佐藤愛子を模倣し、野坂昭如の「火垂るの墓」時代を題材にした完全オリジナル長編小説『灰の味――或る少年の季節』第十七章・第十八章

目次

第十七章 風と釜戸と、沈黙の取引

 朝の光は、薄紙のようだった。ふわりと、どこにも引っかからずに漂っているだけで、何も照らそうとしない光。照らさない光は、責任を負わない。光が責任から逃げるのなら、人間だって逃げていいのではないか──少年はそんなことを思ったが、その思考の馬鹿らしさに、すぐ眉を歪めた。光は逃げているわけではない。ただ存在しているだけだ。逃げるという概念があるのは、人間の方だけである。

 伯母は、雨水を染み込ませた鍋を、ゆっくりと釜戸の跡に置いた。釜戸は、もう釜戸ではなく、土と石と灰の奥に残った“暗い丸い穴”にすぎなかった。穴は、機能を失っても、形が残る。それでいい。形が残るということが、人間の記憶の支えになる。記憶は、事実より形を欲しがる。

「ここに置いておけば、風で乾くから」

 伯母の声は薄かった。消してはいけない声ほど薄くなる。声が薄いのは、遠慮ではなく、擦り切れだ。擦り切れた声は、強く叫ばなくても、意味が滲み出る。少年はうなずき、釜戸の前にしゃがんだ。しゃがむと、灰が膝に触れる。灰に触れると、どこか安心した。安心の理由は説明できない。ただ、自分が“まだ生き延びる土台”の上に居ることが確認できる。その確認だけで、十分だった。

 昼頃、壊れた市場の裏手で、人参の切れ端を拾った少女がいた。少女は、少年より少し背が低い。髪は煤で硬くなり、指先は裂けていた。少女は、その人参を食べるかどうか迷っているようだった。迷うこと自体が、贅沢だった。贅沢な迷いは、戦争の中で、ほんの短い時間だけ許される。少年は、少女に声を掛けようとしたが、やめた。声を掛けるというのは、そこに“自分の意思”を差し出すことだ。意思を差し出すと、戻ってくるものもある。それが怖かった。

 少女は、人参の先端を口に運んだ。噛む音は聞こえない。音がしないのは、歯が弱いからだ。弱い歯は、痛みを避ける。避けるために、優しく噛む。噛むというより、舌で押しつぶす。それが、食事だった。食事は、儀式の最後の形でしかない。

 少年は視線をそらし、倉庫の奥へ向かった。倉庫と言っても、屋根の半分は崩れ、壁は穴だらけだ。その穴から、午前と午後の境界の光が差し込む。光は、穴の形で変わる。四角い穴は、きつい光。丸い穴は、柔らかい光。裂けた隙間は、鋭い光。それぞれ、違う温度を持つ。

 倉庫の幽かな奥で、例の“骨の男”が座っていた。骨の男は、闇市では誰でも知っている。骨ばかりの身体だからではない。“骨”というあだ名は、彼の商売のせいだ。骨の男は、小さな骨を扱っていた。鳥の骨、魚の骨、時には、何の骨かわからないものまで。骨は出がらしだ。しかし、骨は出汁になる。出汁は、味を生む。味が生まれれば、人間は“生活している気”になれる。

「今日は何を持ってきた」

 男の声は低い。低い声は、人を急かさない。急かさない声は、取引に向いている。少年は布袋を開き、昨日拾った曲がったスプーンを取り出した。スプーンは、光を吸わない。吸わない金属は、眠っているようだ。眠っている物からは、沈黙が滲み出る。沈黙は、商品になる。

「これだ」

 少年はスプーンを見せた。骨の男は、それをしげしげと見る。

「……柔らかいな。煮溶けるかもしれん」

 少年は、男の言葉に“侮蔑”が混ざっていないことに、ほんの少し安堵した。侮蔑が無い世界は、短時間だけ存在する。取引の瞬間だけ。

「どうだ」

 男は、布の下から、小さな包みを取り出した。包みは、紙の手触りが柔らかい。柔らかい紙は、丁寧に扱われた証拠だ。少年が手を伸ばすと、男は紙を押し付けるように手渡す。その重さは贈り物ではない。“対価”である。

