佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第七十八章・第七十九章

目次

第七十八章 灯が試しに座った昼──影が何も言わなかった

 翌朝、少年は胸の奥の静けさで目を覚ました。

 昨日まで、鳩尾のあたりでこまごまと揺れていた灯が、

 その朝に限って、ほとんど揺れを見せなかったのだ。

 消えたのではない。

 呼吸の底に、かすかな温度は残っている。

 けれど、いつものように「ここにいる」と主張せず、

 ただ、何かを決める前のように、

 じっと沈黙していた。

 節子の灯は、背骨の奥で

 小さく寝返りを打つように動いたきり、

 やはり何も言わなかった。

 ——口を出さないほうがいいことも、ある。

 そんな気配だけが、

 背中の骨に触れていた。

 少年は布団の上に起き上がり、

 しばらくのあいだ、自分の胸と向き合った。

 灯は、

 そこに居たいのか。

 それとも、

 どこかへ行きたいのか。

 問いかけても、

 返事は無い。

 ただ、鳩尾のあたりが、

 いつもより軽い気がした。

 ——もしかして。

 少年は、

 まだ言葉にならない予感を抱えたまま、

 外へ出た。

 

■影の道に“戻るための足跡”が重なっていた

 学校へ向かう影の道には、

 昨日までと同じように無数の線が走っていたが、

 今日はやけに「重なり」が目立った。

 輪から外へ伸びる細い線の上に、

 別の誰かの足跡が上書きされている。

 ひとつめの線は、

 灯が外へ運ばれた痕跡。

 重なった足跡は、

 それを追いかけた誰かの足。

 少女がいつの間にか横に来て、

 線の交わる部分を指で押さえた。

「“戻るかもしれない道”だよ」

「戻る?」

「うん。

 一度外へ出た灯がね、

 やっぱり胸に戻りたくなることもあるでしょう?」

 少年は少し驚いた顔をした。

「戻ってきていいのか?」

「いいよ」

 少女はあっさりと言った。

「戻れない場所に出された灯は、長く燃えない。

 灯のほうも、

 『また帰れる』と思ってないと、前へ出る勇気が出ないの」

 重なり合った足跡をよく見ると、

 行きと帰りがどれなのか、

 すぐには分からなかった。

 それでいいのだ、と少年は思った。

 行きっぱなしと、帰りっぱなし、

 その二つだけで生活を分けるには、

 いくらなんでも世界は乱暴すぎる。

 何度も行って、

 何度も戻って、

 その度に足跡が濃くなる。

 影の道は、

 そうやって“居場所”と“外”をつなぐのだろう。

 

■黒板の字が“試しにやってみる生活”を笑った

 教室に入ると、

 黒板には今日の字が書かれていた。

 ■試

 子どもたちのあいだから、

 小さな笑いが漏れた。

 試験、試し、試し切り――

 この字は、戦前も戦中も、

 あまり愉快な使われ方をしてこなかった。

 しかし、

 教員は今日に限って、

 口の端を少しだけゆるめた。

「今日は“試す”について考える」

 少年の鳩尾の灯が、

 その言葉にかすかに震えた。

「試すとは、

 本気でやる前に『やってみる』ことだ。

 戦争は、人間に試す余裕を与えなかった。

 『やってしまえ』『やらねばならぬ』ばかりで、

 失敗する権利を奪った」

 教室の空気が、

 どこか苦々しく揺れた。

「だがな」

 教員は黒板を軽く叩いた。

「戦後の生活に必要なのは、

 『試してみる勇気』と

 『失敗しても居場所が消えない世界』だ」

 少年は喉の奥が熱くなるのを感じた。

 灯を胸に置いたままでも、

 空席に座らせてみてもいい。

 どちらを選んでも、

 世界がいきなり自分を否定しないなら、

 灯も怖がらずに前へ出られるはずだ。

「今日は、“試してみたかったのに試さなかったこと”を書け」

 少年は迷った末に書いた。

 ——節子がまだ生きていた頃、

  もう一度だけ“外へ連れ出してみる”こと

 少女は紙を見せた。

 ——母に、

  怒られるのを覚悟で『帰ってきて』と言うこと

 あの頃は、

 試すこと自体が許されなかった。

 今なら、と、

 胸の奥で灯が小さく揺れた。

 

