午後の音 午後になって、少年は港とは反対の、少し高い坂道をのぼっていた。まるで、朝の世界と午後の世界は別の季節のようで、光の傾きだけで風の温度が変わった。少年の足元に落ちる影は短くなり、舗装の小石ひとつひとつまでが、細かい輪郭を... -
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佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第六章・第七章
第六章 風の穴 その朝、町は風の音に穴が空いていた。 風そのものは吹いていた。だが、吹きながら自分の音を持っていなかった。音が死ぬと、風はただの“圧”になる。湿った、薄い圧。 その圧が、家の板戸を押しては戻し、押しては戻し、壊れもせず、... -
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佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第四章・第五章
第四章 水辺の灯 川の水は、火事の翌週になっても、焦げの薄皮をかぶっていた。春の入口なのに、冬の息を引きずっていた。季節は律儀なようで、案外、だらしない。切り替えが下手だ。人間と似ている。人間が季節に似るのではなく、季節が人間に似るのだ... -
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佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第二章・第三章
第二章 港の背骨 朝は、焼け跡にだけ公平だった。 誰が泣こうが、誰が怒鳴ろうが、朝は勝手に薄ら明るくなる。都合は聞かない。意思を尊重する気もない。太陽はこの国で一番冷淡なものだ。気象庁は彼を讃え過ぎている。あれは称える対象ではない。た... -
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佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』プロローグ・第一章
プロローグ「私の見た町」 この町は、いまはきれいに舗装され、犬も神妙に散歩している。昔は土が剥き出しで、雨が降るとすぐ泥になった。泥は正直で、ついた足跡のとおりに人が生きた。戦があった年、空から火が降って、家は軽く燃え、親は重く沈んだ。...