横溝正史を模倣し和歌山毒物カレー事件を題材にした小説『鉄鍋忌聞録』(てつなべきぶんろく)第三章

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第三章 地蔵堂の祠と蛆の記憶

 東角村の朝は遅い。日が昇っても尚、空は白く曇り、霧が低く垂れ込めていた。私はその朝、宿の女中から聞いた奇妙な話をきっかけに、再び村の奥へ足を運んでいた。

「地蔵堂へは行かん方がええです。あそこは……人が連れていかれますさかい」

 女中がそう言ったとき、その顔はどこか遠くを見ていた。言葉では語れぬ“何か”を知っている目だった。

 地蔵堂とは、村の北端にある古い祠のことである。赤い布を巻いた石の地蔵がいくつも並び、昔は子どもの守り神として信仰されていたという。しかし、近年では立ち入りを禁じられており、草が生い茂って誰も近づかないという噂だった。

 私は迷いながらも、霧に包まれた小径を歩いた。足元に咲く蓮華草の群れ、折れた竹、そして、途中に崩れかけた鳥居がひとつ。そこを抜けると、確かにあった。小さな、くすんだ朱塗りの地蔵堂が。

 堂の正面には「昭和四年 供養建立」と刻まれた石碑が立っていた。

 だが、異様なのはその背後だった。祠の裏に、井戸のような構造物があったのだ。覆いのない石組みの穴。覗き込むと、そこには暗い闇しか見えない。どこまで続いているのか見当もつかない深さだった。

 その時だった。

 どこからか子どもの笑い声が聞こえた。笑いながら、嗤っている。

「ひさえ、ひさえ、ひさえ」

 空耳か、あるいは……。

 私は反射的に後ずさり、背中が杉の木にぶつかった。鳥肌が立つ。風は止んでいるのに、木々の葉が勝手に揺れていた。何かが、這っていた。見えぬ“何か”が、井戸の底から湧いてくるような気配。

 その夜、私は御堂周平に地蔵堂のことを問うた。

「地蔵堂……ああ、あそこは昔、間引きの子を供養した場所や」

「……間引き?」

 御堂は深くため息をつき、酒を少し口に含んだ。

「昔の村には、“忌み子”ちゅう考えがあったんや。双子、赤髪、女ばかり三代続いた家の子。そういうのは、村に災いをもたらすってな。そんで、“地蔵さまに預ける”て言い方でな、殺したんや」

「つまり――」

「久枝の母親、志津はその忌み筋や。志津が妊娠したとわかった時点で、本来なら“落とす”べきやった。けど、あの娘は村を出て逃げた。そして、子を産んで、戻ってきた。それが久枝や」

 私はようやく理解した。久枝は“生き延びてはいけない命”だったのだ。

 ――では、毒は?

 数日後、私は久枝の幼馴染を名乗る老婆に話を聞くことができた。

「久枝はよう、ひとりで遊んでおった。地蔵堂でな。あん子だけは、あそこと話ができたんや」

「話、ですか?」

「うん。声がする言うてな。“おかあさんが来るよ”とか、“さかなが火に入るよ”とか、ようわからんことを」

 老婆の話はとりとめがなかったが、印象的だったのは次の一言だった。

「久枝の背中には、蛆がわいてたことがあるんや。あれは志津の遺伝やな。産んだとき、母親の腹から蛆が出た言うてな。――そういう子やったんや、あの子は」

 その晩、私は夢を見た。

 赤い金魚が湯に浮かび、誰かの細い指がそれを箸で摘んでいた。湯はだんだん赤く染まり、白く曇り、やがて何かがふわりと浮かぶ。

 それは、人の眼だった。濁った女の眼。

 ――志津の眼。

 夢の中の志津は、私を見ていた。恨んでいるのでも、呼んでいるのでもない。ただ、見ていた。底のない虚無の瞳で。

 翌朝、私は思い切って御堂の孫、加奈子に会うことにした。小学六年生の少女だったが、事件当日、カレー鍋を台所に戻す役をしていた人物だった。

「誰かが鍋に白い粉を入れていたと聞きました」

 加奈子は一瞬、ためらったが、やがて静かに口を開いた。

「……おばあちゃん」

「……何?」

「おばあちゃんが、鍋に粉を入れてたの。私がトイレに行こうとして戻ったら、ちょうどスプーンで入れてて……私に“誰にも言うな”って、すごい顔で睨んだ」

 私は思わず椅子から腰を浮かせた。

「御堂さんのお母さん……?」

「ううん。久枝さんの……親代わりだった、お婆さん。志津さんの姉って聞いた。おばあちゃんが言ってた。“久枝を守るには、あれをやるしかなかった”って」

 つまり、毒を混ぜたのは久枝ではなく、志津の姉――久枝の大伯母にあたる人物だった。そして彼女は、久枝を守るために、自ら“罪”を背負う覚悟で、久枝に罪が着せられるよう仕向けた……。

 なぜ。

 なぜそんな回りくどいことを?

 夜が更けた頃、私は宿の部屋で、例の浴衣を取り出していた。もう一度、刺繍の文字を確かめる。

「しづ」

 だがその横に、かすかに滲んだもうひとつの文字が浮かび上がっているのを見つけた。

「しづ」と「かず」

 ――志津と、和津。

 “和津”とは、地蔵堂の裏に刻まれた名前だった。

 「和津女供養塔」

 志津の名が残され、和津の名が封じられている。まるで、二つの魂が対になっているかのように。

 そして、ようやく気づいた。

 この村の恐怖は、ただの迷信や因習ではない。

 この村は、“生まれてはならぬ者”を代々受け継いでいる。それは血だけではない。名前、顔、癖、匂い、そして――祟り。

 毒は、誰かが混ぜたのではない。

 毒は、この村が混ぜたのだ。

 村という名の共同体が、自らの正義の名のもとに、久枝という“汚れ”に罰を与えた。

 その象徴が、あの浴衣。あの井戸。あの祠。

 そして、私は知ってしまった。

 地蔵堂の下には、いまも子どもたちの骨が眠っているということを。

 その骨の上で育った木々が、いまも風のない夜に揺れるということを。

 赤い金魚は、夏祭りの遊びではない。

 あれは、“溺れた魂”の記号なのだ。

(つづく)

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一部を除き関係ありません。ただし、1998年の和歌山毒物カレー事件を題材とし、横溝正史の文体を模した推理小説として構成しています。

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