■炊き出しの列で“試しに座った背中”を見る

 昼、炊き出しへ向かうと、

 若い母親は、

 列の少し手前の石段に腰を下ろしていた。

 完全に離れているわけではない。

 列と石段のあいだには、

 人ひとり分がかろうじて通れる隙間だけが開いている。

 母親の膝には、

 熱の引かない赤ん坊。

 老婆が列から外れ、

 母親の隣に腰を下ろした。

「今日は、並ばないのかい」

「……試しに、座ってみてます」

 母親の声は小さかったが、

 はっきりしていた。

「立ち続けるのは無理だけど、

 離れきるのも怖いから」

 老婆は「ほう」とだけ言い、

 列の順番が近づくと、

 二人分の椀を受け取って戻ってきた。

 誰も咎めない。

 誰も称えない。

 ただ、

 列と石段のあいだの“半端な場所”が、

 当たり前のように

 ひとつの居場所として承認されていた。

 少年の胸の灯が、

 鳩尾から少し上へ浮かぶように揺れた。

 ——立つか座るかだけじゃなくて、

 ——試しに半分だけ混ざる場所もあるんだよ。

 節子がどこかで笑っている気がした。

 

■釜戸の前で、“灯がいなくなった場所”を見る

 家へ戻ると、

 釜戸の灰の上にあった灯の一つが消えていた。

 正確には、

 灯そのものは見えない。

 灰の表面に、

 小さく丸く焼け跡のような黒い輪が残っているだけだった。

「……ひとつ、減ってる」

 少年が思わずそう言うと、

 少女は肩をすくめて見せた。

「“置かれた灯”が、

 次の場所へ行ったんだよ」

「消えたんじゃなくて?」

「消える灯もあるけど、

 あれは『移った』ほうだね。

 ちゃんと跡が残ってる」

 少女は黒い輪の縁を指でなぞいだ。

 そこには熱はなく、

 しかし不思議と、

 温度の記憶だけが染み込んでいた。

「怖くないのか?」

「怖いよ」

 少女は、

 節子がよくするような、

 片方だけ口角の上がった笑い方をした。

「でもね、

 いつまでも釜戸の上に灯を並べて眺めてるだけじゃ、

 誰の生活も明るくならないでしょ」

 言われてみれば、その通りだった。

 灯というのは、本来、

 どこかの手元や足元を照らすためにある。

 胸の中や、

 輪の中心や、

 釜戸の上にばかり

 閉じ込めておいていいものではない。

 少年の鳩尾で、

 もうひとつの灯が静かに震えた。

 ——おれも、そろそろ“試して”みるか。

 そんな声が、

 かすかに、しかし確かに聞こえた気がした。

 

