第八十七章 終端座標
午前二時過ぎ。
記録室の仮設オフィスでは、壁一面に拡げられた記録と、幾重にも貼り重ねられたフローチャートが、まるで都市計画図のように鈍く照明に浮かび上がっていた。
「ここにある。すべての交点が、ある一点を指している」
赤松は、ホワイトボードの中央に赤マジックで丸印をつける。
「“F-FILE”……それが最終記録のコードだ」
「F……?」
沙耶が眉を寄せる。
「Final?Fake?」
赤松は首を振った。
「“Fujimi”。つまり、“富士見”だ」
「富士見町……千代田区の?」
「そう。かつて防衛庁が置かれた土地。今は霞が関系の合同庁舎の裏に、“空白のビル”が存在する」
三雲が別の資料を取り出した。
「これだ。“文書管理局第三分室”――表向きは解体されたことになっているが、記録上の存在抹消にすぎない。実際には“記録複製保管庫”として、2006年まで稼働していた」
「そして今も、あそこは“止まったまま”の記録を保持している可能性がある」
■ 廃棄されたはずの記録
その日の午後。
三雲、沙耶、高瀬の三名は、富士見町の一角にある地味なコンクリートビルの前に立っていた。
看板も掲示もない。だが、周囲には数台の監視カメラと、常時警備らしき人物の姿。
「この建物の地下2階……“記録再解析室”が未だに生きている」
高瀬が呟いた。
「合法的には、何の名目で立ち入れる?」
「それはない。ただし――一つだけ“穴”がある」
三雲は、古い職員証を取り出した。2001年発行の防衛庁旧IDカード。
それは、彼のかつての関係者のものであり、“記録保管室”に一時的に通っていた者の身分だった。
「こいつを元に、夜間の警備巡回と偽って潜入する」
「無茶だが……やるしかないな」
■ 潜入
深夜一時。
3人は、ビル裏手の非常階段から静かに進入し、IDカードを改変キーで複製しながら地下フロアへと降りていった。
そこは、かつて情報省が“最終照合”を行った部屋だった。壁には旧式のサーバーと、冷却ユニット。
そして、一台の“未起動の記録デバイス”。
「これが“終端記録装置”……最終処理される前の、複写記録が残されているはずだ」
赤松の声が、バックドアから繋いだ通信に重なる。
「注意しろ。おそらく、その記録には“動的保全システム”が仕掛けられている。つまり、記録を読むたびに“自己編集”されるように設計されている」
沙耶が装置を起動し、読み取りディスクを挿入した。
そこに、再生されたのは――**“処理直前の人物たちの映像記録”**だった。
■ 録画ファイル:1999年12月14日
《被験者コード:M-441/年齢17歳/性別:男性》
──部屋の中、少年が椅子に座らされ、背後から技官らしき男が現れる。
「君の記憶は、これから再構成される。痛みはない」
少年は小さく首を振って言う。
「でも僕は……まだ母の声を忘れてない。……これ以上、消されたくない」
技官は表情を変えず、スイッチを押す。
少年の意識が遠のく中、何かが囁かれるように響く。
《消去対象:母の死亡現場記憶、加害者の顔、政治的背景との関連記憶》
──画面が暗転する。
三雲の手が震えた。
「……これが、彼らが隠してきた“核心”だ」
「記録の改変は、個人の心を守るものではなかった。“政治的都合によって記憶を加工”していた」
■ 赤松の直感
一方その頃、記録室の別ラインでは赤松が残されたログ群を検証していた。
「……奇妙だ」
彼は、過去に偽造された“RECORDS-J”の記録を洗い直していたが、そこに“パターン”を見つけた。
「この偽造記録、実は“誰か”が未来予測として先に生成したパターンだ。つまり、我々がどんな記録を発見するかを先回りして“仕込んでいた”……」
沙耶が通信越しに応じた。
「未来予測型AIか?」
「いや、それより原始的な方法だ。内部者が“我々がたどり着く経路”を想定して、偽装記録を配置していた。……この操作、誰か我々の動きを先読みできる者がいる」
「まさか……“記録室”の中に?」
赤松は無言のまま、記録デバイスの端末に浮かび上がる名前を見つめた。
《転送ログ:Mikado_Taichi》
「……“帝太一”……?」
■ 忘れられた男の名
その名に、三雲が反応した。
「それは、かつて記録管理局で“再構成班”を統括していた男だ。
2000年以降に消息を絶ったとされていたが……」
赤松の表情が変わる。
「彼が、“記録撹乱作戦”の発起者だったのか」
「いや、それはわからない。だが、すべての記録の分岐点に、彼の存在がある」
そして、三雲は画面に映る最後の記録を開いた。
そこには、一行だけの記述があった。
《帝太一、記録再構成コード“ZETA”にて生存中》
「奴は、生きている。……しかも、“記録の最奥”で我々を待っているのかもしれない」
第八十八章 ZETAの扉
夜が明ける頃、東京の空はどこか異様な静けさを湛えていた。
記録室の仮設オフィスでは、前夜からの緊張がそのまま残っていた。
赤松の目の前には、一枚の暗号化ログが浮かんでいる。
ファイル名は単に「ZETA」とだけ記されていたが、その内容にアクセスするには三段階の認証が必要だった。
