司馬遼太郎を模倣した小説『蒼穹の翼ー山本五十六伝ー』最終章

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第十八章 誰が戦争を終わらせるのか

 昭和十八年四月十八日。

 帝国海軍は、ひとつの星を失った。

 “連合艦隊司令長官 山本五十六、大東亜戦争戦没”

 新聞の見出しは、簡潔だった。

 だがその背後にある“真実”を、民衆は知らなかった。

 彼が、どのような覚悟でその空へ飛び立ったのかを。

 彼が、死をもって“何か”を伝えようとしたのかを。

 その死は、前線の将兵に重く響いた。

 「長官が……あの人が死んだと聞いたとき、

 自分は初めて、戦が終わるかもしれないと感じた」

 ある老兵は、戦後の証言でそう語っている。

 「それは“勝利”の終わりではない。

 “信じるもの”の終わりだったんです」

 五十六の葬儀は、国葬となった。

 だが、その式場に響いた軍楽は、どこか空虚だった。

 戦局は悪化の一途をたどり、誰もが“次の敗報”に備えていたからだ。

 彼の側近だった宇垣纒は、葬儀後に私的な手記を記した。

 《長官は、最後まで“勝ち方”を考えていた。

 だが、誰も“終わらせ方”を聞こうとしなかった。》

 《彼が逝ったその日、日本は戦に勝てぬことを、誰より先に悟ったのかもしれぬ。》

 一方で、大本営や陸軍内では、彼の死を“士気の燃料”とした。

 「山本の意志を継いで、断固戦い抜く」――

 そうしたスローガンが各地に飛び交った。

 だが、それは彼の“本意”だったのだろうか。

 敗戦後。

 焼け跡の東京にて、一人の新聞記者が回想録を綴っていた。

 「山本五十六は、最後まで“現実”を見ていた。

 それが、彼の孤独の始まりだった」

 「彼は英雄ではない。むしろ、“敗戦のなかの理性”だったのだ」

 ある戦史研究家はこう記す。

 《彼は、戦争を知っていたからこそ、戦争を怖れていた。

 そして、だからこそ、真に“戦わねばならぬ時”を見極めようとした。》

 《だが、日本という国は、そういう指導者を求めてはいなかった。》

 昭和二十年八月十五日。

 玉音放送が流れた日。

 かつての五十六の部下たちは、いずれも沈黙していた。

 その一人が、後にこう語った。

 「もし、あの人が生きていたら――

 自分たちは、もっと早く戦を終わらせていたかもしれない」

 ――だが、彼はいなかった。

 そして、国はすべてを焼き尽くしてから、ようやく“講和”を選んだ。

 平成の世。

 かつて彼が手帳に記した言葉が、ある資料館で展示されている。

 《戦とは、勝つことより、終えることの方が難しい。

 指導者たる者、その終わり方にこそ責任を持つべし》

 静かにその文を読み終えた高校生が、ぽつりと呟いた。

 「この人、戦争をしたくなかったんだな……」

 引率の教師が頷いた。

 「そうかもしれない。だが、やらねばならなかった。

 だからこそ、彼は“やり方”と“終わらせ方”を、ずっと考えていたんだろう」

 外では、春の光が差していた。

 そして、世界はまた、どこかで争いを始めていた。

 ――あのとき、五十六が問い続けたことは、

 まだ、私たちに答えを求めている。

(終)

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