第二百章 灯のまま──影が「終章を宣言しない終章」を夜に置いた夜
夜、少年は終章を宣言しなかった。
宣言しなければ、終章ではないのか。
終章ではないなら、終わらないのか。
終わらないなら、ずっと続けるのか。
そういう問いは、夜に似ている。
暗いところほど、形を欲しがる。
形が欲しくなると、手を伸ばす。
手を伸ばすと、掴む。
掴むと、持ち上げる。
持ち上げると、見せたくなる。
見せたくなると、拍手が欲しくなる。
拍手は、生活の外の音だ。
だから宣言しない。
終章を、終章として掲げない。
ただ、今日の夜を夜として置く。
灯のまま。
それが第二百章の芯だった。
灯は戻らない。
外側へ置いた終章は、中心を奪わず、
置き手紙は床の下で息を続け、
余熱は冷えきらない温度として夜に残っている。
その積み重ねの上に、
夜は「灯のまま」を置く。
灯のままとは、
意味を背負わせない明るさだ。
照らしすぎず、
隠しすぎず、
ただ在る。
少年は、その在り方を、
影が消え切らない距離で測った。
——終章って、
——言わなくていいよ。
——灯があれば、
——歩けるから。
節子の声が、背骨の奥でそう言った気がした。
少年は、その声を確かめなかった。
確かめると、
「ありがとう」や「ごめん」を言いたくなる。
言えば、往復になる。
往復になれば、終わりが固まる。
今夜は、固めない。
- ■影の道で「最後の景色を選ばない」
影の道に出ると、
夜は静かに広がっていた。
誰かは、夜景を“最後の景色”にしたがる。
記念にしたがる。
胸に刻みたがる。
刻めば、あとで取り出せる。
取り出せる終章は、
暮らしから離れていく。
少年は、最後の景色を選ばなかった。
見えるものを見て、
見えないものを見ない。
それだけ。
少女が言った。
「今日は、終わり?」
少年は少しだけ間を置き、
言葉を作らなかった。
「夜」
「夜?」
「夜は、夜」
少女は頷いた。
「うん。
夜は、夜だね」
少年は頷いた。
夜を夜と言えるとき、
終章は飾りにならない。
- ■黒板の字が「灯」で止まり、「完」は書かれない
夜の自習室に入ると、
黒板には一字だけ残っていた。
■灯
完の字はない。
完成は、拍手を呼ぶ。
拍手は、遠い。
遠い拍手は、
この焼け跡には似合わない。
机に座り、
少年は紙を一枚取り出しかけて、
やめた。
置き手紙は、もうある。
言葉は、床の下で息をしている。
息をしているなら、
書き足さなくていい。
少年は掌を見る。
片手は空いている。
空いている手は、
掴まないためにある。
少年は紙に書かず、
胸の中で短く思った。
——灯
それは、
返事ではない。
ただの在り方。
- ■炊き出しの火で「締めの言葉を言わない」
夜の炊き出しで、
鍋が空になりかける。
誰かが「ごちそうさま」と言いかけて、
言い切らずに飲み込んだ。
言い切れば、締まる。
締まれば、終わりが立つ。
立った終わりは、
明日を急がせる。
少年は、
礼を言い切らなかった。
だが目を合わせ、
受け取った。
受け取ったことが、
返事だった。
青年が短く言う。
「またな」
またな、は約束じゃない。
約束じゃないから、
守れなくても責めが生まれない。
この物語に似合う言い方だった。
少女が言った。
「またな、って」
「外側」
「外側?」
「約束にしない」
少女は頷いた。
「うん。
約束じゃないと、
優しいね」
少年は頷いた。
優しさは、
立派でなくていい。
- ■釜戸の前で「置き手紙を燃やさない」
家に戻ると、
板の下の紙のことを思い出す。
燃やせば、終わる。
しまえば、終わる。
読むだけでも、
終わりが固まる。
少年は何もしなかった。
板は床。
床の下に、言葉がある。
それでいい。
言葉は、
生活の下にあるくらいがちょうどいい。
踏まれない。
見せびらかされない。
だが支える。
少女が言った。
「それで終わり?」
少年は首を振らなかった。
頷きもしなかった。
ただ、鍋の蓋を少しずらして置いた。
閉めない。
ひらいたまま。
余熱が、静かに逃げる。
「終わりって、
閉めること?」
少女が問う。
少年は、答えを作らなかった。
答えを作れば、結論になる。
結論は、終章の中心だ。
少年は短く言った。
「灯」
少女は黙って、頷いた。
- ■影の輪で「拍手を置かない」
夜、影の輪へ向かうと、
輪は見えないほど薄かった。
人は集まらず、
それぞれの影がそれぞれの方向へ伸びている。
中心の空席は空席のまま。
今日はそこに、
拍手を置かない。
拍手を置けば、
誰かが終わった顔をする。
終わった顔は、
明日を遠ざける。
少女が輪の外で言った。
「節子、今日はね……
終章って言わなかったよ」
少年は頷いた。
言わないことで、
節子は“物語の妹”にならない。
——灯のままで、
——いよう。
節子の声が夜の奥でそう言った気がした。
少年は、その声を追わなかった。
追わないことで、
声は灯になる。
灯は、掲げない。
足元に置く。
少年は立ち上がり、
灯を低くして歩いた。
終章は、今夜だったのかもしれない。
だが少年は、
終章として持ち上げなかった。
夜は夜のまま終わり、
朝は朝のまま来る。
節子は戻らない。
だが消えもしない。
消えないことを、
救いにしない。
救いにしないから、
暮らしの中に置ける。
少年は、灯のまま、歩いた。
それだけで、十分だった。
