西村京太郎を模倣し、『JR福知山線脱線事故』を題材にした小説、「終着駅の迷宮」(ラビリンス)第八十八章・第八十九章

目次

第八十八章 揺れる座標

  • 1 霞が関の午後

 外資顧問「L.M.」の名前が新聞に躍った翌日、国土交通省の会議室には異様な緊張感が漂っていた。
 分厚いカーテンで閉ざされた室内で、幹部たちは互いに顔色を伺いながら資料をめくっていた。
 「L.M.との契約経緯について、明確な記録があるのか?」
 問いかけに、若い官僚が震える声で答えた。
 「……契約書そのものは形式上“コンサルティング業務”として処理されています。しかし実態は……報告書の文言への助言です」

 会議室に沈黙が落ちた。助言、という言葉が、むしろ事態の深刻さを際立たせていた。


  • 2 永田町の追及

 午後の国会。野党議員の声が議場に響いた。
 「百七人の命を奪った事故に、外資顧問が関与していたというのは事実か!」
 傍聴席には遺族の姿もあり、その視線が政府側に突き刺さった。

 答弁に立った国交大臣は深く頭を下げた。
 「現時点で調査中であります。外部の顧問が報告書作成に影響を与えたことは否定できません」

 議場にどよめきが走った。記者席からシャッター音が響き、ニュース速報が一斉に流れていった。


  • 3 記録室の声

 神戸市郊外の「歩廊(プロムナード)記録室」。
 舟橋は展示室の片隅で記者の質問に答えていた。
 「外資顧問の名前が出ましたが、どう受け止めていますか?」
 舟橋は一呼吸置いてから、静かに語った。
 「誰が関与していたかも大事です。しかし私たちが望んでいるのは、事故が繰り返されないこと。そのために必要なのは、“真実を曖昧にしないこと”です」

 背後では高校生のグループが展示を熱心に読み、ノートに感想を書き込んでいた。
 「組織が隠すと、犠牲者が増える。そうならない社会を作りたい」
 その一文が、舟橋の胸に深く響いた。


  • 4 検察の動揺

 西村検事は庁舎の一室で、新たな証拠ファイルを凝視していた。
 USBに保存されていた会合ログの続きには、こう記されていた。
 《議題:責任所在の調整。L.M.は“運転士の過失を強調せよ”と助言》

 西村は深く息を吐いた。
 ――やはり、影は指示を与えていたのか。

 しかし、これを公表するにはリスクがあった。証拠能力の不備、国際的な摩擦、そして何よりも再び遺族を苦しめる可能性。
 「だが、真実を埋もれさせることはできない」
 彼は心にそう刻んだ。


  • 5 弁護人の沈黙

 大阪の事務所。弁護人・宮坂は電話を受けていた。
 「先生、このままでは会社が潰れます」
 JR西日本の元役員からの声は震えていた。
 宮坂は短く答えた。
 「潰れるかどうかではない。社会がどう判断するかだ」

 受話器を置いた後、彼は窓の外を見つめた。
 「弁護士は依頼人を守る。しかし、真実から目を背けるわけにはいかない」
 彼の顔には深い疲労と、わずかな覚悟が浮かんでいた。


  • 6 ロンドンの影

 ロンドンのホテル。マクスウェルはワインを傾けながらニュースを見ていた。
 「L.M.――三つの文字が、国を揺らす」
 彼は笑みを浮かべた。
 「合理の仮面は、誰もが被っている。私がその象徴である限り、物語は続く」

 窓の外には濃霧に包まれたシティの高層ビル群。光と影が交錯し、まるで迷宮のように姿を変えていた。


  • 7 市民の反応

 神戸の街頭インタビューでは、市民の声が交錯していた。
 「結局、外資が口を出していたなんて許せない」
 「でも、責任を明らかにすることが再発防止につながる」
 「名前が出ても、何も変わらないのでは」

 賛否の声は混じり合い、社会全体が揺れ動いていた。


  • 8 夜の記録室

 その夜、記録室のポストに一通の封筒が投函されていた。
 舟橋が開封すると、そこには短い手紙が入っていた。
 《真実はまだ奥にある。L.M.は入口にすぎない》

 舟橋は手紙を握りしめ、窓の外を見た。
 夜の街に灯る光が、迷宮の出口を探す灯火のように瞬いていた。


  • 9 迷宮の深部

 西村は机上の資料を見つめながら呟いた。
 「迷宮の座標は動いている。真実は一点に留まらない」

 彼の胸に広がるのは、不安と同時に、確かな使命感だった。
 「出口を作るのは、我々自身だ」


  • 10 終着駅はどこに

 判決を経ても、迷宮は終わらなかった。
 外資顧問という新たな影が現れ、政治も社会も揺れていた。
 しかし、その揺れの中で、人々の声が重なり合っていた。
 「隠させない」「繰り返させない」

