第四章 空への眼
大正三年(一九一四年)、ヨーロッパで大戦が始まった。
世界を巻き込む火薬庫――第一次世界大戦である。
日本もまた、日英同盟を口実に、ドイツに対して宣戦布告した。
山本五十六は、連合艦隊所属の巡洋艦「磐手(いわて)」に乗艦し、南洋諸島の警備任務に就くこととなった。
戦いは意外なほど静かだった。
太平洋の島々では、ドイツ人たちは抵抗らしい抵抗もせず、日本の支配下に置かれていった。
だが、五十六にとって、この静かな大戦は、後に大きな意味を持つこととなる。
彼は、初めて「航空機」という存在に接したのである。
それは、南洋の島でのことだった。
ドイツ軍が偵察に使っていた、原始的な複葉機を、五十六は捕獲した。
木と布で作られた、小さな飛行機。
(これが……空を飛ぶのか)
五十六は、壊れかけた機体の下に立ち、まじまじとそれを見上げた。
翼は心もとなく、エンジンも頼りなげだった。
だが、彼は直感した。
――この力は、いずれ戦いの姿を根底から変える。
海軍において、航空機などまだ玩具同然と見なされていた時代である。
だが、五十六は、機体に手を触れながら、確信していた。
(これからは、空だ)
彼は自ら志願し、海軍航空部に転じる決意を固めた。
帰国後、五十六は、海軍航空学校への入校を願い出た。
上官たちは一様に首をかしげた。
「なぜ、わざわざ危険な道を選ぶ?」
「まだ海軍航空など、ものになるかどうかも分からんのだぞ」
だが五十六は、静かに答えた。
「だからこそ、今、学ばねばならないのです」
大正七年(一九一八年)、彼は日本海軍初の航空士官の一人として、正式に認められた。
訓練は苛烈を極めた。
操縦技術、航空工学、気象学。
すべてが未開拓の分野だった。
不時着事故は日常茶飯事で、死者も少なくなかった。
五十六も、何度か墜落しかけた。
だが彼は、炎上する機体から這い出し、泥だらけになりながらも笑った。
「空の神様も、そうやすやすとは人を殺せないらしい」
彼は、ただ飛ぶために飛んでいたわけではない。
空母という新しい兵器体系を、日本に根付かせるための布石を打っていたのである。
「艦隊決戦の時代は終わる。
これからの海戦は、航空機が制する」
当時、そう考える者は、海軍の中でもほんの一握りしかいなかった。
主流は、いまだに大艦巨砲主義。
巨大な戦艦同士の殴り合いこそが、戦争の華だと信じられていた。
五十六は、孤独だった。
だが、彼は怯まなかった。
ある日、訓練帰りの夜。
滑走路に寝そべり、満天の星を見上げながら、五十六はひとりごちた。
「この空を制する者が、やがて世界を制する」
彼の中には、確固たる未来図があった。
それは、己の名誉のためでも、野心のためでもない。
国を守るためだった。
己が愛する日本という、小さな島国を、嵐の中から救うためだった。
やがて五十六は、航空本部で要職に就く。
日本初の正規空母「鳳翔」の建造にも関わり、
新たな海戦の時代を、日本に導こうと努力を続けた。
だが、彼の前には、またしても立ちはだかるものがあった。
古い海軍の体質である。
栄光を夢見る老将たち。
威信と伝統にしがみつく軍閥たち。
五十六は、心の中で苦笑した。
(人が最も恐れるのは、変わることだ)
だが、変わらねばならない。
変わらねば、この国は、また滅びる。
彼の目は、遠く太平洋の向こうを見つめていた。
そこには、かつて学び、驚き、恐れたアメリカの姿があった。
巨大な海軍力。無尽蔵の資源。自由と混沌の国。
やがて、避けがたく、日本とアメリカは衝突するだろう。
そのとき、勝敗を分けるのは、空であり、航空機であり、知恵である。
山本五十六、三十代。
空とともに歩み始めた彼の運命は、
まだ誰にも、見えてはいなかった。
第四章ー完ー
第五章 軍縮の海
大正十年(一九二一年)、
山本五十六は、海軍代表団の一員としてワシントンへ赴いた。

目的は、世界の海軍力を制限するための国際会議――
ワシントン軍縮会議への出席であった。
この頃、世界は疲弊していた。
第一次世界大戦の傷跡は深く、各国とも軍備拡張に限界を感じ始めていた。
アメリカも、イギリスも、フランスも。
そして、日本も。
だが、軍縮とは、単なる武器の削減ではない。
それは、国家の誇り、国民感情、未来への賭けをも含んだ、繊細な駆け引きだった。
五十六は、アメリカ滞在経験者として重用された。
彼の語学力と国際感覚は、海軍内でも群を抜いていた。
会議は、苛烈を極めた。
日本に対し、アメリカは提案する。
――戦艦の保有比率、
アメリカ:イギリス:日本=5:5:3。
つまり、日本は米英に対し、常に劣位に甘んじることを要求されたのである。
会議場に響く各国代表たちの鋭い議論。
そして、静かに睨み合う、無言の圧力。
五十六は、冷ややかな視線でそれを見ていた。
(力なき国に、発言権はない)
それが、彼がアメリカ滞在中に痛感した冷酷な現実だった。
だが一方で、五十六は分かっていた。
いま無理に拡張を図れば、日本は間違いなく滅びる。
経済も、外交も、すでに限界に近づいていたからだ。
軍縮を呑まねばならない。
それは、苦渋の決断だった。
しかし――日本国内には、軍縮反対の声が高まりつつあった。
新聞は煽った。
「屈辱的条約」「亡国の軍縮」
国民の感情も沸騰した。
特に、海軍内部の反対派たち――「艦隊派」と呼ばれる勢力は、五十六たち「条約派」を売国奴呼ばわりした。
五十六は、帰国後、激しい非難を浴びた。
演説の壇上、彼は静かに語った。
「国を守るとは、ただ銃や砲を揃えることではない。
国を滅ぼさぬためには、時に引く勇気もまた、武士の道であると信じます」
会場に、冷たい沈黙が流れた。
だが、五十六は譲らなかった。
彼の目には、軍艦の数ではなく、
国家の総力、経済力、国民の暮らし、そういった”見えない戦力”こそが、未来を決する鍵であると映っていたからだ。
海軍内での立場は微妙なものとなった。
軍縮賛成派=条約派として、彼は孤立し始める。
それでも、五十六は歩みを止めなかった。
彼はやがて、海軍航空本部に異動となり、
再び、空の時代を切り拓くための任務に没頭することになる。
だが、その胸の奥には、
すでに深く、消えぬ影が落ちていた。
(この国は……この国は、どこへ向かうのだろうか)
それは、山本五十六という男が、
生涯にわたって抱え続ける問いとなる。
第五章ー完ー
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