第六章 塩と遺言
一
九月に入っても、御堂の村には一向に涼しさが訪れなかった。陽が傾くにつれて湿気は増し、樹々の影はより濃く、重く、そして何より――人々の口がさらに硬くなった。
村の者は、あの事件について口を開かない。それは“忘却”ではなく、“封印”であると私は確信し始めていた。
そんな折、一本の電話が私の宿にかかってきた。
「先生……よろしければ、御堂家の遺言状をお見せします」
声の主は、久枝の従姉にあたる女性――笹村澄江であった。
二
澄江の家は村のはずれ、旧地頭の屋敷跡に近い谷あいにあった。
細い坂道を登った先に、苔むした石垣と、歪んだ門扉が見えた。昔は番所だったという屋敷の奥に、澄江は私を通した。
「久枝のこと……きっと、あなたなら書き残してくださると思いましたの」
彼女は小さな木箱を出してきた。
蓋を開けると、中には封蝋が割れた古文書が一枚。
そこには、明治三十八年の年号とともに、細い筆跡でこう記されていた。
三
「此ノ子等、穢血ニテ相続不可。正嫡ノみに御堂家ヲ譲ル事」
――この子等、穢れの血にて、相続すべからず。
私は震えた。
「この“穢血”とは……?」
「当時、御堂の本家筋に入った妾の一人が、ある“非人”の血筋と噂されたのです。その子が男子だった。つまり、御堂家の本家に“汚れた血”が入ることを恐れ、家督の流れを意図的に枝へ逃したのです」
「それが……現代にまで続いていると?」
「ええ、志津も、久枝も、“穢れた女の末裔”と目されていた。そして“忌”の火が、また灯ったのです」
四
私は、その言葉にひとつの矛盾を感じた。
「しかし、志津は村の信頼を得ていた。久枝も、表面上は祝福されていたのでは?」
「それは、表面だけです。志津は“火を操る者”として利用された。久枝は、他所で生まれたから、尚のこと“血の確認”が必要だったのです」
彼女はさらに言った。
「御堂家には、年に一度“塩炊き”と呼ばれる儀式があります。そこで、娘の体から滲む塩の色で“血の穢れ”を判断するのです」
「……塩の、色?」
信じ難い風習だったが、澄江の目は真剣だった。
「赤く濁れば“穢れ”、白ければ“清き血”。久枝の塩は――赤かったそうです」
五
私は、御堂家の使用人のひとり、元下女の老女・加津を訪ねた。
彼女は目を伏せながらも、私の問いにこう答えた。
「……あれは“死人の塩”でございます。久枝様の塩は、まるで血で煮たような、真紅でございました」
「それで……?」
「志津様がそれを見て、台所の火に塩を投げ込み、火を絶やされました。“この塩は火を穢す”と申されて……それから、久枝様は食事も別、座敷も別でございました」
六
私は御堂家の台所へ足を運んだ。そこは既に使われておらず、灰に埋もれた竈がぽつりと残るだけであった。
だが、その竈の奥に、錆びた鉄箱が打ち捨てられていた。
中には、焼け焦げた紙片――その一部に、わずかに読める文字があった。
「ひらこ……しお……うまれた」
“ひらこ”――これは村の古い言葉で、“平児(ひらご)”、すなわち婚外子を意味する。
つまりこの紙片は、久枝の出生と塩の色を記録した“診断書”であったのかもしれない。
七
夜。私は再び澄江のもとを訪れ、問いただした。
「久枝の本当の父は――御堂周平ではないのですか?」
澄江は、長く黙したのち、ぽつりと答えた。
「……久枝の父は、志津様の兄、周平様と、ある行商人の娘との子です。つまり、久枝は“血の隔て”を二重に持つ子だった」
「なぜ、志津は久枝を手元に置いたのです?」
「罪滅ぼしです。“塩で選んだ命”を、せめて見届けようとしたのでしょう」
八
私は、この“選別”の思想が、村全体に染み込んでいることを理解した。
祭の席、毒の入ったカレー、志津の台詞、久枝の怯え。
すべては、古くから続く御堂家の“血と塩”による選別の所作であったのだ。
九
その夜、私は夢を見た。
火の竈に、塩を注ぐ白い手。それが一瞬で赤に染まり、爆ぜるように火が消える。
志津の声がする。
「火を絶やすな。血を絶やすな。塩を見よ」
目覚めたとき、私の手には、あの鉄箱に残っていた赤い塩の欠片が握られていた。
十
御堂家の遺言状は、澄江によって県立図書館に寄託される運びとなった。
私はその目録を前に、久枝の浴衣の端切れをそっと手に取った。
「ひらこ」「赤き塩」「鉄鍋」――それらが意味するものは、単なる迷信でも、残酷な儀式でもない。
それは、声なき者たちが残した“抗いの痕”だったのだ。
(つづく)
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一部を除き関係ありません。ただし、1998年の和歌山毒物カレー事件を題材とし、横溝正史の文体を模した推理小説として構成しています。
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