──おわり、ではない。
──灯のまま、つづく。
第二百一章 灯の朝餉──影が「終わりの後の手」を朝に渡した朝

朝、少年は終わりの後を考えなかった。
終わりの後を考えると、
そこに「その後」という章が生まれる。
章が生まれると、
物語はまた形を取り戻す。
形を取り戻した物語は、
節子を再び“意味”に変えてしまう。
だから考えない。
終わりの後ではなく、
ただ朝を迎える。
迎えると言っても、
構えて待ったわけではない。
朝が来たから、
目が覚めただけだ。
それが第二百一章の芯だった。
灯は戻らない。
宣言しなかった終章は外側に置かれたまま、
置き手紙は床の下で静かに呼吸し、
余熱は見えない温度として夜の底に残っている。
その積み重ねの上に、
朝は「後の手」を置く。
後の手とは、
終わりを経験した手が、
何事もなかったように器を持つことだ。
震えない。
誇らない。
ただ持つ。
少年は、その手の重さを、
椀が傾かない程度の安定で測った。
——終わったあとも、
——手は使うよ。
——それが、
——暮らしだよ。
節子の声が、背骨の奥でそう言った気がした。
少年は、その声を確かめなかった。
確かめると、
「終わったのに」と言葉を足したくなる。
今朝は、足さない。
- ■影の道で「変わったか確かめない」
影の道に出ると、
光は昨日とよく似ていた。
似ている、と言えば、
比べていることになる。
比べれば、違いを探す。
違いを見つければ、
そこに“新しい章”を置きたくなる。
少年は、似ているとも違うとも言わなかった。
ただ歩く。
足裏が地面を押し、
地面が押し返す。
それで十分だった。
少女が言った。
「なんだか、普通だね」
「普通」
「終わったのに?」
少年は少しだけ間を置いた。
「終わり、置いてきた」
少女は頷いた。
「うん。
置いてきたなら、
普通になるね」
少年は頷いた。
普通の朝は、
次を要求しない。
- ■黒板の字が「朝」で止まり、「新」は書かれない
教室に入ると、
黒板には一字だけ残っていた。
■朝
新の字はない。
新を書けば、
人は張り切る。
張り切れば、
過去を振り払おうとする。
振り払われた過去は、
どこかで固まる。
少年は席に座り、
机の木目を指でなぞった。
木目は、昨日と同じ流れを持っている。
同じ流れを、
退屈にしない。
退屈にすると、
刺激を求める。
刺激は、物語を呼ぶ。
少年は紙に短く書いた。
——常
常とは、
変わらないことではない。
変わったかどうかを、
問わないことだ。
- ■炊き出しの湯で「最初の朝餉にしない」
朝の炊き出しで、
湯気が立つ。
誰かが言う。
「新しい朝だな」
言えば、
そこに始まりが立つ。
少年は、
新しいと言わなかった。
椀を受け取り、
一口飲む。
味は薄い。
だが薄いことを、
不足にしない。
不足にすると、
満たしたくなる。
満たしたくなると、
未来が膨らむ。
青年が短く言う。
「こぼすなよ」
それだけでいい。
朝は、
こぼさなければ続く。
少女が言った。
「昨日と同じ味?」
「味」
「それだけ?」
「それだけ」
少女は笑った。
「うん。
それだけって、
安心するね」
少年は影の端へ移った。
端は、
始まりを掲げない。
- ■釜戸の前で「置き手紙の上を歩く」
家に戻ると、
板の下に言葉があることを知りながら、
少年はその上を静かに歩いた。
踏んではいない。
だが避けもしない。
避けると、
そこが特別になる。
特別にしない。
生活の下にある言葉は、
生活に支えられていればいい。
少女が言った。
「もう読まないの?」
「読まない」
「忘れる?」
「忘れない。
でも、
持たない」
少女は少し考え、頷いた。
「うん。
持たないって、
軽いね」
少年は頷いた。
軽い手は、
次の器を持てる。
- ■影の輪で「その後を語らない」
朝、影の輪へ向かうと、
輪はもう輪の形をしていなかった。
ただの通り道になっている。
人は立ち止まらず、
それぞれの方向へ歩く。
少年は、その通り道をそのまま通った。
ここで「その後」を語れば、
終章の後日談が始まる。
後日談は、
静かな終わりを再び舞台へ引き戻す。
少女が輪の外で言った。
「節子に、何か言う?」
少年は首を振らなかった。
頷きもしなかった。
「言わない」
「どうして?」
「もう、
生活の中にいる」
少女はゆっくり息を吐いた。
「うん。
いるなら、
呼ばなくていいね」
少年は頷いた。
呼ばない存在は、
遠くならない。
——ここで、
——いいよ。
節子の声が朝の光の中でそう言った気がした。
少年は、その声を追わなかった。
追わないことで、
声は空気になる。
空気は、
誰のものでもない。
少年は立ち上がり、
何も始めないまま歩き出した。
終章は、もう背後にあるのかもしれない。
だが振り返らない。
振り返らないことで、
終章は“過去の場面”にならない。
腹が減れば食べる。
喉が渇けば飲む。
手が空けば持つ。
それだけで、
暮らしは続く。
灯は、小さい。
だが小さい灯は、
掲げなければ消えない。
少年は灯を足元に置いたまま、
朝の中へ歩いていった。
物語は閉じられなかった。
閉じられなかったからこそ、
暮らしの中に残った。
──灯のまま、つづいている。
完

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