三島由紀夫を模倣し「太宰治」を題材にした小説『懺悔記』第五章・第六章

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第五章 勝利という名の敗北

 私は太宰に勝った――と、思った。

 ある日、私はふと気づいたのだ。あの湿った夢も、血のような原稿も、狂気に手を染めた数日間の筆致も、それらすべてが一つの転回点を画していた。私は初めて、太宰の“内側”に入った。いや、正確には彼の内側にある“闇の中心”を一瞬、指先で触れたのだ。そして、そこには“何もなかった”。

 彼は空虚だった。

 空虚が言葉の仮面を被って、文学の名を騙っていた。彼の作品に血があったというのは嘘だ。あれは“血の色をした水”に過ぎなかった。腐臭の正体は、死そのものではなく、死を演出する演技者の汗だったのだ。

 私は笑った。私は太宰に勝った。彼の影を突き抜けて、向こう側に出た。そこには誰もいなかった。ああ、なんと澄み渡った世界であろう。私は光に満たされた部屋に独り立ち、原稿用紙に言葉を綴った。その文章は完璧だった。隙がなかった。比喩は鋭利で、構造は凛然としていた。魂の全容がここにあると錯覚させるほど、文章は精緻に組まれていた。

 そして何より、私自身が、美しかった。


 その原稿を持って、私は編集部へ向かった。初春の東京には、まだ冬の残り香があったが、陽の気配は柔らかく、銀座のガラス窓には新作のコートが飾られていた。

 編集者は原稿を受け取ると、しばし沈黙の後、顔を上げて言った。

 「すごいですね……今度の作品、完全に“太宰”を乗り越えてます」

 私は、軽く首を傾げて微笑んだ。

 彼は続けた。

 「まるで、太宰が書けなかった“解決篇”を読んでいるようです。あの人がついに言葉にしなかった絶望の先、それを書いている……いや、そこに立っている、というべきかもしれませんね」

 私は、その言葉に充足を覚えた。

 ついに私は勝ったのだ、と。


 だが、奇妙なことが起きた。

 その作品が文芸誌に掲載されたあと、読者の反応が妙に薄かったのである。批評家は称賛した。文壇は静かに頭を垂れた。だが、読者――あの、太宰を愛し、太宰に傷を舐めてもらった大衆たちは、私の作品に反応しなかった。

 手紙は少なかった。掲載誌の販売部数にも変化はなかった。若い学生や女学生たちは、喫茶店で太宰の文庫を開きながら、私の名前には反応を示さなかった。

 私の“勝利”は、彼らには何の意味もなかった。

 そのとき、私は理解した。

 私は太宰に勝ったのではない。太宰の“読者”を失ったのだ。


 ある日、古本屋で一冊の『斜陽』を手に取った。頁の隅に、青いインクで線が引かれていた。

 ――「人間というのは、どうしてこんなにもかなしく、おろかしいのかしら」

 その青い線に、私は立ちすくんだ。それは文学ではなかった。技巧でも、構成でもなかった。ただの感情だった。ただの、孤独なため息だった。

 けれど、それが読者を救っていた。

 私は自問した。私の文章に、“ため息”はあるか? 人が共鳴するほどの、無防備な独白があったか?

 なかった。

 私はあまりに鎧を着すぎた。あまりに高みに登りすぎた。太宰を斬るために鍛え上げた文体は、もはや人間の言葉ではなかった。


 その夜、私は鏡の前に立った。

 そこには、かつて太宰を否定した青年の顔があった。だがその瞳は、太宰の写真に写るそれと酷似していた。虚無。滑稽。疲労。そしてどこか、他者の視線に甘えるような自己陶酔。