 少年は紙包みを開いた。中には、細い乾物──干し芋だった。甘さの記憶だけが残る味。甘さは、もう直接の甘さではない。甘さの亡霊のような味。それでも、人参よりはずっと“価値”があった。

「ありがと」

 少年は呟く。呟きは、礼ではない。礼は言わなくても伝わる。呟きは、ただ、自分の声を確認するための行為だ。自分の声が、まだ出るかどうか。出るなら、次の日も生きられる。

 伯母のところに戻ると、釜戸の穴の中に、流木のような枝が集められていた。枝は、火の骨だ。火の骨が集まれば、火が蘇る。蘇った火は、食事を産む。産んだ食事が、人をつなぐ。

「何か、手に入ったの?」

 伯母は尋ねる。声は、今日の光より少し強い。少し強い光は、弱い希望より心地よい。少年は、干し芋を見せた。伯母は目を細める。細めた目は笑っているように見えた。笑うという動詞は、戦争においては怪しい。笑いとは、皮膚の温度である。温度を外に出さないだけで、心の奥では、ほんの少しだけ、優しい温度が生まれている。

「よかったね」

 伯母はそう言い、干し芋を小さく切った。等分ではない。等分ではないのに、公平に見える切り口だった。公平とは、形ではなく、納得で決まる。

 夕方になると、風が出てきた。風は、乾いた灰を少しだけ運ぶ。灰は舞う。舞う灰は踊りである。踊りは儀式の前触れ。儀式は、希望の変形である。

 釜戸の穴に、点火した火が、弱く揺れた。揺れる火は、呼吸のようだ。呼吸のような火は、食べ物を煮る。煮ることで、生活は薄く延命する。

 夜、伯母は釜戸の前で言った。

「……あなたは、生き延びるよ」

 少年は、それに返事をしなかった。返事は、約束を意味する。約束は、未来を前提とする。未来を前提にすると、心が壊れる。

 少年は、火が揺れる釜戸の穴を見つめた。穴の奥には、火を灯すために集めた枝がある。枝は、燃えれば灰になる。灰は、また明日も膝に触れる。

 それでいい。

 明日も、灰に触れれば、それが生活になる。

 生活は、呼吸の別名だ。

 生き延びるとは、灰と火を、ただ、次の日へ受け渡すことだ。

第十八章 雨と背骨と、言葉の所在

 雨は、予告もなく落ちてきた。空が考えたわけではない。ただ落ちると決めたのだ。決めるという動詞は、人間だけの特権だと思っていたが、雨にもあるらしい。あるいは、少年の思い込みがそうさせているだけか。思い込みは、現実の代理人だ。現実は、しばしば外注される。

 瓦礫の隙間から、小さな水路が生まれる。生まれるという言葉が似合うほどの可愛い水流ではないのに、そう呼びたくなる。呼びたい理由は、名前を貼ってしまえば“理解した気”になれるからだ。“理解した気”は、最も簡単な麻酔である。麻酔が効いているあいだ、人間は自分の傷を見なくて済む。

 伯母は、釜戸跡の前で、濡れた薪を乾かそうとした。しかし、乾かそうとする行為が、もう無駄に見えるほど、雨は飽和している。飽和という言葉は、雨に似合う。飽和は、理解していない量の上に成立する。分かったふりをしたまま、ものごとを過剰に受け取る。人間は飽和しやすい。雨も飽和しやすい。だから、戦時の雨は、心まで濡らす。

 少年は、雨の音に混じる、人の声を聞いた。裂けた壁の向こうから、二人の声が聞こえる。息を押し殺すような囁き声。囁き声は、秘密の形をしている。秘密は、保温性の高い布のようだ。秘密は、包まれると静かになる。静かになった秘密は、毒にもなるし、薬にもなる。

 雨が強くなると、秘密は音に紛れる。紛れた秘密は、雨に洗われ、また新しい形で露わになる。露わになる瞬間、人間は迷う。迷うときこそ、言葉が裂ける。裂けた言葉は、修復できない。修復できない言葉は、生き残り続ける。戦争よりも長生きする。

