三島由紀夫を模倣し「太宰治」を題材にした小説『懺悔記』第十三章・第十四章

目次

第十三章 紙背の声

 書斎に、陽が差していた。

 私は机の前に座り、何も書かれていない原稿用紙の上を、ただ凝視していた。その白さが、私に問いかけてくるようだった。お前はまだ語る資格があるのか、と。

 私は既に、あらゆる“沈黙”を書いた。父の沈黙、村上の沈黙、そして自分自身の。それらを紙の上で“告解”し、あるいは“断罪”し、最後には“赦し”たと信じていた。

 だが、いま私の前にあるこの白紙は、そんな私に再び問いを投げかける。

 「お前の声は、誰のものか」


 私は、語ることに怯えていたのだ。

 語れば、また読者という怪物に差し出される。差し出せば、また誤読され、また期待され、また拒絶される。

 だが、それでも語らねばならないという渇きが、私の中で蠢いていた。

 私は再び筆を執った。だが、そこにかつてのような主題はなかった。

 物語を持たぬ者が語るとき、はじめて“声”が生まれるのだ。


 最初の作品は、短い断章だった。

 ある男が、図書館の片隅で、読んだことのない本を読もうとする。だがその本には、文字が書かれていない。ただ白紙が続くだけだ。だが男は、次のページへ、また次のページへと、読み進める。男は泣く。なぜ泣いているのかわからない。彼はただ、白紙の向こうから聞こえてくる声に、耳を澄ませている。

 タイトルは、《紙背の声》とした。

 それは、明らかに自分自身をモデルにしていた。


 私は自室の本棚から、古いノートを引き出した。

 大学生の頃、書き散らした断章、詩、言葉になりきれなかった呻き、夢の記録。そこには、いまの私が喪った“未完成”の息吹があった。

 文学とは、完成ではない。

 むしろ、完成しないことの中にのみ宿る“生”の証言である。


 私は次々と短篇を書いた。

 一篇は、かつての村上との往復書簡を下敷きにしたものだった。ただし内容は完全な虚構で、村上はそこで盲目の詩人として登場し、死ぬ前夜に主人公へこう書き送る。

 >「言葉は、目の見えぬ者にとっての光だ。だから私は、死ぬまで書く」

 私はその言葉に打たれた。

 ――私は、見えているつもりで、何も見ていなかったのではないか。

 ――書いているつもりで、言葉の外側を撫でていただけではないか。


 夏が来た。

 私は東京の暑さから逃れるように、長野の山間にある小さな宿に逗留した。インターネットもテレビもない。あるのは、蝉時雨と風と、鉛筆の走る音だけだ。

 ある晩、夢を見た。

 私は病室にいた。父がベッドに横たわり、何も言わない。村上が窓の外で笑っている。太宰は廊下の突き当たりにいて、こちらを見ている。

 誰も、声を発さなかった。

 だが、彼ら全員が、私に何かを“託そう”としていた。

 私は夢の中で、「もう語るべきことはない」と言った。

 すると父が、口の端だけをわずかに動かし、言った。

 「語らねばならぬことは、“語れぬ”ものの中にある」


 目覚めたとき、私はひどく汗をかいていた。

 その朝、私はひとつの決意をした。

 長編小説を書く

 それは、私が父について語り、村上について告白し、太宰に倣い、読者を拒み、沈黙を信じた、そのすべての経過の果てに、どうしても生まれてしまう、“純粋な虚構”でなければならない。

