司馬遼太郎を模倣した小説『蒼穹の翼ー山本五十六伝ー』第八章・第九章

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第八章 暁の雷鳴

 昭和十六年(一九四一年)、秋。

 山本五十六は、連合艦隊司令長官として、

 新たな作戦計画に取り組んでいた。

 

 それは、かつてない大胆な作戦だった。

 ――真珠湾奇襲。

 アメリカ太平洋艦隊の主力を、一挙に叩く。

 それによって、戦争を短期で終わらせる。

 

 それ以外に、日本が生き残る道はない。

 五十六は、そう考えていた。

 

 だが、内心では葛藤していた。

 

 (果たして、これで本当に日本は救われるのか)

 

 彼は知っていた。

 この一撃が、アメリカの憤怒を呼び起こすことを。

 そして、それがどれほど恐ろしい結果を招くかを。

 

 だが、開戦が不可避となった以上、

 打ち破るべきは、敵の「意志」である。

 

 彼は、作戦会議の席上、幹部たちに厳しく告げた。

 

 「戦端を開くなら、敵を徹底的に叩くしかない。

 生ぬるい攻撃では、我々は地獄を見ることになる」

 

 会議室には、張り詰めた緊張が漂った。

 

 奇襲作戦には、多くの反対意見もあった。

 

 「距離が遠すぎる」

 「空母が敵に見つかれば全滅する」

 「そもそも奇襲など、卑怯だ」

 

 だが、五十六は断言した。

 

 「生き延びるために、手段を選んではならぬ。

 勝たねば、国も民も守れぬのだ」

 

 彼の声には、一片の迷いもなかった。

 

 こうして、真珠湾攻撃作戦は本格的に動き出す。

 五十六は、連日、空母機動部隊の訓練を視察した。

 零式艦上戦闘機(ゼロ戦)、九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機。

 若き搭乗員たちは、彼の厳しい眼差しの下で鍛えられていった。

 

 ある日、訓練基地で若きパイロットが尋ねた。

 「司令長官、必ず勝てますか?」

 

 五十六は、一瞬、言葉に詰まった。

 

 やがて、静かに答えた。

 

 「開戦から半年、せいぜい一年は、思うように暴れられるだろう。

 だが、それ以降は……私は保証できない」

 

 若者は、愕然とした顔をした。

 

 だが、五十六は敢えて続けた。

 

 「それでも、やらねばならぬのだ。

 国を背負うとは、そういうことだ」

 

 秋が深まり、冬が近づく。

 

 真珠湾への航海日程が、密かに決定された。

 

 作戦名「Z作戦」。

 攻撃日は、十二月八日(日本時間)。

 

 五十六は、最後の命令書にサインをしたとき、

 深く、静かに、目を閉じた。

 

 (これが、私の最後の戦いになるかもしれぬ)

 

 その覚悟を、胸に刻んだ。

 

 十一月末、奇襲部隊――第一航空艦隊は、

 静かに、北方の荒れた海へ向けて出港した。

 

 「トラ・トラ・トラ」

 

 それは、奇襲成功を告げる暗号である。

 

 だが、まだ誰も知らなかった。

 

 この一撃が、

 世界の歴史を、いかに大きく変えることになるかを――。

第八章ー完ー

第九章 暁に死す

 昭和十六年十二月八日(日本時間)。

 夜明け前のハワイ・オアフ島。

 

 静寂を引き裂く、無数のエンジン音が、

 真珠湾の上空を覆った。

 

 零戦、九九艦爆、九七艦攻――

 第一波攻撃隊は、空から、海から、怒涛のごとく押し寄せた。

 

 「トラ・トラ・トラ!」

 

 暗号電文が、日本艦隊へと発信された。

 ――奇襲成功。

 

 湾内に停泊していた米太平洋艦隊の主力は、

 次々と爆撃され、炎上した。

 

 戦艦アリゾナ、オクラホマ、ウェストバージニア――

 誇るべき鋼鉄の巨艦たちは、あっけなく沈んでいった。

 

 港には黒煙が立ちこめ、

 地面には逃げ惑う兵士たちの悲鳴がこだました。

 

 まさに地獄絵図であった。

 

 一方、遥か離れた日本・呉の連合艦隊司令部では、

 山本五十六が、静かにその報告を聞いていた。

 

 参謀が興奮した声で告げる。

 「成功です! 艦隊は壊滅状態とのこと!」

 

 五十六は、わずかに頷いた。

 だが、彼の表情には、笑みはなかった。

 

 「やったな……」

 

 その呟きには、喜びではなく、重苦しい覚悟が滲んでいた。

 

 (これで、アメリカは必ず立ち上がる)

 

 それが、彼には分かっていた。

 

 アメリカという国は、

 打たれれば打たれるほど、強くなる。

 

 今は混乱し、怒りに震えているだろう。

 だが、必ず、冷徹に、巨大な報復の刃を振るう。

 

 五十六は、そこまで見通していた。

 

 だからこそ、作戦を立案する段階から、

 「短期決戦」を主張し続けていたのである。

 

 奇襲に成功しても、

 長期戦になれば、必ず日本は力尽きる。

 

 それが、彼の確信だった。

 

 だが、国内の空気は違っていた。

 

 政府も軍部も、国民も、

 真珠湾の大戦果に酔いしれた。

 

 「大勝利だ!」

 「鬼畜米英を叩き潰せ!」

 「この勢いで南方も制圧せよ!」

 

 新聞は連日、戦勝ムード一色だった。

 

 五十六は、ただ黙ってそれを見つめていた。

 

 (勝ったと思ったときこそ、負けが始まる)

 

 そう心の中で呟きながら。

 

 その夜、彼は側近と密かに語った。

 

 「私は、これからの一年間、死ぬ気で戦う。

 だが、その先は……神のみぞ知る、だ」

 

 側近は、言葉を失った。

 

 五十六は、覚悟を固めていた。

 

 開戦の引き金を引いた以上、

 もはや、途中で投げ出すわけにはいかない。

 

 彼の双肩には、

 三千万人の民の命運がかかっていた。

 

 数日後、彼は全艦隊将兵に訓示を発した。

 

 「皇国の興廃、この一戦にあり。

 各員、粉骨砕身、勇戦奮闘せよ!」

 

 その声は、静かだった。

 だが、全身全霊を賭けた、叫びだった。

 

 こうして、

 日本とアメリカとの全面戦争が始まった。

 

 長い、果てしない、消耗の戦いが――。

第九章ー完ー

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