■影の輪の空席に、“試しに座った灯”が触れる

 夜、少年は影の輪へ向かった。

 輪の中心には、昨夜と同じように

 空席の椅子が置かれている。

 背もたれの影は、

 相変わらずそこにいて、

 誰かを支える準備だけを続けている。

 子どもたちは、

 空席の周りに少し距離を置いて座っていた。

 誰も、その席を「自分のもの」とは思っていない。

 誰のための席かも、

 はっきりとは決まっていない。

 ただ、

 そこに“灯が座るかもしれない”未来だけが

 ふわふわと揺れていた。

 少女が輪のふちにしゃがみ込み、

 少年を一度だけ見た。

「今日はね……

 節子、何も運んでこなかったよ」

 それはつまり、

 決めるのはおまえだということだった。

 誰かの影でも、

 誰かの痛みでもなく、

 少年自身の灯のこととして。

 少年は胸に手を当てた。

 鳩尾のあたりで、

 灯がゆっくり浮かび上がるように揺れた。

 怖くはあった。

 だが、

 釜戸の黒い輪を思い出すと、

 ここから一歩も動かないことのほうが

 妙に「寒々しい」気がした。

 少年は輪の中心へ歩み寄り、

 空席の前で立ち止まった。

 灯は、

 胸の奥でしゅるりと形を変え、

 骨と骨のあいだから

 ゆっくりと抜け出すようにして

 席のほうへにじんでいった。

 誰も歓声を上げなかった。

 誰も涙を流さなかった。

 ただ、

 空席のあたりの空気が、

 少しだけ温度を増した。

 灯は、

 完全には座らなかった。

 椅子の座面の上に、

 うっすらと光の輪郭を重ね、

 しかしまだ、

 いつでも胸へ戻ってこられるように

 半分だけ線を残していた。

 「試しに座る」というのは、

 そういう座り方なのだと少年は思った。

 少女が、

 声を立てずに笑った気配がした。

「それでいいよ。

 今日は、そのくらいでいい」

 背もたれの影は、

 あいかわらず何も言わなかった。

 ただ、

 灯が半分腰掛けた椅子の後ろで、

 そっと形を整え、

 もしも灯が倒れそうになったら

 受け止められるように

 気配だけを濃くした。

 少年の鳩尾は、

 空っぽではなかった。

 灯の一部は残っていたし、

 節子の灯も変わらず背中にいた。

 けれど、

 胸の奥にあいたわずかな空間に、

 冷たい風ではなく、

 新しい呼吸が入り込んでくるのを

 少年ははっきりと感じた。

 空席に試しに座った灯は、

 まだどこにも行っていない。

 ただ、

 胸の中だけではない「居場所」を、

 自分の体験として知っただけだ。

 それでも、

 世界は少し変わって見えた。

 焼け跡の夜空には、

 相変わらず星は少ない。

 だが、

 その少ない星のあいだから

 別の何かが覗いているように思えた。

 少年は輪の外縁に腰を下ろし、

 空席に半分だけ座った灯と、

 自分の胸に残る灯とを

 同時に感じながら、

 ——これぐらいなら、

  失敗してもまだやり直せるだろう。

 と、

 自分自身に向かって

 そっと言い聞かせた。

 節子の声は、

 その夜、

 最後まで何も言わなかった。

 代わりに、

 背中を押すでもなく、

 頭を撫でるでもなく、

 ただ、

 少年の後ろで

 静かに寄り添う

 影の温度だけが増していった。

第七十九章 灯の分け前──影が明るさを嫌わなかった夜

 翌朝、少年は、自分の胸が「少しだけ物足りない」感覚で目を覚ました。

 痛いほど空っぽではない。

 節子の灯も、背骨の奥でちゃんと揺れている。

 けれど、鳩尾のあたりには、

 昨日まであった“重さ”が、

 ほんの指一本ぶんだけ削られたように軽くなっていた。

 あわてて胸の奥を探ると、

 あの灯は、まだそこにいた。

 ——胸と、輪の椅子と、そのあいだ。

 どうやら灯は、

 夜のあいだに何往復かしたらしい。

 少年の胸と、

 影の輪の空席と、

 その二つを行ったり来たりしながら、

 どちらが“自分の分”なのかを確かめていたようだ。

 節子の灯が、背骨の奥でふっと笑った。

 ——どっちもおまえの分じゃないよ。

 ——灯の分は、灯のものだ。

 そう言っているような感触だった。

 少年は布団の中で、

 自分の指先をじっと見つめた。

 灯というものを、

 まるで自分の所有物のように握りしめていた日々が、

 急にくすんで見えた。

 ——あれは、節子の分。

 ——これは、灯自身の分。

 ——じゃあ、おれの分ってなんだ。

 問いを抱えたまま、

 少年は外へ出た。

 

