第一章 死に至る病としての美
その朝、私は破れてしまった靴を磨いていた。靴底の裂け目から覗く濡れたコンクリートは、まるで己が魂の亀裂のように不快で、しかも滑稽だった。自らの惨めを誇る――その技巧だけに生きてきた者にとって、こうした些細な不具合は、どこか懐かしい腐臭のする祝祭である。
鏡の前に立つと、そこには痩せ衰えた道化のような男がいた。唇は乾き、目許は煤けていた。だが、その表情にはどこか陶酔した美の影があった。私は、自分のみに許された特権として、その美しさを心から憎んだ。
太宰治――その男は、決して己の名を誇らぬ天才だった。彼は名乗る代わりに、絶えず告白し、絶えず嘲り、絶えず堕落した。彼の文学は一種の連続的な屈服であり、その屈服の美しさに、我々凡庸なる者どもは痺れた。私は、彼を知っていた。かつて彼の死体が玉川上水から引き上げられたとき、私は自室の障子をぴたりと閉じて、静かに短剣を拭いた。死は美しい――そう呟いていた。
太宰が生きていた頃、彼の肉体は腐臭を放ちながらも、周囲を魅了する一種の磁力を放っていた。彼の文学は、白粉とアヘンの混じった饐えた香りがした。女たちは彼の頽廃を愛し、男たちは彼の哀れを憎んだ。だが、それは嫉妬に近かった。私は、その男に一度だけ会ったことがある。戦争が終わる少し前、東京がまだ焦土に沈む前夜のことだった。
銀座のカフェー「ルパン」の裏手にある、瓦斯のように薄暗い地下室。そこには芸術家崩れと自称インテリたちが屯していた。話題は尽きず、だが誰も本気で語らなかった。戦争が人間の真剣さを奪ったわけではない。戦争が真剣そのものだったのだ。だからこそ、我々は何か、もっと滑稽でくだらないものにしがみつかねばならなかったのだ。女の肌、詩の破片、あるいは自嘲。
その場に太宰が現れたとき、誰もが彼に背を向けた。だが皆、彼を見ていた。彼は痩せていたが、やつれてはいなかった。酩酊していたが、意識は冴えていた。まるで闇の中に灯されたひとつの白い炎――それが彼の存在だった。私は立ち上がり、言った。
「貴様が太宰か」
太宰はうっすらと笑った。自分を指差し、うなずく。
「そうとも。名は太宰、姓は人非人」
それは芝居がかった台詞だった。だが、それが心の底からの悲鳴であることも、私は直感で見抜いた。彼は生まれながらの役者だった。文学者ではない。否、彼は文学という舞台の上で、死という芝居を演じる役者だったのだ。
「お前の小説は甘えだ」と、誰かが言った。
太宰はうなずきながら葡萄酒を呷った。
「甘えるしか能のない子供が、筆を握ったら、何を書くと思います? 泣き言しかありませんよ。しかも、それを詩と呼ぶ。馬鹿げているが、真実なんです」
私は彼のその言葉に、強烈な嫌悪を感じた。だが同時に、ある種の羨望を抱いた。彼のように、堂々と甘え、堂々と堕落できる才能。いや、それを才能と呼ぶこと自体が彼への敗北だった。
太宰は話を続けた。
「ねえ、あなた、死ぬことって、恥ですか? 僕はね、そうじゃないと思ってる。生きている方が、よっぽど恥ずかしい。人を愛せず、世界を信じられず、何も創れずに、それでも惰性で生きるって、そっちのほうがずっと滑稽でしょう?」
私は言った。
「だが貴様は、それを文学という衣で正当化しているだけだ。詩人の仮面をかぶった卑怯者だ」
太宰は笑った。その笑いは、まるで風鈴のように儚く、そして絶望的だった。
「ええ、そうですとも。僕は卑怯者ですよ。でも、卑怯者が書いた文章を、こんなにも人が読むんです。あなたは、それをどう説明します?」
私は答えられなかった。彼の言葉には毒があった。だが、その毒は、まるで高貴なワインのように芳醇だった。
それから数年後、太宰は死んだ。女とともに玉川上水に身を沈めた。新聞には冷ややかな見出しが躍ったが、私はその文字の裏に、血で書かれた詩の行間を読んだ。
彼は死ぬことで、ついに完全な文学者となったのだ。生きている限り、太宰治は常に未完成だった。彼の死が、彼の文学を完結させた。そう思ったとき、私は恐ろしい快楽を覚えた。
美とは死であり、死とは究極の美である。太宰は、それを我々に教えてくれた。否、彼はそれを、己が身を以て演じてみせたのだ。
その夜、私は再び鏡の前に立った。自分の目に宿る空虚を見つめながら、かつて太宰が言った言葉を思い出す。
「死にたい、じゃない。死んでみせたい、なんです」
ああ、太宰よ。お前は正しかった。だが、私は生きている。お前ほど潔くはなれなかった。だから、こうして今日もまた、破れた靴を磨き、詩とも言えぬ呪詛を書き連ねている。
私の文学は、お前の残した死体の影の中にしか存在しない――。
第二章 頽廃の様式
文士とは、本来ならば理性の使徒であるべきであろう。論理を操り、言葉に秩序を与え、世界の不条理を明晰に切り分けて提示する存在であるはずだ。だが太宰治という現象は、まるでその正反対であった。彼は混沌を愛し、情緒に溺れ、言葉の綾に自らの傷を滲ませてみせた。
私は彼の作品を、幾度となく読み返した。初めて読んだのは『斜陽』であったが、その文章の濡れたような光沢、紙面の裏から立ち上がってくるような腐肉の香りに、私は軽い眩暈を覚えた。あれは小説ではなかった。あれは一種の体液であり、皮膚を裂いて滴る血膿だった。
あのようなものを人は「文学」と呼ぶのか?