 午後、闇市の影に人だかりができた。雨宿りのためだ。屋根の残り片の下で、濡れた人々は、互いの存在を確認し合う。確認し合うとき、人は無言になる。無言の視線が、人々の背後に“私たちはまだ、ここにいる”という痕跡を刻む。痕跡とは、署名のようなものだ。署名を残しておけば、生きていた、と言える。

 少年もそこにいた。濡れた布袋を抱きかかえ、ひざの上に載せた。袋の中には、昨日の干し芋の残りがある。残りというのは、いつでも神聖だ。最初よりも、残りのほうが神聖になる。残りは、希望を吸っているからだ。希望を吸ったものは、おいしい。おいしいという感覚は、常に残りのほうに宿る。

 闇市には、雨のときだけ現れる男がいる。誰も名前を知らない。名前は、あってもなくても良い。重要なのは、その人が“雨のときだけ現れる”という行動の癖だ。その癖が、男を男たらしめる。存在とは、行動の反復だ。少年は、その男を“雨の人”と呼んだ。

 雨の人は、濡れた袖から、小さな包みを出す。包みの紙は、しっとり濡れて膨らんでいる。その紙の膨らみが、満腹の表情に見えた。満腹の表情は、安心の代役である。安心の代役を手に入れると、人は急に弱くなる。弱さは、なぜか美しい。

「ほしいか?」

 雨の人は、少年の目を見た。少年は、目をそらさなかった。そらさないということは、意思を表明する行為だ。意思は、戦争中では貴重な贅沢品だ。少年は、返事をしなかった。返事をしないことが、意思の形になることもある。

 雨の人は、紙包みを指さした。その仕草には、所有の重みがあった。所有という概念は、戦争中の人間には、ほぼ失われている。それでも、紙包みを持つ人は持つ。持つ者と持たざる者の境界は、雨の日に最もくっきりする。

 突然、少女の声がした。昨日、人参を噛んでいた少女だ。彼女は、雨の人の袖を掴んだ。その掴む指は細い。細い指には、焦燥が宿る。焦燥は、熱の別名である。

「お願い」

 少女は、小さな声でそう言った。お願いという動詞は、世界の全てを縮める。縮めた世界で、人間は膝を折る。膝を折ると、祈りになる。

 雨の人は、少女の目を見つめ、包みを開いた。中には、小さな魚の骨が二本だけ入っていた。魚そのものは、もうどこにもない。骨だけが残る。骨だけでも、出汁がとれる。出汁がとれれば、味が生まれる。戦争中は、味の存在が人格の代わりである。味を持つ者は、人間をもう一度“普通の形”に戻す権利を得る。

 雨の人は、骨を少女の手に乗せた。少女は黙ってうなずいた。うなずくという動作は、受諾の記号だ。受諾は、諦めではない。そこには、まだ薄い希望が滲んでいる。少年は、その希望の滲み方を観察していた。滲み方の形が、雨と似ていると思った。

 夕方、雨は止んだ。止んだ瞬間、戦争が止んだような錯覚があった。錯覚は、真実の仮面だ。仮面が剥がれたとき、人は本当の現実に再び気づく。

 伯母は、釜戸の穴の中に、湿った薪を置き直した。釜戸は、家の背骨だ。背骨が折れても、背骨の形は残る。残る形に、火を入れれば、家は再び家になる。家の定義は、火である。火があれば、人は家だと思い込める。思い込みは、しばしば救済になる。

 少年は、その火を見つめた。火は、昨日の火とは違う。違うくせに、似ている。似ているものは、同じものだと判断される。判断される前に、人は自分で納得する。納得というのは、感情の折り畳みだ。折り畳んだ感情は、翌日まで持ち運べる。

 夜、風が強くなった。風は、濡れた灰を巻き上げる。灰が宙に舞うと、空が曖昧になる。曖昧な空は、人を眠らせる。眠りは、忘却の実践である。

 少年は、眠る直前に思った。

 “明日は、何が残るのか”

 残るものが何か分からないまま、人は明日に向かう。

 残るものは、いつでも人を試す。

 試されてもなお、少年は、ただ灰の上に呼吸を預けた。

 灰は、人を選ばない。

 だから、灰の上で生き延びることは、敗北ではない。

(第十九章につづく)

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