■影の道に「半分だけ明るい線」があった

 校庭へ向かう影の道には、

 いつものように足跡と線が混じり合っていた。

 だが今日は、

 そのうちの一本が目に飛び込んできた。

 地面をなぞるように伸びた線の半分が、

 どことなく“明るい色”をしていたのだ。

 といっても、

 本当に光っているわけではない。

 乾いた土が、

 そこだけ少し白っぽくなっているだけ。

 けれど、

 見慣れた影の線の中で、

 そこだけがやけに軽く見えた。

 少女が後ろから来て、

 少年の視線の先を辿るようにしゃがみ込んだ。

「“灯の分け前”が通った線だね」

「分け前……?」

「うん。

 胸や輪に置かれた灯がね、

 自分の“明るさの何割か”だけ

 外へ持ち出して歩いた跡」

 少年は思わず聞き返した。

「全部じゃないのか?」

「全部持ち出したら、

 おまえの胸が真っ暗になるでしょう?」

 少女は線の暗い部分と、

 白っぽい部分を指でなぞってみせた。

「胸の中に残しておく分。

 輪の空席に座らせておく分。

 そして、外の誰かの足元を

 ちょっとだけ照らす分。

 灯も、自分の明るさを三つぐらいに分けて生きたいのよ」

 少年は言葉に詰まった。

 灯にだって、

 “配分”したい自由がある。

 誰か一人のためだけに燃えることを、

 灯が望んでいるとは限らないのだ。

 

■黒板の字が「分ける」と「奪う」の違いを突きつけた

 教室に入ると、

 黒板には今日の字が書かれていた。

 ■分

 子どもたちの何人かは、

 弁当でも配給でも、

 この字を見ると、とりあえず

 「足りない」ほうを思い出す癖がついている。

 教員は、それを見透かしたように

 チョークを持った手を一度止めた。

「今日は、“分ける”について考える」

 少年の鳩尾の灯が、

 自分の話をされているとでもいうように

 小さく揺れた。

「分ける、という字はな、

 本当は『奪う』とは違うんだ」

 教室に薄いざわめきが走る。

「戦争は『奪う』ばかりだった。

 配給も、役割も、命の数も。

 “足りないから取り合え”が合言葉だった。

 だが、本来の“分”は、

 自分の分を決め、相手の分も認めることだ」

 教員は黒板に、

 もう一つ短く書き足した。

 ——わけあう/うばいあう

「灯もそうだ。

 一つの灯を誰かが独り占めすると、

 他の場所が暗くなる。

 だが灯自身は、

 胸と、輪と、外と、

 自分の明るさをうまく分け合いたがっている」

 少年は胸に手を当てた。

 節子の灯も、自分の灯も、

 どこかで“分けられる側”として

 扱われてきた感じがして、

 急に申し訳なくなった。

「今日は、“本当は分けられたのに、奪ってしまったもの”を書け」

 教室の空気が、

 重たく、しかし逃げ場のない方向へ傾いた。

 少年は、

 震える手でゆっくりと書いた。

 ——節子が口をつけた粥を「全部食え」と言った夜

 少女も紙を見せた。

 ——母の肩の上の手を、

  妹に譲らなかった夜

 二人の文字は、

 灯や温度を“奪ってしまった側”の記憶に

 直に触れていた。

 胸の灯が、

 その悔いに薄く温度を添えて揺れた。

 

■炊き出しの列で「少し多く、少し少なく」のやり取りを見る

 昼、炊き出しの列へ向かうと、

 大鍋の前に立つ青年が、

 いつもより慎重に椀を傾けているのが分かった。

 若い母親の椀に、

 彼は少し多めに汁を注いだ。

 赤ん坊の口元まで見て、

 具の多いほうをそっと寄せる。

 その次の男の椀には、

 わずかに少なめに見えた。

 男は片眉を上げたが、

 怒鳴りはしなかった。

「……あっちに、二人分いるからな」

 自分の椀の中身を一瞥してから、

 小さくそう言った。

 多いほうも、

 少ないほうも、

 どちらも“自分の分”として受け取ったのだ。

 奪うのではなく、

 譲るのでもなく、

 分けるための納得がそこにはあった。

 少年の胸の灯が、

 そのやり取りに連動するように揺れた。

 ——おまえもさ、

 ——全部抱え込まなくていいし、全部手放さなくていい。

 節子の声が、

 どこか現実的な調子で聞こえた気がした。

 