私は自問した。そして、その問いに怯えた。
太宰は、明らかに美を知っていた。それも、清潔で整ったものではない。崩れかけた花の美、飢えた獣の眼差しの美、あるいは、斬首された瞬間の武士の顔――そういった、ぎりぎりの瞬間に宿る美を、彼は知っていた。いや、知っていただけでなく、それを愛していた。
ゆえに、彼の作品は醜く、美しかった。
ある雨の日の午後、私は郊外の古書店で、一冊の古びた雑誌を見つけた。終戦間際の『文藝』。黄ばみ、反り返ったページの中に、太宰の掌編が掲載されていた。その作品は、実に短く、しかし致命的であった。わずか数ページで、彼は読者の心臓を鋭利な針で刺し貫く。
帰宅し、私は部屋の灯を落とし、蝋燭の火だけでその文章を再読した。太宰の声が聞こえてくるようだった。嘲るような、しかしどこか母胎の温もりを孕んだ声。
「僕には信仰がない。だが、神というものの不在を信じている。そういう、複雑で厄介な無神論者なんです」
その一節に、私は自らの精神の断裂を感じた。私もまた、美を信じる無宗教者であった。だが、太宰ほど徹底することができなかった。私はいまだ、何かに期待していた。社会に? 国家に? いや、自分の理性に。私はそれを恥じた。
太宰の無頼ぶりは、決して戯れではなかった。それはひとつの信条であり、儀式であり、様式だった。酒、薬、女、失敗、告白、堕落――それらを彼は、慎重かつ完璧に演出していた。彼の生は頽廃の様式だった。乱れているようで、すべては計算されていた。詩的に死ぬために、彼は詩的に生きた。
ある夜、私は夢を見た。
夢の中で、太宰が白い着物を着て、庭先に立っていた。冬の朝、雪が積もった石畳の上に、彼は裸足で立っていた。顔色は青白く、しかし目は異様に澄んでいた。彼は私に微笑んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「あなた、まだ死ねないのですね」
私は答えられなかった。言葉を探したが、唇は動かなかった。
すると太宰は、右手をそっと懐に入れ、一冊の文庫本を取り出した。彼の『人間失格』だった。私はそれを受け取ろうとしたが、指先が触れた途端、その本は灰のように崩れた。風に乗って、庭の梅の木の枝へと消えていった。
目覚めた私は、汗まみれだった。時計を見ると、午前四時を過ぎていた。窓の外に、東京の夜の死骸のような静けさがあった。遠く、貨物列車の警笛が聞こえた。
太宰の自殺には、女が伴っていた。それを聞いたとき、私は怒りに近いものを感じた。死は、最も個人的な行為であるはずだ。そこに他人を巻き込むとは、何という傲慢、何という未練、何という演出――。
だが、私は理解していた。太宰にとって、死もまた作品だったのだ。彼にとって、生きることも死ぬことも、ひとつの「見せ物」であり、「表現」であった。だからこそ、女を連れて行くことで、彼は自殺に恋愛という余韻を加えた。最期の筆致に、血と涙のインクで句読点を打ったのだ。
そこには美があった。確かに、美が。
だが私は、それを認めたくなかった。私には、太宰のように死を演出する才覚はない。私が死ねば、それはただの無言の崩壊であり、誰の記憶にも残らぬ消滅であろう。ゆえに私は、生きねばならぬ。無様に、生きねばならぬ。
太宰の文学は、終始「懺悔」であった。だがそれは、信仰的な懺悔ではない。むしろ、何者にも赦されることのない者の、永劫の独白であった。神もいなければ、読者さえ信じていない。それでも彼は書き続けた。それはおそらく、自らを赦すためであった。赦すというより、納得するため――そう、彼は自分の生を、納得したかったのだ。
その努力は、私には眩しかった。
私は今日もまた、机の前に座り、文章を書く。だがそこには、太宰のような湿潤な体温がない。私の文章は、氷の彫刻のように冷たく、完璧で、空虚だ。私はそれを誇るべきなのか、恥じるべきなのか、分からない。
再び鏡の前に立つ。そこには、死に切れぬ詩人の顔があった。
その顔は、まるで未完の彫刻だった。ノミの跡が無数に残り、どこか不安げな眼差しを湛えていた。
私は静かに呟いた。
「太宰よ。お前のようにはなれぬ。だが、私は私のままで、お前を殺してみせよう。文章で、思想で、美で」
それは祈りではなかった。呪詛でもなかった。それは、自己という牢獄に生きる者の、最後の決意だった。
(つづく)
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