西村京太郎を模倣し、『JR福知山線脱線事故』を題材にした小説、「終着駅の迷宮」(ラビリンス)第九章・第十章

目次

第九章 封鎖網

 初秋の朝。東京・警視庁捜査一課の会議室では、十津川警部を中心に、事故捜査本部の全員が集められていた。

 壁には大きなホワイトボードが立てられ、そこには事故からこれまでの時系列、関係者の顔写真、接触記録がぎっしりと貼られている。

「本日付で、JR西日本の元副部長・西田靖、それから技術戦略本部の藤原浩一、そして元国交省幹部の川井啓一。この三名に対して、任意同行を求める」

 十津川の声は、会議室の空気を張り詰めさせた。

 これまで証拠を積み上げても、彼らはそれぞれが“自己防衛”を盾に責任を回避してきた。しかし、藤原の音声記録や改ざんログの復元によって、構図は明確になりつつあった。

 亀井がホワイトボードの一部を指し示す。

「問題は川井ですよ。彼は肩書きだけじゃなく、現役官僚とのパイプも太い。呼び出した途端、裏から圧力がかかる可能性が高い」

「だからこそ、先に包囲網を敷く」

 十津川は淡々と続けた。

「国交省の現役幹部数名にも、証人としての事情聴取を予告した。彼らにとっても、川井の関与をかばう理由は薄いはずだ」

 会議が終わると、捜査員たちはそれぞれの持ち場へ散っていった。

 廊下を歩きながら、亀井がぼそっと呟く。

「十津川さん、今回は……相手が悪すぎませんか」

「相手が誰であれ、やることは同じだ。真実を、記録に残す」


 午後三時。大阪・北区の高級マンション。

 西田靖の住む部屋の前に、数名の捜査員が立った。

 インターホンを押すと、しばらくしてドアが開き、やつれた顔の西田が姿を現す。

「……また来たんですか」

「任意での同行をお願いします。事情を詳しく伺いたい」

 十津川の言葉に、西田は小さくため息をつき、靴を履いた。

「任意……ね。もう“任意”じゃないでしょう」

 連行の車中、西田は窓の外をぼんやりと眺めていた。

「刑事さん、私が全ての責任を負えば、それで満足ですか」

「満足なんてしません。あなた一人を悪者にしても、構造は変わらない」

「……構造」

 西田はその言葉を反芻し、口を閉ざした。


 同じ頃、東京・赤坂の高級料亭では、川井啓一が一人の議員と会食していた。

 そこへ、スーツ姿の捜査員二名が現れる。

「川井啓一さん、警視庁です。任意でお話を伺いたい」

 川井は箸を置き、ゆっくりと立ち上がった。

「タイミングがいいな。これから話そうと思っていたところだ」

 その口調には、まだ余裕があった。


 夜八時。警視庁取調室。

 西田、藤原、川井。それぞれが別室に分けられ、同時進行で聴取が始まった。

 十津川は川井の担当だった。

「あなたが事故後に行った助言。それは、事実を隠すことを目的としていたのでは?」

 川井は笑みを浮かべる。

「そう見えるかもしれない。だが、私は企業を守るための最適解を示しただけだ」

「藤原氏の音声記録があります。あなたが西田氏に“運転士の過失で通せ”と指示したものです」

 川井の笑みが、一瞬だけ硬直した。

「……録音か。彼も意外と用意周到だな」

「あなたの発言一つで、多くの証拠が握りつぶされた」

「それで、国は混乱しなかった。刑事さん、混乱のない国と、真実を晒して混乱する国、どちらがいい?」

「混乱を恐れて真実を捨てた国に、未来はありません」

 十津川の言葉に、川井はゆっくりと視線を逸らした。


 翌朝、各紙の一面にはこう並んだ。

JR西日本幹部ら事情聴取 国交省OBも関与か

 しかし、その記事の裏で、水面下の駆け引きが激化していた。

 与党の一部議員が警察庁に圧力をかけ、川井の立件を避けようと動いていたのだ。

 亀井が捜査会議で苛立ちを隠さず言う。

「このままだと、川井は“証拠不十分”で逃げますよ」

「だからこそ、まだ掴めていない“決定的な証拠”が必要だ」

「決定的な証拠……」

 十津川はホワイトボードの一角に、事故発生当日の社内メール記録の一覧を貼った。

「この中に、事故の二時間後に送られた“社外秘”のメールがある。送信者は技術戦略本部、宛先は川井だ」

 藤原が保管していた未開封のバックアップファイル。その解析が進められており、もしそこに“事実隠蔽”の直接指示が記されていれば、すべてが動く。


 数日後、解析が完了した。

 ファイルには、こう記されていた。

“例のデータは削除済み。運転士単独過失で報告を統一。川井様のご指示どおり進めます。”

