第百五十六章 灯の間欠──影が「続けない勇気」を朝へ手渡した朝
朝、少年は続けなかった。
昨日の続きを、そのまま引き受けなかった。
引き受ければ、楽だ。
楽は、速い。
速いと、形が固まる。
固まると、外れたものが目立つ。
目立つと、直したくなる。
直したくなると、急ぐ。
だから続けない。
間を空ける。
それが第百五十六章の芯だった。
灯は戻らない。
片付け残しは残され、
渡り板は踏まれず、
余白線は引かれない。
その積み重ねの上に、
朝は「間欠」を置く。
間欠は、怠慢ではない。
切断でもない。
呼吸の途中にある、
小さな沈黙だ。
少年は、その沈黙に耳を澄ませず、
ただ、そこに立った。
——続けなくて、
——いいよ。
——止めるでもなく、
——空けるだけ。
節子の声が、背骨の奥でそう言った気がした。
少年は、その声を確かめなかった。
確かめると、
再開の時刻を決めたくなる。
今日は、決めない。
- ■影の道で「歩幅を揃えない」
影の道を歩くと、
人の歩幅がばらばらに混じる。
急ぐ足、
迷う足、
止まる足。
少年は、
誰かの歩幅に合わせなかった。
合わせれば、
列になる。
列になると、
間欠が許されない。
少年は、
二歩進み、
一歩止まり、
また一歩進んだ。
規則ではない。
癖でもない。
その都度、
地面に聞く。
少女が言った。
「変な歩き方」
「空けてる」
「うん。
空けると、
ぶつからないね」
少年は頷いた。
ぶつからない朝は、
声を荒らさない。
- ■黒板の字が「間」で止まり、「続」は書かれない
教室に入ると、
朝の光が窓から斜めに差し、
黒板には一字だけ書かれていた。
■間
継続の「続」はない。
教員は短く言った。
「今日は、間の話をする」
生徒たちは、
休みの話だと思って肩を落とした。
だが教員は、
休みを褒めなかった。
「戦争は、
続けることを命じた。
止まるな、と」
少年は、
止まれなかった日々が
どれほど人を削ったかを思い出した。
「生活は、
間を置く」
教員は続けた。
「間があるから、
次が壊れない」
黒板の字はそれ以上増えない。
間を説明しすぎると、
時間割になる。
少年は紙に短く書いた。
——空白
それは、
失われた時間ではない。
- ■炊き出しの列で「一度離れる」
朝の炊き出しで、
列ができ始めた。
少年は、
並びかけて、
一度離れた。
離れても、
視線は向けない。
戻るかどうか、
決めない。
鍋の湯気が落ち着き、
声が低くなる。
その頃、
少年は半歩戻った。
それで、
列は自然に収まる。
少女が言った。
「並ばないの?」
「間」
「うん。
間があると、
焦らないね」
少年は椀を受け取り、
影の外へ出た。
外は、
間が多い。
- ■釜戸の前で「火を続けない」
家に戻ると、
少年は釜戸の前に立った。
昨日の余熱は、
もう薄い。
ここで火を入れれば、
朝は整う。
だが整いすぎると、
昼が重くなる。
少年は、
火を入れず、
水だけを温めた。
温めきらない。
触れると、
少し冷たい。
その冷たさが、
朝を長くする。
少女が言った。
「温くない?」
「間欠」
「うん。
間欠だと、
急がないね」
少年は頷いた。
急がない朝は、
選べる。
- ■影の輪で「継続を置かない」
朝、影の輪へ向かうと、
輪は点々としていた。
人は集まり、
すぐに離れる。
中心の空席は空席のまま。
今日はそこに、
継続を置かない。
継続を置くと、
やめ時が責められる。
少女が輪の外で言った。
「節子、今日はね……
続けなかったよ」
少年は頷いた。
続けないことで、
切れ目は刃にならない。
——間で、
——息しよう。
節子の声が朝の空気に溶けてそう言った気がした。
少年は、その声を追わなかった。
追わないことで、
声は沈黙になる。
沈黙は、
次を強要しない。
輪の縁に腰を下ろし、
背中を影に預ける。
だが寄りかからない。
間欠は、
支えではなく、
呼吸の拍だ。
吸って、
少し止めて、
吐く。
焼け跡の朝は、
継続だけを美徳にしない。
代わりに、
続けない勇気を残す。
少年は、その勇気を足元に置き、
今日という一日を、
途切れさせず、
しかし急がせずに、
静かに歩き出していた。
