遠藤周作を模倣し、『旧統一教会』を題材にした小説、「沈黙の祈祷(きとう)―第二部・暗影の果て―」プロローグ

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プロローグ ――銃声の残響

 その日、夏の陽は異様に眩しかった。

 炎天下の舗道に、白い線がゆらめいていた。

 誰かの叫び声が、遠くのスピーカーから割れて聞こえる。

 ――次の瞬間、音が消えた。

 世界が一度、息を止めたようだった。

 それは、ひとつの銃声であった。

 しかし、銃弾よりも深く人々の胸を貫いたのは「音の消えた後」だった。

 沈黙が、街を覆った。

 その沈黙の中で、人々は何かを悟り、何かを失った。

 そして日本という国は、その瞬間を境に、ひとつの“祈りの形”を変えたのだった。

     *

 事件から三日後、杉本は奈良駅前の喫茶店にいた。

 カウンターの奥では、テレビが繰り返し映像を流していた。

 あの銃声。倒れた背中。駆け寄る人々。

 誰もがその映像を見ていながら、誰もそれを「現実」と呼べないままでいた。

 新聞記者としての習性で、杉本は無意識にノートを開いた。

 だが、何を書くべきか分からなかった。

 「安倍晋三元首相、銃撃され死亡。」

 見出しはすでにあらゆる紙面を飾っていた。

 だが、言葉の下に流れる“沈黙”を、どのメディアも書いてはいなかった。

 “なぜ彼が狙われたのか”――

 その問いは事件の直後から、社会全体を覆っていた。

 容疑者の動機、宗教団体との関係、献金の影。

 だが杉本の胸を打ったのは、別の疑問だった。

 「なぜこの国では、信仰がこれほどまでに“金と憎しみ”に近いのか。」

     *

 奈良の取材を終えて帰京した夜、杉本は母のノートを開いた。

 そこには、震える字でこう記されていた。

 “神は私を赦してくださるだろうか”

 遠い昔、母が旧宗教団体の集会に通っていたことを思い出す。

 信仰は、彼女にとって生きる支えだった。

 だがその信仰が、家族の間に見えない溝を作ったのも事実だった。

 杉本はペンを取り、ノートの下に小さく書き添えた。

 “赦しは、誰のためにあるのか。”

 その問いは、記者としてではなく、人間としての彼に突きつけられていた。

     *

 翌朝、編集部は異様な熱気に包まれていた。

 記者たちは、政治と宗教の繋がりを追っていた。

 「統一教会」――旧名で呼ばれるその組織の名が、ついに全国ニュースの見出しに並んだ。

 「自民党議員と関係」「選挙支援」「霊感商法」……。

 それらの文字が紙面を埋めるたび、社会の沈黙は少しずつ“怒り”に変わっていった。

 だが、杉本にはわかっていた。

 この怒りは、まだ本当の怒りではない。

 人々が怒っているのは、宗教や政治ではなく、“自分たちが信じてきた社会の形”が崩れたことだった。

 祈りと権力、赦しと暴力――それらが混ざり合う場所を、誰も見たことがなかったのだ。

     *

 夜。

 自宅の窓辺に立ち、杉本は街を見下ろした。

 遠くでパトカーのサイレンが響き、信号の赤が窓ガラスを染めた。

 日本という国は、長い間「信仰」を遠ざけてきた。

 それが突然、銃声によって呼び戻された。

 皮肉なことに、この事件が人々に“信じることの代償”を教えようとしていた。

 ――信じるとは何か。

 ――赦すとは何か。

 ――そして、沈黙とは何を語るのか。

 彼はゆっくりとノートを閉じた。

 外では、雨が降り始めていた。

 その雨は、街の埃を洗い流すようでいて、むしろ深く染み込んでいった。

 「神は沈黙している」と、誰かがかつて書いた。

 だが今、沈黙しているのは神ではない。

 ――人間のほうだ。

     *

 翌朝、杉本は決意した。

 もう一度、あの教団を取材する。

 ただし今度は、「信仰の闇」ではなく、「信仰の声」を探すために。

 銃声の残響は、まだ止んでいなかった。

 それは、社会の深層で、祈りの形を変えながら鳴り続けていた。

(プロローグ 了)

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