「これが……“帝太一”が最後に遺したコードか」
三雲が低く唸る。
「ZETA……国家記録体系における“不可視記録群”の分類だ。通常の官僚システムではアクセス不能な領域にある。記録改変を『無記録のまま』行う、いわば“透明な手”のような存在」
高瀬がキーボードを叩きながら言った。
「それが実在するとして、なぜ我々の操作に反応した? なぜ帝のログが今になって浮上した?」
赤松は記録室内のモニターを示した。
「答えは、我々が“F-FILE”を起動したことだ。“富士見”に格納されていたのは記録そのものだけではなく、記録閲覧時に作動する“告知トリガー”が組み込まれていた」
沙耶が顔をしかめる。
「じゃあ、誰かに“気づかせるため”の記録だった……?」
「あるいは、“呼び水”だ。帝が生きているとして、自分を探しに来る者たちを炙り出すための……」
三雲が立ち上がった。
「その場所はどこだ? “ZETAコード”が最後に記録された地理座標は?」
高瀬が座標データを解析し、モニターに表示させた。
「北緯36度33分19秒、東経138度35分41秒」
沙耶が驚きの声を漏らした。
「長野県……上田市郊外?」
赤松が頷いた。
「そこには、旧電波監理局の“周波数観測所”があったはずだ。1970年代から防衛電波の傍受・記録を行っていた場所……」
「そして今は、地図から抹消されている」
■ 消された地図
記録室の地図資料部門に残されていた航空写真を精査すると、該当地に建物の輪郭が映り込んでいた。だが、国土地理院の最新データでは、その一帯は“山林”と表示されていた。
三雲が言う。
「これは“地図改竄”のパターンだ。存在そのものを、行政データから消している。そこにこそ“ZETA”の拠点がある」
赤松が立ち上がった。
「今夜、我々は長野に向かう。“帝太一”と“ZETAコード”……そしてこの記録戦の“起点”と“終点”が、そこにあるはずだ」
■ 過去との再会
移動の車中、三雲は封筒を一つ取り出した。
中には、20年前の調査報告書。そこにある一文が、彼の目を離さなかった。
《帝太一、2002年3月、防衛記録処理局にて“記憶自己改変試験”を実施。その後、行方不明》
沙耶が驚く。
「自己改変? 記憶の“自己消去”か?」
「そうだ。……記録管理者が、自らの“記憶の中身”を書き換えた。つまり、彼は“自分自身を記録の一部にした”存在だ」
赤松が呟く。
「自分を“記録の迷宮”に閉じ込めた男……か」
■ 山中の邂逅
深夜1時、上田市郊外の山間部に入った三人は、かすかな電波異常を頼りに、旧観測所跡と見られる建物を発見した。
コンクリートの壁。錆びたフェンス。だが、その地下に続く階段は、微かに照明が灯っていた。
「誰か……いる」
三雲の手が無意識に震える。
階段を降りると、かつての制御室と思しき空間が広がっていた。
中央には、椅子に腰掛けたひとりの男。
その顔には、どこか“既視感”があった。
灰色のスーツ。白髪交じりの髪。無表情のまま、彼は言った。
「来たか。やはり、“記録の流れ”はここに集まる」
赤松が一歩前に出る。
「……帝太一、か」
男は、静かに首を横に振った。
「私は、もう“帝太一”ではない。名前は、記録によって定義される。私は“名を捨てた記録そのもの”だ」
三雲が叫ぶ。
「なぜ記録を改変した! なぜ何十人もの人生を変え、国家の記憶を書き換えた!」
男は目を伏せたまま言う。
「記録とは、形を持った恐怖だ。真実が記録されるとき、人間はその重みに耐えられなくなる。……だから我々は、“記録を緩やかに加工”することで、社会を保ってきた」
沙耶が声を震わせて言う。
「それは……言い訳です。あなたが恐れていたのは、“真実”じゃない。“真実が暴かれたときの、あなた自身の責任”だったんだ」
男の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「……その通りかもしれないな。だが、君たちはもう知っている。“記録は生きている”ということを」
「そして、君たちも“記録そのもの”になった」
■ 遺言のような記録
帝太一――あるいは“記録の亡霊”は、最後にUSBメモリを差し出した。
「これが、最後の“ZETA記録”だ。そこには、私の“全ての記憶”と、記録改変の履歴、そして……“次に記録を委ねる者”の名が記されている」
「それは……?」
赤松が手に取ろうとしたその時。
部屋の奥から警報が鳴り響いた。
「記録室内部に侵入反応。身元不明者、複数」
高瀬の声が通信越しに響いた。
「赤松さん、やられました。誰かが、我々の操作を監視していた! “RECORDS-J”の連中か、それとも……」
帝の声が低くなる。
「始まったな。“記録の最終争奪戦”が……」
(第八十九章につづく)
※この小説はフィクションであり、実在の人物や団体とは一部の史実を除き関係ありません。松本清張風のリアリズムを重視し、架空の登場人物を通じて事件の構造に迫っていく構成になっています。
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