第百五十七章 灯の乾き縁──影が「潤しすぎない水」を昼に残した昼

昼、少年は水を注ぎすぎなかった。
土は乾いている。
乾いているが、割れてはいない。
割れない乾き。
そこへ水を注げば、すぐに色は変わる。
変われば、安心が来る。
だが安心は、長居すると重くなる。
重くなると、次も注ぎたくなる。
次も注ぐと、土は呼吸を忘れる。
だから注がない。
縁を濡らすだけ。
それが第百五十七章の芯だった。
灯は戻らない。
間欠は守られ、
片付け残しは残り、
渡り板は踏まれない。
その積み重ねの上に、
昼は「乾き縁」を置く。
乾き縁とは、
潤しの手前にある帯だ。
帯があると、
渇きは渇きのまま保たれる。
少年は、その帯を、
土の色で確かめた。
——全部、
——潤さなくていいよ。
——縁だけ、
——触れれば。
節子の声が、背骨の奥でそう言った気がした。
少年は、その声を確かめなかった。
確かめると、
どこまでが適量かを量りたくなる。
今日は、量らない。
- ■影の道で「水たまりを作らない」
影の道の脇に、
桶が置かれている。
中には水。
埃を落とすための水。
少年は、
手を浸さなかった。
浸せば、
手はきれいになる。
だが水は減る。
減ると、
次が欲しくなる。
少年は、
指先だけを濡らし、
縁で払った。
水は、
地面に落ちず、
空気に返る。
少女が言った。
「洗わないの?」
「縁」
「うん。
縁だと、
減らないね」
少年は頷いた。
減らない昼は、
取り合いを生まない。
- ■黒板の字が「渇」で止まり、「潤」は書かれない
教室に入ると、
昼の光が窓辺で止まり、
黒板には一字だけ書かれていた。
■渇
潤すの「潤」はない。
教員は短く言った。
「今日は、渇きの話をする」
生徒たちは、
不足の話だと思って身構えた。
「戦争は、
渇きを煽った。
足りない、と」
少年は、
煽られた渇きが
どれほど人を奪わせたかを思い出した。
「生活の渇きは、
保つ」
教員は続けた。
「保つと、
潤しすぎない」
黒板の字はそれ以上増えない。
渇きを説明しすぎると、
供給が始まる。
少年は紙に短く書いた。
——帯
それは、
境ではない。
緩衝だ。
- ■炊き出しの列で「汁を足さない」
昼の炊き出しで、
椀を受け取る。
汁は十分。
十分だが、
溢れない。
少年は、
おかわりを求めなかった。
求めれば、
列が揺れる。
揺れると、
量が争いになる。
青年が目で問う。
少年は首を振る。
それで終わる。
少女が言った。
「足りない?」
「乾き縁」
「うん。
縁があると、
満ちなくていいね」
少年は椀を持って、
影の端へ移った。
端は、
溢れない場所だ。
- ■釜戸の前で「湿らせない」
家に戻ると、
少年は布を広げた。
埃がついている。
濡らして拭けば、
すぐに取れる。
だが濡らさない。
払うだけ。
埃は舞うが、
沈む。
少女が言った。
「きれいにならないよ?」
「乾き縁」
「うん。
乾いてると、
早く戻るね」
少年は頷いた。
早く戻る昼は、
午後を壊さない。
- ■影の輪で「潤いを中央に置かない」
昼、影の輪へ向かうと、
輪は薄く、
乾いた風が通っていた。
中心の空席は空席のまま。
今日はそこに、
潤いを置かない。
潤いを置くと、
欲が集まる。
集まると、
奪い合いが始まる。
少女が輪の外で言った。
「節子、今日はね……
水を、
注ぎすぎなかったよ」
少年は頷いた。
注ぎすぎないことで、
渇きは声を荒らさない。
——縁で、
——いいよ。
節子の声が昼の空気に溶けてそう言った気がした。
少年は、その声を追わなかった。
追わないことで、
声は湿り気になる。
湿り気は、
砂埃を立てない。
輪の縁に腰を下ろし、
背中を影に預ける。
だが寄りかからない。
乾き縁は、
支えではなく、
調整だ。
足りなさと、
満ちすぎのあいだに、
静かに置かれた調整。
焼け跡の昼は、
潤沢を約束しない。
代わりに、
潤しすぎない水を残す。
少年は、その水の扱いを覚えることで、
今日という時間を、
乾かしすぎず、
溺れさせずに、
次の影へと渡していった。
(第百五十八章につづく)

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