第二章 日露の嵐
明治三十七年(一九〇四年)、日本はロシア帝国との開戦を決意した。
大国ロシアとの戦争。それは、東洋の小国にとって、無謀とも言える挑戦だった。
五十六は、少尉候補生から少尉に任官され、第一艦隊に配属された。
配属先は、装甲巡洋艦「日進」だった。
「日進」は最新鋭の軍艦だった。だが、彼の乗艦初日は、嵐の夜だった。
日本海の荒波は、戦争が始まる前から、すでに命を試していた。
艦は容赦ない風浪に叩きつけられ、激しく揺れた。
新人士官である五十六は、持ち場である砲術指揮所で、必死に歯を食いしばった。
「海とは、かくも無慈悲なものか……」
そんな思いも、胸にわずかに去来した。だが、士官たる者、弱音は吐けない。
同じ艦に乗る水兵たちも、吐きながらも笑い、互いの背中を叩き合っていた。
やがて、戦争が本格化する。
黄海海戦、旅順港閉塞作戦、砲弾と煙の中、五十六は生死の境を幾度となくくぐり抜けた。
中でも忘れられないのは、黄海海戦であった。
砲煙に包まれた海上。ロシア艦隊との壮絶な撃ち合いのさなか、「日進」は敵弾を受け、炎上した。
火薬庫に迫る火の手を、五十六は、水兵たちと必死に防いだ。
火は髪を焦がし、肌を焼いた。
しかし彼は、一歩も引かなかった。
――ここで退けば、艦も、仲間も、国も滅ぶ。
炎の中で、五十六はそう思った。
奇跡的に「日進」は沈没を免れたが、多くの友が倒れた。
五十六自身も、左手の指二本を失った。
戦いの後、艦内の一隅で包帯を巻かれながら、彼はぼんやりと考えていた。
(命とは何だろう……勝つとは何だろう……)
それは、後年、五十六という男が、単なる戦争屋ではなく「国を背負う者」へと成長する大きな転機となった。
日露戦争は、日本の勝利に終わった。
ポーツマス講和条約が締結され、日本国中が沸き立った。
しかし、五十六は素直に喜べなかった。
講和の内容は、国民が期待したほどではなかったからだ。
賠償金も得られず、戦勝国のはずなのに、町では暴動が起きた。
五十六は、その騒動を、兵学校時代の旧友たちと居酒屋で眺めながら、ぽつりと漏らした。
「勝って、なぜ、こんなに苦しいのだろうな」
友人の一人が答えた。
「民衆は勝てば金も栄誉も湯水のごとく流れてくると信じている。だが、国の力とは、もっと地味で、もっと恐ろしいものだ」
五十六は、静かに酒杯を傾けた。
国とは何か。勝利とは何か。
心の中で、また新たな問いが生まれた。
やがて五十六は、さらなる学びを求めて、海軍大学校への進学を志す。
海軍大学校――そこは、戦術だけではなく、国家戦略、経済、国際法、あらゆる知識を身につけるための場所だった。
合格は狭き門だった。
だが、五十六は並外れた努力と、実戦経験を武器に、その門をこじ開けた。
江田島での少年時代。
日本海で燃えた戦友たち。
そして、勝ってもなお苦しむ国民の顔。
それらすべてが、五十六を押し上げ、育てていった。
海軍大学校の講義室。
白い制服を着た士官たちの中に、五十六は静かに座った。
窓の外には、相変わらず日本海が青く光っている。
世界はまだ、遠く、広い。
そして、嵐の兆しは、すでに太平洋の向こうで起こり始めていた。
五十六は、知らず知らずのうちに拳を握った。
――まだ、道の途上である。
青年士官の胸には、誰にも見えぬ、未来への蒼穹が広がっていた。
【第二章ー完ー】
第三章 海を越えて
明治四十三年(一九一〇年)、山本五十六は新たな使命を与えられた。
アメリカ合衆国への留学――海軍の若手将校にとって、それは最大級の栄誉であり、試練でもあった。
彼は、長い航海の末、サンフランシスコに降り立った。
広い空、まっすぐ伸びる街路、威容を誇るビル群。すべてが五十六にとっては、初めて見る世界だった。
「これが、世界か……」
少年時代から胸に描いた”世界”は、確かにここにあった。
だが、単なる憧れではなかった。日本が学ばなければならない現実が、目の前に広がっていた。
五十六は、ハーバード大学の公開講座に通い、国際法や経済、外交史を学んだ。

また、民間の造船所や軍港を見学し、米海軍の最新技術にも触れた。
彼は驚いた。
軍艦の規模、海軍力の層の厚さ。日本とは桁違いである。
何より、アメリカ人たちの自由闊達な気質が、五十六には新鮮だった。
(この国は、簡単には倒れない)
心の中でそう感じた。
そして、五十六は一つの信念を持つに至る。
――この国とは、決して無闇に戦ってはならない。
留学中、五十六はただ学問に没頭していたわけではない。
多くのアメリカ人たちと交流を重ねた。
ある晩、ボストン郊外のパブで、地元の若者たちと酒を酌み交わしたときのことだ。
「日本人も、こうしてビールを飲むのか?」
笑いながら尋ねる若者に、五十六は英語で答えた。
「もちろん。酒を飲まぬ日本人など、いないさ」
皆、大笑いした。
異国での孤独な日々に、五十六は、こうしたささやかな友情を何よりの慰めとした。
しかし、その一方で、留学生活は彼に苦い現実も突きつけた。
人種差別。
五十六は、白人たちから侮蔑の視線を向けられることも少なくなかった。
列車に乗れば、白人専用と有色人種専用の座席に分けられた。ホテルで宿泊を断られることもあった。
五十六は、そのたびに怒りをこらえた。
だが、単純な憤りではない。
むしろ、彼の中で冷静な計算が働いていた。
(国力とは、単なる軍艦の数ではない。
この国には、自由と暴力と、繁栄と差別が混ざり合っている。
この矛盾を理解せずして、アメリカを敵に回すことはできない)
やがて留学期間を終え、日本に帰国する日が近づいた。
サンフランシスコの港を眺めながら、五十六はふと胸に思った。
――世界は広く、強い。
日本はまだ、小さな国だ。
だが、だからこそ、日本は賢く、慎重に歩まねばならない。
勝ち気や虚勢では、到底この大海を渡りきれはしないのだ。
その決意を胸に、彼は再び日本の土を踏んだ。
帰国した五十六は、すぐに海軍省の要職に配属された。
彼のアメリカでの見聞は、上層部から高く評価されたのである。
だが、彼は早くも焦燥を覚え始めていた。
日本国内には、欧米列強への劣等感と反感が渦巻いていた。
特に、対米感情は日に日に悪化していた。
五十六は、内心、思った。
(日本は、アメリカとの戦争などしてはならない。
だが――この空気では、やがて戦いに引きずり込まれるかもしれない)
若き海軍士官は、すでに時代の暗雲を感じ取っていた。
だが、それを止める力を、まだ彼は持ってはいなかった。
この時代、国を動かすものは、理性でも知恵でもなかった。
熱狂と、そして鈍い怒りだった。
それでも五十六は、諦めなかった。
まだ、海は広い。
まだ、道は続いている。
若き五十六は、再び、静かに歩み始めた。
――やがて、太平洋を赤く染める、大いなる嵐の中心に立つことになるとは知らずに。
【第三章ー完ー】
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