 ――終着駅の迷宮。
 その名の通り、旅は続いていた。
 出口のない廊下を進みながらも、人々は一歩ずつ前へと歩んでいた。

第八十九章 名指し

  • 1 新たな証言者

 神戸地方裁判所近くの喫茶店。西村検事は一人の男と向かい合っていた。
 男はJR西日本の元広報部職員、田嶋と名乗った。退職後は地方に身を隠すように暮らしていたが、「L.M.」の名が世間に流れたことで心を決めたという。
 田嶋は震える手でコーヒーカップを置いた。
 「……あの会合に、確かにいました。『L.M.』と呼ばれる人物は、イギリス訛りの日本語を話していた。黒いスーツに、常に笑みを浮かべて……。名前は、マクスウェル。私はそう聞かされました」

 西村の胸に戦慄が走った。これまで「影」としか語られなかった存在が、ついに“名前”を持ったのだ。


  • 2 ロンドンの沈黙

 一方その頃、ロンドンのシティ。マクスウェルは新聞を広げ、笑みを浮かべていた。
 《元社員が外資顧問を“マクスウェル”と名指し》
 見出しは国際的な注目を浴びていた。
 「名指し……か。だが証言ひとつで真実は動かない」
 彼は窓の外に広がる霧の街並みを眺めながら呟いた。
 「迷宮は出口を示すが、出口の先が正しい道とは限らない」


  • 3 永田町の騒乱

 国会では、野党議員が声を張り上げていた。
 「イギリス人顧問、マクスウェルの関与が証言で明らかになった! 政府はこれを把握していたのか!」
 与党議員は顔を曇らせ、大臣は額の汗を拭った。
 「現在調査中であり、真偽については……」
 答弁はかき消されるように怒号が響いた。
 ニュース速報は連日、マクスウェルの名前を流し続け、日本社会を揺さぶっていた。


  • 4 記録室の決意

 神戸の「歩廊(プロムナード)記録室」。遺族たちは新しい展示を準備していた。
 「外資顧問の名前が出た以上、ここでも記録に残さなければならない」
 舟橋は真剣な表情で語った。
 展示パネルには、新聞記事のコピーとともに、田嶋の証言概要が掲載された。
 訪れた市民たちは立ち止まり、低い声で囁き合った。
 「こんなことが……」
 「やっぱり、隠していたんだ」

 その声は小さくても、確実に社会へと広がっていった。


  • 5 検察庁の葛藤

 西村は上司に報告書を提出していた。
 「証言だけでは不十分です。物的証拠が必要になります」
 上司は深いため息をついた。
 「国際問題に発展しかねん。軽率に動くな」

 だが、西村の心は揺るがなかった。
 「迷宮を抜けるためには、名前を記録に残さなければならない」


  • 6 弁護人の反発

 大阪の事務所。宮坂は電話を受けていた。
 「マクスウェルが関与していたと騒がれている。だが、私たちの弁論にそれを持ち出すな!」
 依頼人である元役員の声は苛立ちに満ちていた。
 宮坂は静かに答えた。
 「あなたが望むことと、社会が望むことは違う。真実が明らかになれば、あなたが隠れ蓑にされる可能性もある」
 受話器の向こうから沈黙が返った。


  • 7 市民の声

 神戸駅前で行われた街頭インタビュー。
 「名前が出ても何も変わらない」という声もあれば、
 「具体的な人物が関わったことが分かっただけでも大きい」という声もあった。

 ある若い女性は涙ぐみながら語った。
 「事故で亡くなった母は戻らない。でも、名前が出れば、同じことは繰り返されないと思う」


  • 8 記者会見

 記者クラブに呼ばれた田嶋は、緊張した面持ちでマイクの前に立った。
 「私は会合に出席し、マクスウェルという名を聞きました。彼が“運転士過失を強調せよ”と助言したのを耳にしました」
 会場がざわめいた。
 「証拠は?」という声が飛ぶ。
 田嶋は小さく首を振った。
 「録音も文書もありません。しかし、私はこの目で、耳で聞いたのです」

 記者たちのペンが一斉に走り、会場は熱気に包まれた。


  • 9 夜の告白

 その夜、西村のもとに一本の電話が入った。
 「……私も話さなければならない」
 声の主は、かつてマクスウェルと直接接触したという元社外役員だった。
 「明日、記録室に行きます。そこで全てを話します」

 西村は受話器を握り締めた。ついに、影は形を持ち始めていた。


  • 10 迷宮の扉

 翌朝、神戸の空は曇天に包まれていた。
 「歩廊記録室」には記者たちが詰めかけ、遺族や市民が集まっていた。
 扉の前に立った西村は、小さく呟いた。
 「名指しの証言……これが迷宮の扉を開く鍵になるか」

 重い扉が開かれる音が、静かな展示室に響いた。


(第九十章につづく)

※この小説はフィクションであり、実在の人物や団体とは一部の史実を除き関係ありません。西村京太郎風のリアリズムを重視し、架空の登場人物を通じて事件の構造に迫っていく構成になっています。

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