西村京太郎を模倣し、『JR福知山線脱線事故』を題材にした小説、「終着駅の迷宮」(ラビリンス)第七十八章・第七十九章

目次

第七十八章 国境を越える影

 神戸地裁の記者クラブには、朝から異様な熱気が漂っていた。各紙のデスクが電話で指示を飛ばし、テレビ局のクルーは機材を抱えて廊下を駆け抜ける。

 ――検察がローレンス・マクスウェルを参考人として招致する。

 その報せは、前夜から全国のニュースを席巻していた。

 「国際資本が法廷に呼ばれるなんて、前例があるか?」

 「聞いたことがない」

 記者同士の会話は興奮と不安を入り混ぜ、煙草の煙のように空間に漂っていた。


  • 1 外交の壁

 午前十時。法務省の会議室。

 外務省の国際法局長が、分厚い書類を机に置いた。

 「結論から言えば、強制的に呼び出すことは不可能です。マクスウェル氏は英国籍。司法共助を要請するには、犯罪捜査の直接的関連が必要ですが、今回は“参考人招致”に過ぎない」

 検察庁の代表として同席していた西村は、唇を噛んだ。

 「つまり、協力は任意。拒否すればそれまで、ということか」

 「そうです。だが、政治的圧力や世論の動き次第で、彼が来日せざるを得ない状況に追い込むことは可能かもしれません」

 「世論……か」

 西村の脳裏に、昨日の遺族席からの叫びが蘇った。

 ――「外国の金のために、私たちの家族は死んだのか!」


  • 2 揺れる企業

 一方、大阪のJR西日本本社。

 社長室では、役員たちが沈痛な面持ちで円卓を囲んでいた。

 「まずいな……外部ファンドの名が出たことで、国内外の株価は乱高下している」

 「だが、これで責任を外に転嫁できるのでは?」

 「いや、逆だ。社会は『なぜ会社は抵抗しなかったのか』と問うている」

 社長は長い沈黙のあと、低く言った。

 「もう“守り”では足りない。我々も、真実に向き合わざるを得ないだろう」


  • 3 ロンドンの影

 同じ頃、ロンドン。シティの一角にあるマクスウェル・キャピタル本社。

 ガラス張りの会議室で、ローレンス・マクスウェルは報道官と顧問弁護士に囲まれていた。

 「日本の裁判所が私を呼んでいる? 馬鹿げている」

 低い声は冷笑を含んでいた。

 「我々は投資家であり、経営に直接関与してはいない。安全投資の決定は彼らの責任だ」

 弁護士が慎重に言葉を選んだ。

 「ですが、メールの断片が公表されました。“運転士の過失に集中しろ”という一文が、あなたのものと特定されています」

 マクスウェルの眉がわずかに動いた。

 「……世論の力は侮れんな」


  • 4 遺族会見

 日本。神戸市内の集会所。

 遺族代表がテレビカメラの前に立ち、声を震わせながら訴えた。

 「百七人の命が、利益のために犠牲になった。その真実を、海外の投資家も含めて語ってほしい。私たちは国境を越えてでも、責任を追及する」

 その映像は瞬く間にSNSで拡散され、ハッシュタグ「#マクスウェル証言」が世界のトレンド入りした。


  • 5 検察の策

 夜。検察庁の会議室。

 西村はチームに向かって言った。

 「直接引きずり出すことはできない。だが、彼が沈黙を選べば、それ自体が“有罪”に等しい印象を与える」

 若手検事がうなずいた。

 「つまり、来なくてもいい。来なければ“逃げた”と報じればいい」

 「そうだ。ただし、証拠の補強は不可欠だ。メールの全文を復元できれば、彼の関与は否定できなくなる」

 夜更けまで作業は続き、サーバーの深層に残された断片が少しずつ繋ぎ合わされていった。


  • 6 国際世論

 数日後。BBCのニュース番組が特集を組んだ。

 《日本の列車事故、外資の影》

 画面には、神戸地裁前で泣きながら訴える遺族の姿と、ロンドンの摩天楼が交互に映し出された。

 キャスターは言った。

 「この問題は単なる一企業の事故ではなく、グローバル資本主義の倫理を問うものになりつつあります」