 私は、自分が彼に似てきていることを認めざるを得なかった。

 いや、違う。

 私は、最初から彼だったのだ。

 彼に似ていたのではない。彼の影に、最初から包まれていたのだ。自分が勝ったと思った瞬間にこそ、最も深く彼に屈していたのだ。

 そう考えたとき、私は震えた。あの勝利は、幻想だった。敗北の仮面を被った栄光だった。太宰に勝った、と思ったその瞬間に、私は完全に太宰の構造に取り込まれていた。


 私は再び、机に向かった。

 今度は、書けなかった。

 ペンを握る手が震えた。あれほど流れた言葉が、今は滞り、沈黙し、沈んでいく。私は、書くことの恐怖を知った。太宰が毎晩その恐怖と闘っていたことを、今になって知った。

 そして思う。

 太宰の文学は、敗北を隠さない文学だった。無様であることを誇る文学だった。汚辱と醜態に耐えながらも、なお“美”を愛する、その矛盾の中にこそ、真実があった。

 私は、美しすぎたのだ。あまりに清潔すぎたのだ。

 だから、読者に届かなかった。


 ある雨の日、神田の古書店で、若い男が太宰の文庫を手にしていた。私は彼に話しかける気になれなかった。だが、彼がその本をレジに運ぶ背中を見たとき、私は思った。

 太宰はまだ生きている。私がどれほど彼を否定しようと、彼の死は“共有された死”だった。万人の敗北であり、万人の懺悔だった。

 私は孤独すぎた。ひとりで勝とうとしすぎた。だから、誰も私の勝利を祝福しなかった。


 夜、雨が窓を叩く音の中で、私は新しい原稿を開いた。

 今度こそ、書こうと思った。敗北を。無様を。太宰の影に寄り添ったまま、それでもなお“別の声”で語る方法を。

 勝とうとするな。

 ただ、書け。

 私はそう自らに命じた。そして、ひと文字ずつ、まるで血を搾るように、言葉を書き始めた。

 それは、ようやく始まった“私の文学”だった。

第六章 沈黙の修辞法

 筆は重かった。

 以前の私は、文章を書くたびに、自分の内部に拡がる何らかの高貴な回路に触れているような錯覚を覚えていた。言葉は私の手を通じて、天の理念を地に降ろす役目を果たすようにさえ感じられた。しかし今、その理念は沈黙していた。言葉はもはや聖霊の化身ではなく、ただの肉体となった。軋み、湿り、腐りゆくものとして、私の前に横たわっていた。

 いや、違う。

 私が“生きている”と錯覚していたのは、むしろかつての方だったのだ。


 私は再び、太宰治の死について考えた。

 玉川上水に沈んだ彼の身体。発見されたのは十数日後であった。梅雨の水を吸い込み、彼の肉体は膨れ、腐敗し、最早「文豪」とは呼べぬ有様だった。だがその肉体が腐る前に、彼の“言葉”はもう読者の体内に沁み込んでいた。

 なぜ彼は死なねばならなかったのか。

 なぜ私たちは、死によってしか文学を信じられないのか。

 私は、死なずに残された者として、その問いに答えねばならなかった。


 ある日、私は国立国会図書館に赴いた。

 太宰の直筆原稿を閲覧するためである。係員に申請書を出し、古い封筒に包まれた褪せた紙束を前に置かれたとき、私は背筋を正した。

 文字は乱れていた。漢字と仮名が混じり、所々に赤鉛筆の修正が施されていた。筆圧は場所によって激しく異なり、まるで太宰自身が呼吸しながら書いているようだった。ある一行など、三度も書き直され、その度に文末が変わっていた。

 「生きることは、恥の連続だ」

 「生きることは、他者の憐憫を請うことである」

 「生きることは、文学に似ている」

 彼は何を選びたかったのか。どの言葉が最も正しかったのか。いや、そんなものはない。彼は“選べなかった”のだ。だからこそ、あのように死を選ぶしかなかったのだ。

 私はペンを握りしめた。

 太宰の死は、選択ではなかった。それは逃避でもなかった。それは、言葉が選び得なかった最後の沈黙だったのだ。


 私にはまだ時間がある。死ぬには早い。死を文学化するには、生があまりに濃密である。

 しかしその濃密な生を、どうやって書けばよいのか。

 私は再び、日々の生活の中に言葉の端緒を探した。駅の構内、満員電車の中、百貨店のエレベーター、タバコの煙が舞う喫茶店、昼下がりの神保町。私は沈黙の中に潜む言葉を聴こうとした。誰にも語られなかった感情、誰も文章にしなかった疲労。そうしたものに耳を澄ました。

 しかし、言葉は簡単には姿を現さなかった。

 代わりに、私の中で一つの声が芽生えた。

 それはかつての私でもなく、太宰でもない、第三の声だった。理性と感傷の狭間で産声をあげたその声は、まだ輪郭が曖昧だったが、確かに存在した。


 ある晩、私は夢を見た。

 そこにはもう太宰はいなかった。代わりに、机の前に座る老年の自分がいた。窓の外には雪が降っていた。老人は静かに原稿用紙に万年筆を走らせていた。まるで呼吸をするように、言葉を刻んでいた。

 その原稿は、私がこれから書くべき“未来の文章”だった。

 老人は一度も私を見なかった。だが私は理解した。彼は、いずれ私がなり得る存在なのだ。

 目が覚めたとき、私は涙を流していた。

 それは悔しさでも、感動でもない。自らの“未熟”を肯定するしかないという哀しみだった。


 私は再び机に向かった。

 今度の原稿には、かつてのような技巧も衒いもなかった。私は自分が失敗した恋のことを書いた。恥ずかしく、みっともなく、救いようのない話だった。だが、その失敗の中に、言葉は微かに光った。太宰がそうであったように、私は自らの“みじめさ”を肯定しながら、初めて“私”を語った。

 誰かに伝える必要はなかった。ただ、書く。それが私の贖罪であり、祈りであった。


 ある日、古い友人が私の原稿を読んだ。

 彼は、目を細めて言った。

 「これは……あなたの声だね」

 それだけだった。だが、その言葉は、過去のどの賛辞よりも私の胸に響いた。

 “私の声”――それこそ、太宰が最後まで掘り続けた鉱脈であり、私がようやくたどり着いた原点だったのだ。


 その夜、私は部屋の明かりを落とし、窓の外を眺めた。月が白く、静かに街を照らしていた。私はもう、太宰に勝とうとは思わなかった。彼の死を真似ようとも思わなかった。ただ、私の中の“書き手”としての命が、細くとも灯っていることを、慈しんでいた。

 そして私は、そっと自らに告げた。

 「私は、生きて書く」

(つづく)

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