 送信者は藤原。受信者は川井。事故当日午後1時42分。

 その文面を見た亀井が、低くつぶやいた。

「……詰みですね」

「まだだ。これは証拠だが、裁判で耐えられる形に固める必要がある」

 十津川は、ファイルを丁寧に封入した。


 やがて、逮捕状が請求された。

 西田靖――証拠隠滅及び業務上過失致死。

 川井啓一――証拠隠滅教唆及び同罪。

 秋雨が降る中、警視庁の前に報道陣が集まり、フラッシュが何度も焚かれた。

 亀井が傘を差しながら言う。

「長かったですね、ここまで」

「まだ終わっていない。これから裁判だ」

 二人は雨の中、足を進めた。

 あの日の線路脇に散った花束の白さが、ふいに十津川の脳裏に蘇った。

第十章 交錯する影

 神戸地方検察庁の会議室は、窓から差し込む冬の弱い日差しに包まれていた。

 十津川警部と亀井刑事は、検察庁の交通部主任検事・江島理沙と向き合っていた。三十代後半、切れ長の目と冷静な口調が印象的な女性だった。

「……つまり、警部の見立てでは、この事故は単なる運転士の過失ではなく、構造的な欠陥が背景にあると?」

 江島が、手元の分厚いファイルをぱらぱらとめくりながら問いかける。

 十津川は短く頷いた。

「はい。藤原浩一氏の証言、西田副部長の指示、さらに元国交省幹部・川井啓一氏との接触記録――これらが示すのは、“企業と行政が一体となって事実を矮小化した”という事実です」

 江島は、薄く笑みを浮かべた。

「警部、私も同じ匂いを感じています。しかし、構造的責任を立証するのは容易ではありません。幹部たちは“現場判断”や“部下の暴走”という形で責任を切り離してくるでしょう」

 亀井が身を乗り出した。

「それでも、やらなきゃならないんですよ。遺族が納得するためにも」

「もちろんです。ただ……」

 江島は一呼吸置いてから続けた。

「この件、国会の一部でも動きがあります。事故調査の再開を求める議員連盟が、水面下で証人喚問の準備をしているらしい」

「証人喚問……ですか」

「ええ。西田、副社長の柿本、そして川井啓一。この三名を呼びたいという動きです」

 十津川は眉をひそめた。

 国会の場に引きずり出されれば、彼らは企業論理や政治的配慮を盾に証言を濁すだろう。しかし、公開の場での発言は記録として残る。それは捜査の突破口にもなり得た。

 

 その夜、十津川は東京駅近くの喫茶店で、一人の男と会った。

 男は中年の元JR西日本社員で、事故当時は総務部に在籍していたという。名前は明かせないという条件付きでの面会だった。

「……私は、あの日の午後、社長室に呼ばれました。そこで耳にしたのは、“原因は運転士のハンドルミスで統一しろ”という指示でした。詳細は……録音があります」

 男は小型のICレコーダーをテーブルに置いた。

 再生すると、低い声の幹部たちが議論する音が流れた。

『現場のブレーキデータは消しておけ。マスコミは速度超過だけで十分だ』

『国交省もそれでいいと言っている。余計な波風は立てるな』

 十津川は静かに再生を止めた。

「……これを、どうして今になって?」

 男はコーヒーを一口飲み、視線を落とした。

「最初は、会社を守るつもりでした。でも、あの事故で亡くなったのは、私の高校時代の同級生だったと知って……耐えられなくなったんです」

 十津川は、深く礼を述べた。

 この録音は、事件の構造的責任を裏付ける決定的な材料となるだろう。

 

 翌日、警視庁捜査一課の会議室。

 十津川は録音データを再生し、捜査員たちの前で説明した。

「これで、“現場だけの判断”という主張は崩れる。幹部が意図的にデータを消去し、国交省とも口裏を合わせたことが明らかだ」

 若い刑事が手を挙げた。

「ですが、川井の関与を直接示す証拠は、まだありません」

「それは、これから掘り起こす。彼のスケジュール、通話記録、交際範囲を徹底的に洗え」

 会議室の空気が、張り詰めた。

 

 三日後。

 亀井は、川井の古い知人である元新聞記者・吉岡に接触した。

 吉岡は六十代後半、現役時代は国鉄改革や運輸行政を追っていた人物だ。

「川井は昔から、現場の声より効率と数字を優先するタイプだった。運輸省時代、過密ダイヤに反対する現場運転士を左遷させたこともある。……あの人にとって鉄道は“人”じゃなくて“システム”なんだよ」

 亀井は眉をひそめた。

「事故の後も、同じ考えだったと?」

「間違いないね。彼は“企業を守るためなら、現場の責任にすればいい”と言っていたよ。私はそれを聞いて、もう付き合うのをやめた」

 この証言もまた、川井を追い詰める一歩となった。

 

 そして、国会での証人喚問の日が訪れた。

 全国放送の中継カメラが並び、傍聴席には遺族や報道関係者が詰めかけていた。

 西田、副社長の柿本、そして川井が証言台に立つ。

 議員たちの質問に対し、西田と柿本は一貫して「記憶にない」「現場判断だった」と繰り返した。

 しかし、川井は違った。

「……私は、事故後にJR西日本の幹部と会いました。その席で、運転士の過失として処理する方針を聞きました」

 傍聴席がざわめいた。

「あなたは、その方針に賛同したのですか?」

 議員の問いに、川井は一瞬、言葉を詰まらせた。

「……企業の存続を考えれば、それしかないと思った」

 その瞬間、全国中継の電波に乗って、川井自身の“加担”が記録された。

 

 喚問後、十津川と亀井は国会近くの歩道を歩いていた。

 冷たい風が吹き、落ち葉が舞っていた。

「やっと……一歩ですね」

 亀井がつぶやく。

「まだ半歩だ。だが、この半歩がなければ、次には進めない」

 十津川の声には、静かな決意があった。

 遺族のため、そして未来のため――真実を記録する戦いは、まだ続いていた。

(第十一章へつづく)

※この小説はフィクションであり、実在の人物や団体とは一部の史実を除き関係ありません。西村京太郎風のリアリズムを重視し、架空の登場人物を通じて事件の構造に迫っていく構成になっています。

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