■釜戸の前で「自分の分」を決める

 家に戻ると、

 釜戸の灰の上には、

 三つの小さな灯が揺れていた。

 一つは節子の灯。

 一つは、前に出てしまった灯。

 一つは、昨日消えたはずの灯と

 よく似た形の“跡から生えた灯”。

 そして、その少し離れたところに、

 ごく小さな“灯の破片”のような光が

 ちらちらと跳ねていた。

「あれは……?」

「“おまえの分”だよ」

 少女が言った。

「おれの?」

「胸から少しだけ抜けてきた灯。

 全部じゃない。

 おまえのほうが『出してもいい』と思った分だけ」

 少年は息を詰めた。

 灯は、

 自分の意思で試しに座ったのだと思っていた。

 だが、

 自分の側にも、

 「手放してもいいぶん」を

 あらかじめ決める動きがあったのかもしれない。

「怖いなら、それ以上は出さなくていいよ」

 少女は淡々と言った。

「怖くないなら、

 もう少し出してもいい。

 それを決めるのが、

 “おまえの分”」

 節子の灯が、

 背骨の奥で小さく頷くように揺れた。

 ——全部さし出すのが

 ——正しいわけじゃないからね。

 少年は、

 胸に残っている灯の重さを

 確かめるように目を閉じた。

 まだ、節子の声を胸の中で聞いていたい。

 まだ、自分の罪悪感のためにも灯が要る。

 その我儘を、

 正直に認めることにした。

「……当分は、このくらいでいい」

 自分自身にそう言い聞かせると、

 鳩尾のあたりに残った灯が

 「分かった」とでもいうように

 ほのかに熱を増した。

 

■影の輪で「明るさを嫌がらない影」を見る

 夜、影の輪へ向かうと、

 輪の中心の空席に、

 うっすらと光が宿っていた。

 昨夜と同じく、

 灯は半分だけ腰掛けている。

 しかし今夜は、

 椅子の座面だけでなく、

 背もたれの影のあたりまで

 うっすらと明るくなっていた。

 これまで影はいつも、

 灯の明るさを

 遠巻きに見ているだけだった。

 近づきすぎれば消されてしまうと

 警戒していたかのように。

 だが今、

 影は自分の輪郭を

 少しだけ崩すことを許している。

 光のせいで、

 背もたれの影の端が滲んでいる。

 子どもたちは誰もそれを指摘せず、

 ただその場に「居合わせて」いた。

 少女が輪のふちにしゃがみ、

 低い声で言った。

「節子、今日ね……

 明るさを嫌がらない影を、

 ここまで連れてきたよ」

 少年は輪の中心に一歩だけ近づき、

 椅子の横に膝をついた。

 灯は、

 胸から半分抜け、

 席へ半分座り、

 背後の影に半分寄りかかっている。

 どこにも「全部」はない。

 だが、それぞれの場所に、

 それぞれの“分”がある。

 少年の胸に残った灯の分。

 椅子に預けた灯の分。

 影に溶けていく灯の分。

 世界のどの場所にも、

 少しずつ明るさが割り振られている。

——いい分け方だよ。

 節子の声が、

 ようやくそこで聞こえた。

 責めるでもなく、

 褒めそやすでもなく、

 ただ、「それでいい」とだけ告げる声だった。

 少年は、

 自分の胸の“わがまま”と、

 灯の“自由”と、

 影の“受け入れ”が、

 三つ巴になって

 ひとつの夜を持ちこたえているのを感じた。

 星の数は相変わらず少ない。

 焼け跡の闇は、

 すぐにでも膨らんで人を呑み込みたがっている。

 それでも、

 灯の分け前が少しずつ増えていくかぎり、

 影は明るさを嫌がらなくなるかもしれない。

 少年は輪の外縁に戻り、

 背中を影に預けたまま、

 胸の灯に小さく問いかけた。

 ——今日の分は、これで足りるか?

 灯は、

 はっきりとした言葉にはならない揺れで答えた。

 足りないところもある。

 余っているところもある。

 でも、

 今夜の分としては、

 たしかに「ここにある」と言っていた。

 少年はその揺れを受け入れ、

 静かに目を閉じた。

 灯と影とが、

 互いの分を認め合う夜は、

 静かだが、確かに温かった。

(第八十章につづく)

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