 スタジオに招かれた経済学者は、こう指摘した。

 「投資家が短期利益を求め、安全投資が後回しにされる――これは世界中のインフラで起こり得ることです」


  • 7 ローレンスの決断

 ロンドン。マクスウェルの自宅。

 深夜、彼は書斎でひとりウイスキーを傾けながら、テレビ画面を見つめていた。

 画面には、日本の法廷の映像。証人席で蒼白な顔をして証言する沢渡の姿。

 「……逃げれば、確かに“有罪”に見える」

 彼は低く呟いた。

 「だが、出れば……私は何を語るべきだ」


  • 8 検事の独白

 西村は庁舎の窓から港を眺めていた。

 ――この裁判は、もはや一企業の罪を超えた。社会構造そのもの、資本と命の関係を問い始めている。

 「真実は、まだ遠い」

 彼は拳を握りしめた。

 「だが、迷宮の出口は必ずある」


  • 9 次なる局面

 翌朝。裁判長・村瀬は次回期日を告げた。

 「外部ファンド代表マクスウェル氏に対する参考人招致について、正式に外交ルートを通じて要請します。返答が届き次第、公表する」

 場内がざわついた。

 検事も弁護人も、遺族も記者も、固唾をのんで次の展開を待っていた。

 ――果たして、彼は来るのか。

 終着駅の迷宮は、国境を越えてなお広がり続けていた。


第七十九章 拒絶と波紋

 朝刊の一面に、大きな見出しが躍った。

 《マクスウェル氏、日本の招致要請を拒否》

 記事には、英国ロンドンの記者会見場で淡々と読み上げられた弁護士声明が掲載されていた。

 ――「我がクライアント、ローレンス・マクスウェル氏は、日本の裁判所からの“参考人招致”に応じる法的義務は存在しない。従って来日はいたしません」

 その文面は簡潔で冷徹だった。


  • 1 世論の奔流

 午前八時。テレビ各局は臨時特番を組み、専門家を呼び込んで議論を繰り広げていた。

 「やはり想定通りですね。外国人に強制力は及ばない」

 「いや、彼が拒否したことで“逃げた”という印象が決定的になった。日本国内の怒りはさらに高まるでしょう」

 街頭インタビューで、遺族の一人は涙ながらに訴えた。

 「来られないんじゃなくて、来たくないんでしょう? 本当のことを隠しているから」

 SNSでは、二つのハッシュタグが勢いを競い合った。

 「#逃げるマクスウェル」と「#責任は会社に」。

 国民世論は、「外資を断罪せよ」という声と「結局は会社が悪い」という声に分かれ、激しく揺れていた。


  • 2 検察庁の会議

 午後。検察庁の小会議室。

 検事・西村は、厚い報告書を机に叩きつけた。

 「予想通り、拒否だ。だが、この“拒否”こそが証拠になる。隠すものがなければ、彼は堂々と来たはずだ」

 若手検事が口を挟む。

 「しかし弁護側は、“国際的な慣行だ、出ないのが当然だ”と主張してきますよ」

 「だからこそ証拠が要る。彼の影響が明確に残る資料を掘り起こすんだ。メール、議事録、会計記録……すべてだ」

 室内の空気は張り詰めていた。

 西村は続けた。

 「外資を責めるだけでは、世論は二分されたままになる。我々が立証すべきは、外資と会社が一体となって“安全より利益”を優先した事実だ」


  • 3 弁護団の動き

 一方、弁護人・宮坂は、東京のシンクタンクを訪れていた。

 「これは日本経済全体の問題なんです」

 宮坂の声は低く、しかし強い。

 「もし“外資の圧力で事故が起きた”と国際的に広まれば、日本への投資は冷え込みます。雇用も影響を受ける。ここで線を引かねばならない」

 研究員は苦い顔で応じた。

 「それは分かりますが、国民感情は制御できません。むしろ“外資に従った会社”こそ批判の的になるでしょう」

 宮坂は黙り込み、胸の奥で焦燥を噛みしめた。

 ――この裁判は、法廷だけでは終わらない。経済と世論を巻き込み、国全体の方向を変えるかもしれない。


  • 4 ロンドンの声明

