司馬遼太郎を模倣した小説『蒼穹の翼ー山本五十六伝ー』第六章・第七章

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第六章 空母の夢

 軍縮の時代、

 日本海軍は、静かに、だが確実に変貌を遂げつつあった。

 

 大艦巨砲主義の終焉。

 それを誰よりも早く予見し、

 新たな戦い方を模索していた男こそ、山本五十六であった。

 

 彼は、航空部門の要職に就き、

 空母を中心とした新しい艦隊構想を提唱し始めた。

 

 「空母中心の艦隊編成など、妄想だ」

 「海戦は戦艦同士の砲撃戦で決まる」

 

 海軍上層部のほとんどは、嘲笑した。

 

 だが、五十六は屈しなかった。

 

 彼は、日本初の正規空母「鳳翔」の建造に深く関わり、

 さらに「赤城」「加賀」など大型空母の設計にも助言を与えた。

 

 五十六には、明確なビジョンがあった。

 ――空からの一撃で、敵艦隊を無力化する。

 ――空母こそ、未来の主役となる。

 

 だが、孤独だった。

 

 航空主兵論を唱えるたびに、彼は組織内で疎まれた。

 古参の軍人たちは、変化を恐れ、五十六を異端者扱いした。

 

 「山本は、アメリカかぶれだ」

 「机上の空論で海戦は勝てぬ」

 

 陰口は、五十六の耳にも届いていた。

 

 それでも、彼は微笑みながら、応えた。

 「時代が変われば、戦い方も変わる。

 変わらぬものに未来はない」

 

 この頃の五十六は、極めて忙しかった。

 航空技術の研究、搭乗員の育成、空母戦術の試案。

 彼は寝食を忘れて働いた。

 

 同時に、後進の育成にも心を砕いた。

 

 ある若い航空士官が、訓練中に墜落して死亡した夜、

 五十六は、静かに弔辞を捧げた。

 

 「空を目指した者には、必ず空の神が微笑むとは限らない。

 だが、その志は、必ず未来へと受け継がれる」

 

 彼の言葉に、訓練生たちは涙を堪えた。

 

 五十六は、単なる技術者ではなかった。

 彼は、時代を動かすための”信仰”を持っていたのである。

 

 昭和の初め、日本は徐々に軍国主義に傾きつつあった。

 満州事変。国際連盟脱退。

 軍部独裁の足音が、日々大きくなっていった。

 

 五十六は、内心で危惧していた。

 

 (このままでは、日本は間違いなく破滅する)

 

 だが、彼にはまだ、国の舵を取る力はなかった。

第六章ー完ー

第七章 孤高の決断

 昭和十四年(一九三九年)、

 欧州ではすでに戦火が燃え広がっていた。

 ドイツ軍がポーランドに侵攻し、

 イギリス、フランスはドイツに宣戦を布告した。

 世界は、再び混沌の渦に巻き込まれつつあった。

 

 その中で、日本もまた、大きな岐路に立たされていた。

 

 政府、軍部の中枢では、

 ドイツ、イタリアと同盟を結び、

 「枢軸国」として世界に挑む構想が浮上していた。

 

 日独伊三国同盟である。

 

 軍部内部の大勢は、同盟締結に傾いていた。

 ドイツの電撃的な勝利に酔いしれ、

 欧米列強への対抗心を募らせていたのである。

 

 だが、ただ一人、

 この動きに真っ向から反対した男がいた。

 山本五十六である。

 

 彼は、同盟推進派に囲まれながら、静かに言った。

 「ドイツと組めば、必ずアメリカと戦うことになる。

 それは、この国にとって自殺行為だ」

 

 周囲は驚き、反発した。

 「ドイツの勝利は間違いない」

 「アメリカなど腰抜けだ」

 

 だが、五十六は譲らなかった。

 

 彼には、アメリカという国の底知れぬ実力が見えていた。

 

 国土の広さ。

 工業力。

 国民精神の粘り強さ。

 

 表面上はいかに無秩序に見えようとも、

 いざとなれば、アメリカは巨大な戦争機械と化す。

 

 それに比べ、日本はあまりにも小さく、脆かった。

 

 (いま戦えば、日本は負ける)

 

 それが、彼の確信だった。

 

 だが、彼の声は、

 軍部の高揚感にかき消されていった。

 

 「山本は臆病者だ」

 「時勢を読めぬ老いぼれだ」

 

 陰口は日増しに酷くなった。

 命の危険すら囁かれた。

 

 海軍次官という要職にありながら、

 五十六は深く孤立していった。

 

 ある夜、官邸に呼び出された五十六は、

 上層部から事実上の”更迭”を告げられた。

 

 表向きは、連合艦隊司令長官への就任――

 だが、それは追い出しに等しい人事だった。

 

 彼は、静かにそれを受け入れた。

 

 そして、部下たちに向かって、こう告げた。

 「これからは、私に従う者は、すべて命を賭ける覚悟をせよ。

 空母を主軸とした戦い方を、実戦で証明する。

 だが、最後まで生き残るとは思うな」

 

 部下たちは、その言葉の重みを、全身で受け止めた。

 

 このとき、

 山本五十六、五十五歳。

 

 彼は、己の運命を悟っていた。

 

 時代は、もはや止められない。

 日本は、必ず、アメリカと戦う。

 

 そのとき、自らがどうあるべきか――

 その答えは、彼の中ではっきりしていた。

 

 「死して、国を守る」

 

 それが、山本五十六の最後の使命だった。

 

 その夜、五十六は、長年愛用してきた葉巻に火をつけ、

 静かに夜空を仰いだ。

 

 星は、かすかに瞬いていた。

 

 彼は、ひとりごちた。

 

 「日本は、まだ、捨てたものではない」

第七章ー完ー

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