 つまり――ようやく私は、真正面から“文学”と向き合うことができる段階に来たのだ。


 タイトルはまだない。

 物語も、曖昧だ。

 だが、私は知っている。

 主人公は語り手ではない。彼は、言葉を持たない者の代弁者でもない。彼はただ、世界の片隅で、黙って人々の声なき声を聴き、書き記す者なのだ。

 この人物の中に、私は父を、村上を、太宰を、そして“語ることの意味”そのものを、溶け込ませようとしていた。


 日々、書く。

 削り、書き直し、また削る。

 夜は短く、朝はすぐに来る。

 私はすべてを紙に投げ出していった。

 その紙の上には、もはや“私”はいなかった。

 ただ、言葉だけが生きていた。


 ある晩、原稿を読んでいた石田から電話があった。

 「これは……素晴らしい。けれど、まるでお前がここにいないみたいだ」

 私は笑った。

 「それでいいんだ。作者は、紙の上に“いない”ときこそ、真実を語れる」

 電話越しに、しばらく沈黙が続いた。

 私はその沈黙に、かつてないほどの“赦し”を感じた。


 原稿の末尾に、私は一行だけ書いた。

 「語るべきことは、語られる以前から、そこにあった」


 文学は死なない。

 文学は、語られることなくして、語られ続ける。


第十四章 読者の肖像

 その女が現れたのは、五月のある午後、編集部の受付でのことだった。

 私は原稿の校了を終え、ようやく一息つこうとしていた。石田が不在で、若い編集助手が代わりに対応に出た。だが、彼はすぐに私のところへ駆け寄ってきた。

 「山田先生、すみません。どうしても直接お会いしたいと仰る女性が……。名前を仰らないのですが……、“あなたの懺悔を読む資格がある者です”と」

 その言葉を聞いた瞬間、私は血の気が引いた。

 そんな言葉を、私に向けて放てる人間は、限られていた。

 そして、その中でも、ひとりしか思い当たる者がいなかった。


 会議室に入ると、彼女は立っていた。

 細身の黒いコート、肩にかかる黒髪。年齢は四十代半ばほどだろうか。目元に淡く影を宿しながら、それでも冷静な印象を崩さない女。

 彼女は私に頭を下げた。

 「お久しぶりです、靖幸さん」

 私は即座に理解した。

 紀子――かつて村上と私とを結んでいた、いや、裂いていた女。


 私は彼女に座るよう促し、自らも向かいに腰を下ろした。

 しばらくの沈黙。

 だが、それは気まずさではなかった。むしろ、ようやく訪れた“正しい間”だった。

 「あなたの新作を読みました」

 と、彼女が切り出した。

 「“紙背の声”も、“沈黙の筆記者”も……読んで、泣きました。けれど、あなたがいま書いている長編、それには、まだ語られていない“何か”があると思う」

 私は息を飲んだ。

 「それは、“私”のことだと?」

 紀子は首を横に振った。

 「ちがう。“あなた自身”のことよ。まだあなたは、あなたを告白していない。すべてを他者の影に仮託して、自己を語ることから逃れている」


 その言葉に、私は激しい怒りを覚えるかと思った。だが、意外にも私の心は静かだった。

 むしろ、彼女の言葉は私の最も深い部分に届いていた。

 「なぜ、いまここに来たんだ」

 と、私は尋ねた。

 彼女は鞄から、一冊の古びたノートを取り出した。

 「村上の遺稿よ」

 そう言って、彼女はそのノートを私に差し出した。


 私はページをめくった。

 そこには、見慣れた筆致で、断片的な詩や手紙のような文章が記されていた。そのうちの一節が、目に留まった。

 >「靖幸は、沈黙の美学を信じている。だが、彼はまだ自分の言葉で他者を傷つけたことがない。だから彼の文学は、いつも寸止まりなのだ」

 私は息を止めた。

 そして、確信した。

 ――これは、遺稿ではない。遺言だ。


 「村上は、あなたを愛していた」

 紀子はそう言った。

 「だけどそれは、あなたの“作品”を通じての愛だった。あなたという人間を、ではない。……私は、それが悲しかった」

 彼女の言葉は、静かながら鋭利だった。

 私は訊いた。

 「君は……彼を、愛していたのか?」

 彼女は目を伏せ、微かに笑った。

 「ええ。けれど、それは“所有”したいという愛ではなかった。ただ、彼の言葉の行方を知りたかったの」


 私はふと、窓の外に目をやった。

 夕暮れが迫っていた。ビルのガラスに映る空は、どこか“紙のように”白かった。

 「紀子、君は、僕の“懺悔”を読む資格があると言ったね。ならば訊こう。僕は、何を懺悔すべきなんだろうか?」

 彼女は、わずかに顔を上げた。

 「靖幸さん。あなたが本当に懺悔すべきことは、“書かなかったこと”よ。語らなかったこと。誰かの心を守るために、あるいは自分を守るために、言葉にしなかったすべて。それこそが、いちばんの罪」


 その夜、私はノートに向かった。

 ペンを走らせながら、自分自身に問いを発した。

 私は、何を守ろうとしていたのか。

 父か、村上か、読者か、太宰か。

 ――いや、私自身の“無傷な文学者”という幻想を守ろうとしていたのだ。

 私は初めて、その幻想を手放す覚悟を持った。


 長編の新しい章を書き始めた。

 そこでは、作家が読者の家を訪ねる。そして、読者は彼にこう言う。

 >「あなたは、まだすべてを書いていない。真に読むべきものは、“あなたが書かなかった部分”にあるのです」

 その言葉に、作家は初めて涙する。

 そして、空白の頁に、自らの名前を記す。

 自らの罪を、名前で記すこと――それが、懺悔の真実である。


 私は、長編の章末に一行を書き加えた。

 「私は、ついに私を語る」


 文学は、語ることで死ぬのではない。

 沈黙を破ることで、ようやく生まれるのだ。


(つづく)

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