 その夜、ロンドンのテレビ局がマクスウェル本人の映像を流した。

 白髪混じりの英国紳士。整った背広に、冷静な微笑。

 「我々は投資家であり、経営に口を挟む立場ではない。安全対策の判断は企業の責任だ。繰り返すが、我々は指示をしていない」

 彼の発言は国際メディアで繰り返し報じられ、日本国内の怒りはさらに広がった。

 「嘘だ! メールが残っているのに!」

 「やっぱり逃げ口上か」

 しかし同時に、一部の論者は冷ややかに指摘した。

 「責任を押し付けることで、私たちは“加害企業の逃げ道”を作っていないか」


  • 5 遺族の集会

 神戸市内のホール。遺族たちが集まり、意見を交わしていた。

 「外資が悪いのは分かる。でも、会社が従ったのも事実よ」

 「両方を責めなければならない。命を奪ったのは、“合理”という名の連鎖なんだ」

 一人の遺族がマイクを握り、静かに語った。

 「私たちが望むのは、誰か一人を悪者にすることじゃない。二度と同じことを繰り返さないために、すべてを明らかにしてほしい」

 その言葉に、会場全体が深く頷いた。


  • 6 法廷の再開

 数日後。

 裁判長・村瀬は開廷と同時に告げた。

 「外部ファンド代表マクスウェル氏の参考人招致について、正式に拒否の回答がありました。これをもって、証人尋問の計画を変更します」

 傍聴席がざわついた。

 村瀬は続けた。

 「ただし、検察側が提出した追加資料、及び国際世論の動向を勘案し、この件を“事故原因に関する重要事実”として審理に含めます」

 弁護人・宮坂が即座に立ち上がった。

 「異議あり! 本人が来ていない以上、発言の真偽は確認できません!」

 村瀬は静かに頷いた。

 「真偽は判決で判断します。しかし“関与が疑われる”という事実自体は無視できません」


  • 7 検察の最後の手

 西村は、証拠のスクリーンを指差した。

 《L.M.: Focus on driver error as the simplest narrative.》

 「これはマクスウェル氏のメール断片です。彼は“最も単純な物語――運転士の過失に集中しろ”と書いた。これは単なる助言ではない。企業が実際にその方針を採用した以上、“指示”に等しい」

 遺族席から嗚咽が漏れる。

 「やっぱり……運転士一人に罪を押し付けていたんだ」

 弁護人は必死に反論する。

 「それは翻訳の解釈にすぎない! 投資家の一般的見解を誇張しているだけだ!」

 だが、法廷の空気はすでに変わっていた。


  • 8 西村の独白

 閉廷後。

 西村は廊下の窓から外を眺めた。冷たい冬の光が街を照らし、遠くに港のクレーンが動いている。

 「彼は来なかった。しかし、その沈黙が逆に彼を法廷に立たせた」

 自分に言い聞かせるように呟いた。

 ――迷宮の道はまだ続いている。だが、その出口に近づいている気配がある。


  • 9 新たな火種

 その夜、国会でも議論が始まった。

 「外資規制を強化すべきだ」

 「いや、責任を外資に押し付けるのは筋違いだ」

 議員たちの声は対立し、ニュースは連日特集を組んだ。

 世論はますます二分され、国全体が迷宮に迷い込んだかのようだった。


  • 10 終着駅の影

 西村は夜遅く庁舎を出た。

 冬の空気は冷たく、街灯の下に長い影が落ちる。

 ――この裁判は、終着駅に近づきつつある。だが、そこに待つのは救済か、さらなる絶望か。

 港の方角に、遠い船の汽笛が響いた。

 西村は深く息を吸い、歩みを進めた。

 迷宮の中心は、もう目前だった。


(第八十章につづく)

※この小説はフィクションであり、実在の人物や団体とは一部の史実を除き関係ありません。西村京太郎風のリアリズムを重視し、架空の登場人物を通じて事件の構造に迫っていく構成になっています。

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